dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのもの。

BSがすぎょい

ヒートとジャズ大名を見たんですが、いやはやなんというか映画の多様性みたいなものをあらためて認識したような気がしました。

 

 まずヒート。いや、なんとなく午後ロー映画だと思ってたんですよ、最初。チーム強盗ものみたいな感じで。午後ローを馬鹿にしているとかではなく、ねぇ? あるでしょう、色みたいなものが。

 ところがギッチョンてれすくてん。もっとシリアスな内容で驚き桃の木山椒の木ですよ。セリフが上手く伏線として機能しているし、あとガンアクション。市中での銃声の文字通り響く音。マイケルマン監督の作品はこれが初めてですが、ちょっと要チェックですわ。

 

 で、ジャズ大名筒井康隆原作で岡本喜八監督ということでハズレはないだろうと分かっていつつ、実は両名の作品をまともに読んだり観たりするといったことはなかったんですよね、恥ずかしながら。

 うん、ともかく楽しい。ケネス・ロナーガンがユーモアのない人生なんてクソだよクソ(とは言ってないが)と申していましたが、それからするとこの「ジャズ大名」はなんともユーモアに満ちた映画であることか。ともかくテンポや間の詰め方、人物の動作のタイミングなどで笑わせてくれます。いやぁ、観ていて普通に楽しいってこんな感じなんでしょうな。筒井的なかっぺディスも随所に見られつつ、音楽を奏でたままエンドロールにいく潔さよ。

 あと個人的に殿様と次女の松枝姫が好きです。特に松枝姫、別に顔が可愛いとかそういうわけじゃないんですけど、こう、女性らしくしているわけでもない、むしろ男性よりなのに平然としているところに愛嬌があるというか。これは今までにない感じの、すごいいいのです。

その夜の侍

アベマで。ハゲの邦画チョイスはさすがにハズレがないなと。

 ただコメントの反応を見ていると、やはりというか単純明快な話じゃないと文句たれパンダさんが多いという印象を受けますね。まあ、そんなもんなんでしょうか。

 わたくしの感想はといえば、かなりの良作なんじゃないかと。山田孝之が演じるあまりにもクソすぎる木島とか、そんな木島と学校での複雑な友人間ヒエラルキーを思わせる関係性の小林(綾野剛・演)とか最高。

 赤堀監督は舞台演劇がメインで今作が映画は初監督ということらしく、なんとなく生粋の映画監督ではないのかなーと思う描写が割とあって、そういう個性的な味も楽しめました。まずはワンカットが長いというのがあるでしょう。舞台演劇となるとやはり一発勝負でカット割りというものもないでしょうから、そういう感覚が映画に繋がっているんじゃないかなーと思う。木島が星さん(田口トモロヲ)に灯油ぶっかけるところとか、画面から星さんを外すことはあってもカット割らないのね。

 あと全体に渡って暗いグリーンの色が象徴的でしたね。キタノブルーならぬアカホリグリーン的に使われていて、なんとなく「単純ではない」「息苦しさ」のようなものが作品全体を覆っていて印象的でした。キタノブルーといえばアウトレイジの最終章の予告編が結構ソナチネあたりを連想させる感じで期待値が上がってきているんですが、まあそれは置いておきましょう。葛城事件のポスターも緑っぽい感じでしたし、監督はおそらく意図的に選んできてるんじゃないかなーこの色。

 プリンの使い方も良かった。木島に奥さんをひき殺された主人公の中村さんは、生前の留守電で「プリン食べるな」と言われている最中にプリンを貪るという行動に出ていた。それが最後の最後になって、何度も聞いていた留守電を消し、そしてプリンを開けて葛藤の中プリンを自分の体に叩きつける。このどうしようもないやるせなさを含んだ――こう表現しても良いのならば――前進したのでしょう。

 なんというかまあ、あまり口で説明するのも面倒ではある。読み物ではなく自分の感想の吐露であるので別にかまわんのですが、改めて過去記事を読み返してみると「マンチェスター~」と「20th ~」にどれだけ情動したかというのが比較できて面白い。そういう意味でもやっぱり感想を吐き出しておくのもいいのだなーと改めて思った。「20th」は最後どうなったか忘れてたりするんですがね。

