dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

イーストウッドをネブラスカで拭う

 相変わらずのイーストウッドな「スペース・カウボーイ」であり泣けそうで泣けないラインをせめて来ていたのですが、正直なところ吹き替え効果でちょっとグッときてしまった。いや、青野さんとか野沢のほうのナッチとか好きなんですよ。あとトミーリージョーンズの菅生さんね。ディスク版の吹き替えじゃなくて日テレ版だったんですよね。

 いや、なんか、本当にいつもの、というか今まで自分が見てきたイーストウッドなのでこれ以上何をどう言い表せばいいのかわからんのですよね。

明瞭簡潔で適切な描写してはいるものの、なんかこう一線引いてる感じとか、アルマゲドンだったらこんなにさらっとやんないだろーという自分でもよくわからない比較の仕方をしたくなるようなそっけない演出とか。

どうしてここまで教科書的でありながら異質な感じを受けるのだろうか。これが作家性というやつなのだろうか。

 

あと「ネブラスカ 二つの心をつなぐ旅」が面白すぎた。

ともかく笑える。小津安二郎にはない笑いの要素があって、もしかしたら「トロピックサンダー」を劇場で見たときと同じくらい笑ったかもしれない。従兄弟とかお母さんの下品さとか入れ歯のくだりとかともかく笑ってしまった。

そのくせほろりとするような温かみもあって、「スペース・カウボーイ」での残尿感をこちらで解消できた気がします(笑)。

あと全然気付かなかったんですがブルースダーンがとっちゃまを演じていたのですね。「サイレント・ランニング」とか「ファミリープロット」のあの人だったんですねぇ。

 

カーペンター映画とワイルドなアパッチ族

カーペンターである。

映画が好きな人なら普通に知っているだろうが、一般層にまではそこまで普及していないだろうという絶妙にわかりづらい知名度の映画監督であります。

無論、わたくしも「ゼイリブ」「遊星からの物体X」「ニューヨーク1997(エスケープのほうはみていない)」など有名どころは多少は抑えていますが、改めて見るとこの人の作品はまあ面白いこと。音楽も自分で手がけているだけあって外していることはないし。音楽といえば結構印象的な音楽が使われていたなー。

というのが「ジョン・カーペンター要塞警察」を見て思った次第です。

少し調べたところによるとリオ・ブラボーファンのカーペンターがオマージュ的に作ったという作品らしいのですが(西部劇が好きなことは知っていましたが、こちらは未見)、なんだか結構ホラー要素が強いぞこれ。そしてまた、どことなく黒沢清っぽいというかなんというか、音楽の効果も相まってすごく淡々としているのが不条理こそ条理というような前半部とか半端ないです。

個人的には篭城戦より前半部のすごく無機質な恐怖感がイイ。移動アイスクリームのミラー越しの車の行き来とか、ヌッと青年が現れるところとか。ストリートギャングのシーンはほとんどあますことなく怖いんですが、ストリートギャング四人のあの血の誓いシーンの血の通わなさときたら、逆に笑えてくるほど。ほとんどターミネーターとしか思えないですよねぇ、彼ら。

で、女の子が射殺されると。あれもかなりショッキングでしょう。もうホントこちらの常識というか道理を安安と踏み越えてくる無感動な殺人シーンは冷血としか言いようがありませんぞ。

女の子の父親に復讐されて仲間が死んでもうろたえるでもなくただ無言で追跡してくるところとか、いやもう本当に勘弁して欲しい。怖い。

警察パートとカットバックで描かれるんですけど、こっちがなきゃホントにただのホラー映画ですよもお。

で、そこから護送途中の囚人をチームに加えてストリートギャングの集団との篭城戦に発展していくわけですが、これも予算の都合なのか知りませんが淡々と死んでいくのがねー、もうこっちまで真顔で見るしかないんですよね。射撃する側の視点が介在することなく、ただひたすら撃たれて死んでいく側だけが映されるので(しかも派手な銃声はなくサイレンサーのプスッという音で)、こうなんていうか命のあっけなさみたいなものが浮き上がってくるのがすごく残虐。ほとんど暴力的と言ってもいい。

生き残る連中が揃いも揃って理性的かつクールでかっこいいのですが、カーペンター的にはそれこそが生存の力なのかもしれない。そういう意味で、惜しくも途中退場となったウェルズは多分に感情的すぎたのでしょう。いや、ウェルズも十分対応していたとは思いますが。