フェイク

BSフジでやっていたので。

佐村河内の方ではなく、パチーノとデップの方。FBIがマフィアに潜入する映画ということなんですが、実話ベースらしい。デップでマフィアというと最近ではブラックスキャンダルなんかがありましたね。アレは記憶からソッコー消えましたががが。

同じジャンルとしては邦画で日本のいちばん悪いやつら、なんて映画もありましたね。未見ですが。ほかにもアンタッチャブルとか色々とありますが個人的にはディパーテッドが最高かしら。


肝心のフェイクですが、まあ面白いです。デップが捜査官ではなくマフィア(?)のパチーノに思い入れてしまうのとか、パチーノのどうしようもないポンコツ感とか。

最後にメダルと500ドルの小切手(すくねぇ)をもらって勲章されてるのに家族どころかデップ本人も嬉しくなさそうな顔してたり。結局、あやふやで描写すらされないマクロのために、それを形成するミクロが崩れていくという。

悪性の細胞を潰すために小さな細胞を犠牲にする。まさに組織そのもの。

組織というシステムのどうしようもない構造、その可笑しみをブラックジョーク的に観賞するのもアリなんじゃないかしら、この映画。

ハネムーン・キラーズと地獄愛

「ありがとう、トニ・エルドマン」の後にこの二作を観た。同じ事件を題材にした映画ということで、まあリバイバル上映という形なのですが、同じ話でも描き方によってここまで違うものなのかと。年代が大きく違うので、そういう意味では差異が大きいというのは当然といえば当然なのですが。

 おそらく、ハネムーン・キラーズの方が実際の事件に寄せてきているのでしょうが、それゆえに色々とキツい(といってもかなり脚色されているのは確かですが、マーサの職業とか体型とかは似せている)。まずマーサ・ベックを演じるシャーリー・ストーラーの重さ(二重)とか。パンフ見てから知ったことなんですが、マーサは事故の後遺症で異常性欲になっていたとか、レイが黒魔術やっていたとか「ハネムーン~」では直接描写されていなかった気がする(地獄愛では後者について露骨に描写していたけれど)。別にそれそのものは話に直接関係ないし、安易な根拠というか論拠を提供することでむしろ狂気性が薄れるということもあるので、これが意図したものだったら良い采配だと思います。

 話としては狂ったデブ女とと狂ったハゲかけ男の愛の物語なんですが、よく考えたら作品の描き方からして狂ってたんだなぁと、今にして思う。普通は愛ゆえに人を殺したカップルが次に取る行動って逃避行なり証拠隠滅なり偽装なり方面にストーリーが向かうはず。だのに、こいつらときたら人を殺したあとも平然と詐欺行為を働く始末。あまつさえ自分らが殺した女性の死体を放置してセックスする始末。状況的には二進も三進もいかなくなっているのに。まあ愛ゆえにって言葉の持つ美醜の両義性の醜が全面に出てる作品なんで、普遍的な愛の甘美さとかはないです。むしろ歪な愛の形を押しつけられる映画なり。

 はっきり言ってマーサに魅了される点なんて普通の人間なら見いだせない。老介護しなければいけないし、デブだし嫉妬深いし、そのせいでレイの仕事を台無しにするし。見ているこっちはマーサの行動にイライラしますし、仕事を台無しにされあまつさえ殺人にまで発展させた彼女にレイも激怒します。それでも、レイはマーサを捨てませんし付き添わせます。全く分からない。その「分からなさ」こそが2人だけが通じ合える愛なのだろう。そんな歪な愛を理解できないことに普通の人は安心する。でも、共感を寄せ付けないこの映画が大衆に受けるはずがない。だからこそカルト映画たりえたのだろうし、創作者として異端さを有していたトリュフォーは共感したのだ。わたしはといえば、悔しかった。心の底から共感できず、理性としてしか2人に納得できない大衆的な感性に。所詮わたしは、何もなすことのできない異端への憧憬者でしかないことに。

 