そのくせちゃっかり頭脳戦を論理的に描いてみせたりするクールさ、90分というタイトな作り。あと強い女性像。これは自分の中における女性像とすごくかぶるので親近感が湧いたりしました。

 

うん、これは傑作と呼んでもいいんじゃないかなぁ。

 

で、「ワイルドアパッチ」

こちらも予想外の傑作。

白人若年少尉とおっさん有能アドバイザーと有能アパッチの男(ケ・ネ・ティ)がの三者がともかくいい。いや、少尉は正直なところ最後までいいとこなしどころかミスってばかりで観ているこっちとしては腹立たしいことこの上ないんですけどね。

ただ、そのダメダメな少尉をサポートするおっさんアドバイザーことマッキントッシュが渋く銃の腕前が優れていて、少尉をサポートするのが観ていて微笑ましい。まあバート・ランカスターだしなぁ。

まあでもmvpはケ・ネ・ティでしょうね。同族を殺すというのに冷徹にただ仕事を実行していく。マッキントッシュとの言葉数少ないコミュニケーションとかもちょっとぶロマンス要素があっていい。あと長瀬くんに似てる。

しかも結構考えられた頭脳戦が観れるという。要塞警察といい今日の収穫は結構大きい。

 

 

昨日からの備忘録

 

えー昨日の夜にssffっていう東京国際映画祭と連携した短編映画の映画祭の初日がありまして、それを観に行ってきましたので簡単に感想と録画の消化を。

先に消化のほうから。

60セカンズ」です。このブログでも前に「すげーよかった」と適当な一言を添えただけではありましたが触れている「バニシングイン60」のリメイクです。

うん、ダメですねーこのリメイクは。まず話は別物だし悪い意味でハリウッド的な大味・場当たり的なイベント・無駄な感動要素などなどアルマゲドンもあわやというダメダメリメイクです。オリジナルはそのすべてにおいて「カーアクション」で見せていたのに対し、リメイクは本当に無駄が多すぎるしニコラス・ケイジはいつものニコラス・ケイジだし。強いて言えばアンジーはそんなに好きじゃないけどあの髪型のアンジーは割と好きかな。白色のドレッドってマトリックスレボのあの双子みたいですが。

画面の粒子は荒いけんどオリジナルの方がはるかにフレッシュで面白いですので、もし見るならオリジナルでしょうね。

お次は「大列車強盗(1973)」
うん、普通に楽しい映画でした。実は西部劇映画ってそんなに好きじゃないというか得意じゃないのですが、これは割と素直に楽しめました。ちなみにリメイクなのか1903年にも同名の映画ありますねー。大学の授業で観たことがあったのをウィキの画像で思い出しました。
 
さてさて最後は「ブラッド・ダイヤモンド
なぜかBSで放送されることがここ最近多いエドワードズウィックの作品。
ズウィックといえば彼が監督した作品「恋に落ちたシェイクスピア」の制作にかかわっていたハーヴェイ・ワインスタインのスキャンダルというか普通に犯罪行為が露呈してメディアを賑わしていましたね。ベンアフに飛び火してたのは笑ってしまいましたが。パルトローすきだから結構ショックなんですけど、同時にちょっと興奮します(爆)。
と、冗談はさておき本作「ブラッド・ダイヤモンド」ですが、これはかなりの秀作ではなかろうか。
個人的には上手くバランスを取れていると思う。どういうバランスか。現実と理想。特定の社会構造やパワーゲームを上手く描きながら、その大流の中でもがくディカプリオ演じるジンバブエ出身の元白人傭兵のアーチャーと革命軍に襲われ家族は離散し息子は少年兵にされる黒人のソロモンという個の奮闘と勝利を絶妙なバランスで描けていると思う。
善悪どころか限りなく悪一色に近い悪(RUF-革命統一戦線)と悪(シエラレオネ政府軍)のぶつあいを誘発・利用してさらに搾取と利益を貪る資本企業(アメリカ企業)。いやーまったく白人というやつは!という国家的・企業的な大きなイデオロギーの中で個としてのアイデンティティによって行動するアーチャーとソロモンの道程は、決して表面的には感動的でも穏やかでもない(そもそもアーチャーにはソロモンのように純粋な家族愛ではなくダイヤという欲望による行動原理が主ではあるので)のですが、しかし最後まで見ると欲望だけではい、なにかもっと別の、人種を超えた(本作ではおそらく生まれ育った環境によるアイデンティティと死を悟ったことによる諦念)結びつきがあることを示してくれます。
ジャーナリストが女性であるというのも、たぶんディカプリオという「男」の欲望=リビドーを掻き立て誘引し、結果的にあのラストに持っていくためであるでしょう。そう考えれば死に瀕したアーチャーとマディーのいささか臭いかけあいも納得がいく。この辺が単純なハリウッド大作的男女のコテコテ演出とは違うところなのでしょう。
どうでもいいけど吹き替え浪川なのかよ。あわねー(笑)。
 
というわけでSSFFの方はどうだったか。
昨日のプログラムでは「ベビシッター」「シュガー&スパイス」「ビッグシティ」「種子」「ゲット・アップ キンシャサ」と企業のブランド動画を15本という合計3時間のプログラムだったのですが、とりあえず短編の方は一つ一つ軽く一言添えていく形でいきましょうか。
 
「ベビーシッター」
美女と野獣のダン・スティーブンスが出ている2011年の短編映画。
まあ別に、という感じ。人の電話の履歴を勝手に見たりバッグを開けたりするのはよしましょう、という教訓(嘘)。あれ犬が死んでたら臭ってるような・・・。
 
監督であるMi Mi Lwinの両親の暮らしを映したドキュメンタリーなポートレート。登場する母親がうちの祖母に似ている。あの16分の中であれだけ退屈な母親のルーティーンを映すというのは撮影する方も結構大変そうだ。父親は地味に向学心があったりするのも、どことなく閉塞感を増している理由なのかもしれない。
 
「ビッグシティ」
これ、プログラムの説明に「タクシー運転手と客に芽生えた友情」っていう言葉があるんですけど、オチをふせるためとは言えあまりに意地の悪いのではないか(笑)
まああれですね、金の切れ目が縁の切れ目です。というのを金がなくなった側が能動的に行動に起こし、あるいはそれを金を受け取る側の視点から描いた作品でもある。これは今回のプログラムの中ではまあまあ好きな方です。
 
「種子」
演出面ではこれが一番上手かったかも。
まあレシピエントの母親が泣き出すところは意図としてはわからなくもないですが、やっぱり最後にドナー側の母親を強調するために抑えた方が良かった気はするんですが、レシピエントの子の絵とかドナー側の母親の表情とかは結構いい感じでしたよ。最後まで雨が降っていたのも好印象。
 
「ゲット・アップ キンシャサ
個人的にはこれが一番すき。
上手くギャグも挟んできてくれるし、少年のしたたかに人生を生き抜こうとしている姿勢が非常に観ていて微笑ましい。やっていることはアコギですが。
この子が将来、武器商人になって紛争の火種を世界にバラまいているという二次創作を誰かやってくれまいだろうか。
 
ででで、ブランド映像が15本。要するに企業のCM動画ですな。公式で観れるものなので一応urlも貼っていきます。
 
ちなみに「企業名:作品名」といった形で紹介していきます。
 
鶴弥:耐える男たち
感想:結構早い段階で「瓦」であることが読めてしまいました。えーまあ予算の都合とか色々あると思いますが、体格がバラバラの人を使ってしまうと品質にバラつきがあるのか?と自分のように邪推する人間が出てくるのではないかと思います。
 
 
hp:The Wolf ft
感想:会場で観た動画には日本語字幕が実行委員会によってつけられていましたが、貼ってあるのなしですが、まあそこまで気にしなくてもプリンターのセキュリティーが甘いとそこから情報が抜き取られてしまうよーというのがわかる内容ではあるとおもうので。久々にクリスチャン・スレーター見たなーという印象。どことなくカイル・クーパーのタイトルデザインを思い出したりしたけど、よく考えると結構違うか。
 
docomo:25周年ムービー「いつか、あたりまえになることを。」   
感想:高橋一生の七変化が観れる。それだけで価値が有るです。あと「散歩する侵略者」から高杉真宙って高橋一生に似てるなー、兄弟役とかでなんかやってくれないかなーと思っていたので高橋一生の高校時代の役というので溜飲がさがった。
ともかく高橋一生萌え萌え。
 
Volvo:ABC of Death
感想:ドイツの2人の学生Daniel TitzとDorian Lebherzが制作した映像作品ですが、彼らはこれ以前にも「Dear Brother」という動画で話題になっていたようです。↓

vimeo.com

まあブラックなユーモアだなーという印象。会場の客も結構笑っていました。わたし自身はそこまでですが、まあ笑えるなーという程度。

 