演出的にも中々面白い部分があった。レイの子を身ごもった女が殺されるシーンの、目線と音だけでレイの行動を描き死の足音を響かせる。個人的には黄金バットのペギーを思い出しました。他にもカットのテンポが独特というか急いてるというか、「あ、そこは描写しないをだ」と思ったり。 

まーあとは深読みできる部分として、七つの大罪を2人が犯しているのではないかと思ったりした。七つの大罪とは死に至る罪のことで、実際に2人は死刑になる。セブンでは1人あたり1つの罪を割り振っていたけど、ハネムーンキラーズでは2人が全てを侵している気が。

 チョコやスナックの描写から暴食、色欲はいわずもがな、人を苦しめてまで金を求める強欲さ、それと繋がる憤怒、怠惰も傲慢も嫉妬もある。 

それらを愛という卑近なフィルターでもって描いてもいるんじゃないか。

 

次は地獄愛。「ハネムーン~」と同じ事件を題材にした映画ですが、こちらは2014年ということで近作であります。いきなり脇にそれるんですがこの二作のパンフの情報量の少なさってベルギー映画だからなのか?「ハネムーン~」とか、柳下毅一郎がどうにか文字数稼いでるが、それが逆に情報量の少なさを露骨に示しているし、「地獄愛」に関しては値段に対する情報量が少なすぎる。もうちょっとどうにかならんかったんかいな。

と、愚痴はこのへんにして地獄愛の感想をば。

 三連続の三本目ってこともあってか割と疲れ気味に観ていたんですが、割と楽しめた。露骨に寒色なライティング(って言っていいのかしら)とか、あまりに露骨すぎて額に笑ってしまうのですが、グロリアのような異常者()を映すにはこれくらいやりすぎている方が正しいとさえ思えてくるから不思議。

 それにしてもグロリア役のロラ・ドゥエニャスの顔がすんばらしい。黒目がちな双眸とか口のシワとかすっげー魔女っぽくてよろしい。ちょっとだけスカーレット・ヨハンソンぽい顔立ちでもあるという。まったく似てないんですけど、似てる。そんでもって映画の冒頭からこの魔女の目がこっちを凝視してくるんですよねぇ。ちょっと本気でやめてほしかったです、はい。マジカルガールがラストに持ってきたのとは逆ですな。一種のファム・ファタールといってもいいかもしれませんが、どちらかというと自身のファム・ファタール性によって自らを縛っているようにも見えるんですよね、客観的には。とはいえハネムーンと同じで結局は二人の愛に収斂していくわけなので、どうでもいいわけですよ客観性というか冷静な視線なんてものは。

 一方のミシェルについて。別にこの人に関してはグロリアほどの魅力があるわけでもないんですよね。それだけミシェルが強烈すぎるんですが。

 ハネムーンとは逆に彼が黒魔術をやっている部分が強く描写されているんですが、そこに頭痛の要素が加わっているんですよ。頭痛が起こるタイミングなんか注意してると割とパンピー的なのかなーとか、子どもは逃がしたり殺すのを躊躇したりする部分を見ると正常な部分とかあるのかと思ったんですが、最終的に行き着く先を考えるとミシェルもミシェルでやっぱおかしい。

 多分、この作品においてこの二人は幼子として描かれているんじゃなかろうか。欲望のまま動く二人はよく言えば純粋で悪く言えば赤子のそれ。その描写が顕著なのはダダをこねるグロリアとそれをいないないバーのようにあやすミシェル。そしてグロリアの足の指を乳飲み子のように吸い付きむしゃぶるミシェル。

 ともかくグロリアでしょ、うん。男ができるやいなや子どもを友人に預けて出て行くグロリア萌え~。急に歌いだして死体解剖はじめるグロリア萌え~。

 グロリア萌え映画、それが地獄愛。

 

そうそう、モザイク問題なんですが、なんで年齢指定しておきながらモザイクかけてんのかわからんどす。トニ・エルドマンではマンコはモザイクなしでチンコにモザイクかかっていましたがそれもよくわからない。金払ってんだからちゃんと見せてほしいですよ。

 

 