NifMo:【短編ドラマ】轟満の先入観 ディレクターズカット版

公式サイトでショートバージョンとロングバージョンが観れるので公式サイトのurlをば

感想:えー会場で見たのはロングバージョンで最後に思い込みグラフではなく結構手の込んだクレジットが流れていました。結構面白いですね、相撲の伏線とか地味に貼られているのが芸コマ。ちなみに会場に監督とプロデューサー(だったかな)の軽いトークがありました。この短い時間でかなり上手くまとまっていると思うですよ、はい。

 

Take Note:A Life Story, A Love Story  

感想:これも日本語字幕付きで、夫婦が書置きを読みあってすれ違いがあって最後には孫ができたりして最終的には・・・という感じ。

 

TOYOTA:The making of new Vitz story   

感想:中々アイロニーな感じで面白いのと同時に、CMのCGがあれだけハイクオリティなことに驚き。元の俳優の演出と吹き替えのせいで若干臭みがあるものの、一般層に向けたCMとしてはおそらく正解なのでしょう。最近の運昇はガチで演技しているのかたまに不安になるのですが、どうでもいいか。あと「映画作ってるんじゃないんだ。CMを作ってるんだぞ」というセリフがこのブランド映像の難しさを端的に表しているような気がする。

 

Lacoste:Timeless, The Film (Director’s Cut)  

感想:特にない、かなー。動画見直すまで完全に失念してたし。あーでも関連動画のメイキングは結構楽しいかも。

 

バカルディ?:不明

動画詳細不明

感想:えーすみません。メモしそこなって動画が見つけられませんでした。たしかBACARDIっていう文字が出てきたのは覚えてるんですけど、それが酒だったかどうかすら覚えていないんですよねー。内容としては割と陽気な感じで、いろんな人の挙動を一時停止のコマ送りで見せていくっていう手法なんですが、製品まで覚えていなかったです・・・スマソ。

 

Guardian:Cannes Lion Award-Winning "Three Little Pigs advert"   

感想:三匹の子豚が実は狼を嵌めていたとしたら、という動画。昔から三匹の子豚に関して「豚が調子に乗っている」という絵ヅラがとても不愉快だったのでこれは結構好きな部類。

 

The Real Cost:"Straw City" (:60)

感想:狼の哀愁。

 

TOYOTA特別編 - 「THE WORLD IS ONE -MULTI SCREEN-」

えーなんか特別編の動画が見れなくなっているので、とりあえず二種類貼っておきますが、会場で見たものは三ヶ国+未来バージョンが四つ同時にスプリットスクリーンで流れていくタイプでした。

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感想:すごい日本的なやりとりな気がするんですが各国でもこんな感じなのでしょうか。あと別におっぱいの感覚しませんからね、試したことあるけど。

 

Burns and Smiles:the fight of the burn victims to change other people's look

 

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感想:公式サイトは英語ですらないので詳細はわかりませんが、やけどを負った人を支援する団体かと思われますな。ハロウィンだしなー、やけどが仮装に思われるからこの一日だけは笑顔でいられるというのは、中々辛いかもですな。やけどを負った人には悪いんですが、むしろかっこいいような気もするんですけどねぇフレディみたいで(みたいというかあれもやけどですが)。

 

マツ六 :『母の辛抱と、幸せと。』 

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感想:この作品も社員(社長?)の方が会場で軽く作品についての解説をしてくれました。 たしかに映像作品として考えるとお涙頂戴というのは考える余地があるのですが、CMということを考えるとやはり情動に訴えかけるのがベストなのでしょうねーというわたくしが常々考えていることをトークでもしていたので、意図的にエモーション重視で依頼したとのこと。ええ、泣きそうになりましたわたしも。

 

SANTANDER BANK:BEYOND MONEY

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感想:なげーよ。17分て短編じゃんすか。とかいいつつ普通に楽しんで見ていたんですけどね。SFに限らずファンタジー(ダンブルドアも記憶抜いてた気がする)とかでも割とある、あるあるネタ。記憶を売買するというもの。まあ銀行のCMとは思いませんでしたが、結構なお金が掛かってそうですぞ、この動画。そりゃまー一つの映像作品としてみたら色々と「どうなのよ」と思うポイントはありますけど、しっかりと序盤での伏線とか貼ってあったりしますからタダで見れる短編としては申し分ないのではなかろうか。

 

とりあえずこんなところで備忘録おしまいける。

 

 

ワンコインラブ

久々のアベマロードってことで、明日も映画を見に行くのですが観ました。

個々のデティールで笑える映画でありながら、ダメな人間が一人の人間との出会いによって変化していく普通に熱い映画でもあるという。まあ、笑えるディテールが多すぎ&配分のせいで後半40分と前半70分が別の映画みたいになってますが。緩急が本当に数秒なのでわかりやすいと言えばわかりやすいですが。

安藤サクラ、まったく異なる映画に変わるシーンの前後で体格が変わりすぎていて逆に失敗してないだろうか、これ。ゲームをやっている場面が前半と後半で二回同じアングルで撮っているのに、まったく体格が違うように視える。のに、同じ日に撮影しているというのだから凄まじい。見せ方次第でどうにでもなるという意味では、やはり演技もさることながら演出や衣装やメイクがどれだけ重要なのかということを認識させてもくれる。

しかしこれ、案外わたくし好みの映画かもしれない。一見するとまったくつながりのない怪しいおばさん(根岸季衣 演)は、しかしその実フリークス以外の何者でもない。もちろん安藤サクラ演じる一子もそうだ。そして終盤になって一時間ぶりに顔を現す親父も、一度は一子を裏切った狩野もそう。それぞれの過去が描かれるわけではない。けれど、たしかにわかる。そもそも父親はひもみたいなものだし、すわ統合失調症かと思わせる怪しいおばさんは(当然とはいえ)煙たがられる存在であり、狩野だって嫌な人間ではあるのだから。

狩野に「なぜボクシングを始めたのか」と問われたときの、実に陰なる者が言いそうな一子の回答も実に良い。あそこではきはきと、あるいはっきりと力強く答えられようものならしらけてしまう。一子はそんなやつじゃないはずだから。

素直に描くのが恥ずかしい。だから笑いを盛り込みこねくり回しているのに結局はまっすぐに突き進んでいる。ボクシングのシーン、予算や技術的な問題はあるだろうが、それにしたてベタな演出ではありませんか。だって、そう描くしかないんだもの、一子を撮るには。まったく、なんとも愛らしい映画であることか。この映画を素直に好きになれる自分で良かったと思える、思わせてくれる愛おしい映画。

 そう、終盤になってようやく判明するこの映画の本性とは、フリークスたちの挽歌でありすなわち百八円の恋なのである。エンディングまで含めて一本の映画なのだから間違いではないでしょう。

 そりゃわたしの好きな映画に決まってるじゃんすか。ただ、それは同時にわたしの中では一つのフリークスの敗北でもあるのですが・・・。

 

あと安藤サクラがかわいいという稀有な映画でもある。あの人、ほかの映画では強烈な存在感を放ちこそすれ、素直に可愛い役というのもないからなぁ。

 

 

人は皆、猿のまがいもの 神は皆、人のまがいもの

というポエムがある。ネット・漫画にそれなりに触れていればオサレポエムとして一度は耳にすることはあると思う。別になにがどうってわけではないんですが、「猿の惑星:聖戦記」を観てなんとなくエントリータイトルのポエムが思い浮かんだのでした。

 

して、その感想である。

えー泣きながら驚きました。新三部作、ほとんど人類史を観ているようで逆に笑えても来てしまうという。そもそも前作の新世紀からして構造としては猿に感情移入させる作りにはなっていたのですが、今作ではそれがさらに顕著になっているんですよね。別に今になってことさら取り上げることでもないんですけど、CGの進化のおかげで「猿がしゃべる・銃を撃つ・馬に乗る(ゴリラが乗っているのは馬が心配になりましたが)」といった絵空事がごく自然と受容できてしまうのだから。

だがしかし、はたしてこの映画に泣かされたのはCGのおかげなんだろうか。もちろん、技術が貢献した部分は大きいだろうしそこを否定するつもりは毛ほどもない。ただあらためて考えてみると、CGによって再現された猿と着ぐるみによって再現された猿の違いに明瞭なアンサーを出すことができるだろうか。これは、何も特撮映画に限らないのだけれど、わかりやすくゴジラを例にとるといいかもしれない。着ぐるみゴジラとCGゴジラの違いに。これはメタ的に考えなければいけない問題なので省く。

 

まず出だしの20世紀フォックスのロゴから森林の音が響いていおり、各社のロゴから一度ブラックアウトしてからの前2作のおさらいてきに文章が立ち現れるのですが、ここの演出が地味にかっこいい。というのも、その説明的な文章の中に前2作のタイトル(Rise of the Planet of the Apesの「Rise」とDawn of the Planet of the Apesの「Dawn」)の重要ワードが入っており、ほかの文章が消えてもその部分だけが赤字で残るというような、一種フェティッシュな演出がされりと冒頭に仕込まれているのです。

また、冒頭からエイプの住む森の中に人間側(というと人間側の総意みたいで語弊があるのですが)の兵士たちが襲撃をかけるところから始まるのですが、この場面からしてすでに驚きを持たせてくれる。というのも、ゴリラのドンキーが人間側について指示された武器を人間の兵士に渡しているんですな。それだけでも冒頭の掴みとしてはかなり上手いのですが、その武器を渡す場面における人間がエイプに行う所作・アクションだけで人間側に寝返ったエイプの扱いがさらりとわかるような演出になっています。この辺は、本当にごく当たり前のように描いていて、観客は驚きつつもまったく不自然さを伴わずにエイプと人間が映像的(CG技術による支え)かつ物語的(クールな演出による支え)に同居していて、もう最初から「うほっ」となるのですが、ここからさらにシーザーの登場となるのですからシリーズを観てきた人にとっては興奮モノ。物語が進んでいくとシーザーがコバの夢・幻視をするのですが、さて冷静に考えてみたら猿が夢や幻視をするというのは主観的に描き、しかもそれを平然と観客に刷り込ませるというのはかなりの離れ業ではないだろうか。実際のところ、コメディやコミカルな表現以外でこんなにまっとうに描けるだろうか。

で、この戦闘で生け捕りにした人間側の兵士(と離反者のドンキー)にシーザーは争う気はないという伝言を託して人間側のリーダーである「大佐」の元に生きて返すのですが、まあなんというかこれが自らの息子と妻の死を招くだけでなく、大局的に見るとシーザーが率いるエイプの群れを窮地に追いやり自らの復讐心に火を点け自らの死を招くことになるという。アウトレイジ症候群に陥っている自分には、どうも個の行動の結果が組織や世界にまで波及していくという風に見てしまったりした。実はこの時点でエイプ側にも恐怖に駆られているエイプがいて、そのエイプがドンキーを逃がしたことがきっかけで大佐に襲撃されてしまうわけですが、そのエイプというのがほかのエイプと違って毛並みが白い(それゆえにウィンターと呼ばれている)というのも意味深ではあります。

そんなわけで大佐に家族を殺されたシーザーはモーリス・ロケット・ルカとともに群れを離れて敵討ちに赴くわけですが、その道中で言葉をしゃべることのできない少女と出会う。ちなみに、この少女の父親と思われる男をシーザーは射殺するのですが、その遺恨というか複雑な感情が少女に向けられている場面などは、人間に息子を殺されたシーザーの行動の鏡としての存在ともなっているのが面白い。それゆえに、コバの夢なのでしょうし。実は口の聞けないこの少女はノバとモーリスによって名付けられるのですが、オリジナル版の猿の惑星でテイラーと同衾した(?)金髪の女性と同じ名前だったりする。このノバは「新星」って意味がありますから、エイプ陣営に属する唯一の人間としてこの名前はまあわかりやすい。

物語が進んでいくと、どうしてノバが喋れないのかってことが判明するんですが、それがまあ人間みんな猿インフルのキャリアで前作と前々作までの間で生き延びた人間もウィルスの突然変異で言語と人間的思考能力を失うということらしい。

つまり、猿が人間になり人間が猿になるということ。そして、そのきっかけが「人が人を助けようとして作った薬」であるというのだから、なんだか皮肉な話ではある。

そんでもって大佐が実は人間側の中でも異端者なマイノリティで、マジョリティー側の人間と争うことを想定して猿に労働させていたということが判明したり、捕縛されたシーザーが猿たちの脱獄させるという感じになっていくのですが、本作は全体的に象徴的・印象的な演出が多い。

ノバが一人でシーザーに水と餌をあげるところとか、シーザーのおでコミュニケーションが大佐の場合は銃口であったりだとか、まあいろいろうまい演出は楽しめるし猿だから雪崩に巻き込まれず生き残れたという理由とかもしっかりしている(あのレベルの雪崩だとぶっちゃけそういうレベルじゃなくてみんな巻き込まれると思うが)し全然楽しいですよ、はい。

 

が、まあ気になるところがなくもない。

まず今作から登場するバッドエイプ。こいつの存在そのものに負わせた意味はともかくとして、作品の温度からかけ離れたコメディリリーフになっている。いや、双眼鏡とかお口あんぐりのシーンは笑えるんだけど、そういう笑いはこのシリーズにはいらないと思う。吹き替えも柳沢慎吾だし、あきらかにトーンが違うだろ!

それと、ルカとノバの絆の描き方もとってつけたような感じがしないだろうか。そこ死ぬべきはモーリスじゃね? 花をあげるのモーリスであるべきじゃね?いや、ルカってモロに聖書関連の名前だし寓意を持たせてるのかもしれないしモーリスすきだから生き残ってくれたのは嬉しいんだけど、何か腑に落ちない。

あとさー、あんなあからさまでとってつけたような火気厳禁のタンクはもうちょっとどうにかならなかったのでしょうか。立地的な問題以外は、シーザー・ドンキー・プリーチャーの無言のやりとりが良いだけにむず痒い。しかも手榴弾であれだけの被害を与えられるなら人間同士の戦闘、ヘリまで動員してんのに間抜けに見えてくるじゃないですか。いや、実際人間のやってることは愚かな行為ではあるんですけど。

脱獄の部分もなんかちょっとうまくいきすぎてる割にデティールが浅いなーと思う部分もないわけではないんですが、そこを丁寧に描いていたら2~30分は必要になるだろうから仕方ない、ないものねだりですから。大脱走っぺーと思ったらコミコンで言及してたみたいですね。脱走シーンは(単純比較できるものじゃないけど)創世記の方が工夫凝らしていて面白かったかなぁ。

が、それでも後半のスピードはやや鈍重に感じられたかなーと。上映時間も2時間を超えていますし、まあ三部作の締めということで内容を盛り込むのも致し方ないといったところではあるのでしょう。ただ、それ以上に少しセンチな演出を盛り込みすぎたのではないかというのもある。ただ、これの厄介なところはその演出がどれもこれも演出としては間違っていないために、「ここ削ればもっとテンポよくなるのに」と思えないところだったりする。つまるところ、わたすの集中力の問題です、はい。集中力なくてすみません、ほんと。

 そうそう、わたくしはIMAX3Dで観てきましたが3D要素は皆無と言っていい感じなのでIMAXだけで十分ですよ。余計に金がかかるし。

ナンバリング欠如

 おい午後ロー、なぜナンバリング作品で一作目からじゃなく三作目と失敗したリブートを流すのだ。おかげで「続・猿の惑星」を飛ばして「新・猿の惑星」を観てしまったではないか。

と、理不尽な怒りをテレ東にぶちまけつつ猿の惑星シリーズ第三作目「新・猿の惑星」を観た感想をつらつらと書き下していく。

なんて書いておきながら、それほど感想らしい感想がないというのが正直なところであったりする。というのも、目下のところ「猿の惑星 隠された真実」を読んでいる最中で、幸か不幸かちょうど「新」のところまで読んでしまっていて、描写としての意味をこちらが読み取る前に答え合わせをする形になってしまったからである。ここが批評とは違うところだな、うん(?)。

いや本当に散漫な感想しかないんですよね。いや、続編の中ではもっとも高い評価を受けてるということなんですが、いかんせんネタバレされてしまったあとなので・・・と言い訳を前置きしつつそれでもいくつか思ったことをば。ていうか読書感想の方で触れる内容とかぶるし・・・。

「続」は観ていないんですが顛末は知っている(おいおい)ため、冒頭のシーンで困惑するということもなく、一作目を彷彿とさせる宇宙船が海に浮かんでいるところから始まります。

「続」のディテールがわからないので一作目との比較になるのですが、まず大きく違うのが遥か未来の猿が支配する地球ではなく現代(70年代)に舞台を移し、猿ばかりだった絵ヅラが一転して人間ばかりになっていること。あきらかに猿を被差別の対象として描いているのですが(ジーナたちに共感し身を隠すのに協力するサーカス一団の主であるアーマンドをアングロサクソンではない俳優に演じさせてたりとか、日本人からすると観ているだけじゃわからないディテールとかetc)、そういう政治的問題とは離れて見ることもできなくはなくもないんですが、やはり抑圧されたマイノリティの主張という点で語らざるを得ない。あまりに露骨ですもの。これまでは猿人同士による闘争の中で人間が扱われていたのに対して、今作は人間のアウェイでたった二人の猿を追い詰めていくわけですから、もはや寓意というか露骨に白人vs猿(黒人)という縮図が出来上がってしまっている。

猿の特殊メイクは引き続き素晴らしいのですが、ゴリラの出来がお粗末なのはどういうことなのかしら、と勘ぐってしまいたくなったり。

あとラストのマイロが言葉をしゃべるシーンのリピートの雑さとか、そういう粗探し的に見てしまうのはわたしが嫌味な人間だからか。

大衆芸術がその時代時代の政治や文化や経済といったものから不可分であるとはいえ、制作側の用意したディティールを正確に味わうには当時のアメリカの背景を知らないといけないという点では、あまり日本人的には向いていないのかもしれない。

うん、ていうかまあ、作品としてそこまで突出しているというわけではないと思いますしお寿司(猿の惑星ファンには申し訳ない)。

普通にリブート版の三部作のほうが映画としての出来はいいでしょう、うん。グレートウォー楽しみだなー。

 

 

義憤のハリソン・フォード

タイトルを決めてからまあまあの確率で義憤に駆られている気がすると思い至る。

今そこにある危機」を観賞したのですが、よくあるアクション映画かと思って高を括っていたら結構毛色が違う上に面白くて嬉しい誤算。

いきなり話が逸れますが、このタイトルどこかで聞いたことがあるなーとか思いつつ検索をかけようと「いまそこ」まで打ち込んだらサジェストの一番上に「今そこにいる僕」というのが出てきて、数年前にこのアニメを観たことを思い出した。たぶん、このアニメのタイトルの元ネタなんだろう。一回通しで見ただけなんで細部は思い返せないんですけど、内容はかなり違ったはず。伊藤はこのタイトルをディスっていましたが(笑)。ウィキったら庵野組(っていうと失礼か)のスタッフが結構参加していてびっくりしたのですが、いまいち思い出せん。そんなに面白くなかったような気はする。当時はそこまで意識してなかったから、今見ると何か発見があるやもしれんですが。

まあ一番驚いたのは監督が大地丙太郎だってことだけど。ほかの作品で知ってるのがおじゃる丸とかギャグ日とか浦安とかマサルさんとか、フィジカルで笑わせてくるギャグアニメの印象が強かったのであんなふわふわじめじめした作品を監督しているとは思わなんだ。

 

えー余談にかなり文字数を割いてしまいましたが本題に行きましょう。「今そこにある危機」です。

何が面白かったのかというと、完全なる勧善懲悪ではないということでしょう。珍しい(というと自分の無知さを露呈しているような気もしますが)なーと思ったらトム・クランシーの原作小説がベースなのですね。読んだことはないけど耳にしたことはあったのでなんとなく納得。あーそれとウィキのあらすじ書いた人、順序おかしいぞ。

序盤からすでに同陣営の人間たちが大統領を含めそれぞれに異なる思惑を持っていて、お互いに(というと若干語弊がありますが)極秘裡に行動に移るのですが、状況が変化していくにつれて軋轢になっていく感じ。

観ていて思ったのは、人間の「感情」というものがいかに計画においてバグになるのかがわかるということでしょうか。そこに米国政府上層部や諜報組織というトップシークレットで権力を有する連中のパワーゲームであった場合、それがどれだけの規模になりうるのかという妄想かつシミュレーションとしての映画なんじゃないかと。

つーても、これからAI兵器が実装される際はそのへんがいかに重要なファクターになってくるのかとか、色々と語れる余地はあるんですが。

あとウィレム・デフォーが出てて良かった。しかも死なないデフォーですよ、死なないデフォー。ショーン・ビーンじゃないですけど、最近見(かえし)たデフォーの出る作品が「プラトーン」「スパイダーマン」「ジョン・ウィック」「インビジブル」と死ぬ役柄ばかりだったので死ぬキャラクターの印象が強かったんで、死なないのが結構嬉しかった。ハリソンよりデフォーの方が好きだし、役柄的にも死にそうな立場だったんで。

eiga.com

トップ10にも入ってなかったよ、デフォー。ディカプリオって案外死んでるですねぇ。

 

ついでに個人的に名台詞だと思ったセリフ

「わたしはアメリカ合衆国大統領だぞ!(吹き替え)」というのがあるんですが、これだけで傲慢さとか権力に溺れている感じが出て単純ながら笑ってしまうほど納得してしまった。そりゃそうなるよなと。