ありがたくないトニ・エルドマン

昨日、三本連続で映画を観てきたのですが、まー疲れるわ疲れるわ。感想を書こうにもいかんせん頭が働かず日をまたぐ結果に。

 さて、そんなわけで一本目が「ありがとう、トニ・エルドマン」なのですが、色々とすごい映画でした。各界、各映画関連サイトや批評家連盟などが大絶賛していたというだけはある。どーでもいいがジャック・ニコルソンがエルドマンがハリウッド・リメイクでエルドマンの役をやりたがっているという話ですが、彼がやってしまうと確実に違う種類の危険な狂気しか出てこないような気が。

 個人的に類似する映画としては「マンチェスター・バイ・ザ・シー」や「20th century women」があるのではないかと思う。どこか似てるんだっていうと、戯画化されていない生の人間を描いているということです。そして、この三作は同じような世界の描き方をしていながら、ピントを異にしているために別々のものを描いているという点で自分の中では三位一体を成しています。ただ、前の二作に比べると、ヴィンフリートことエルドマンの取る行動や彼の娘であるイネスが最終的にはっちゃけたときの爆発力は現実的ではないというか、「マンチェスター~」と「20th」とは異なる可笑しみなのです。それなのにまったく作品そのものとの齟齬がなく実在感を伴っているのは、その「現実的」な生活に縛られていることへの映画的飛躍による問いかけであるからにほかなりません。その問いかけにしたって、人間を地に足付いた人間として描かなければ問いかけそのものが成立しえないのです。地に足付いたというのは、つまるところ人間が持っている雑多な複雑さです。

 父親と娘という繋がりから生じるどうしようもない「あーもう、まったく!」といった感じ。様々なニュアンスを含む「あーもう、まったく!」を描くことで、現実を生きているわたしたち観客は共感をするのです。ドイツ人的な感性なのか、カット割が少なく1カットあたりの持続する「間」や手ブレ・どことなくドキュメンタリータッチの撮り方のおかげで、より一層の実在感を映画に持たせています。

 そしてなにより人物に命を吹き込む演技巧者たち、とりわけイネスを演じるザンドラ・ヒュラーの顔のニュアンスが凄まじい。父親といるときの顔が含む多種多様な感情の渦をセリフなしに表現してみせてくれます。

 中盤以降はほとんど親子ゲンカの様相を呈しているようなお互いの主張のぶつけあい。そして、父親に触れ最終的にイネスが取る行動を見れば「血は争えない」と誰もがいうことでしょう。

 笑えるのに笑えない、この複雑怪奇さこそこの映画の真骨頂なのかもしれない。

 

 ps

同日に観た「地獄愛」でも言及しますが、モザイク処理についてちょっと気になる。プリディスティネーションでも局部にモザイクがかかっていたんですよねぇ、そういえば。あそこはこれまで女として生きてきた人間が男として生きていかなければならないということを鏡越しにまざまざと見せ付けられるというシーンなので、(BS・CSの無料放送だから仕方ないとはいえ)モザイク処理はどうなのよと思ったのですが、劇場公開でもモザイクってかかるんですね・・・なんかがっかり。

大吉二連続

ジェイク・ギレンホールと(あえて言わせてもらおう)真田広之がメインを務めるSFホラー映画「ライフ」と「ジョン・ウィック チャプター2」を観てきたでごわす。大吉も大吉、特に前者に関しては予想を超えてきてくれて、ちょっとびっくりしましたね。まあ大吉といっても、細かく見ていくと恋愛の項目が微妙に悪かったりって感じの大吉ではあるんですが、それを補ってあまりある予想ガイな作品でしたよ「ライフ」は。「ジョン」に関しては一作目が一作目だけに不安もなく観れたので、ほとんど引く前から大吉をゲットしてたみたいな感じではあるんですけどね。しかし「ジョン」の世界観めちゃくちゃ魅力的ですなぁ・・・や、あの世界に入りたいかと言われると微妙ですが。

 ジョンの素晴らしいところは馬鹿映画じゃなくて演出が優れているところだったりするんですよね。最後の公園の広間のところでの全員静止する場面とか、言外にこれからジョンが歩む道が煉獄じみた険しいものであることをスマートに表してくれます。お前ら全員そうだったんかい!ってな感じで。ミラーハウスでの銃撃格闘も中々どうして侮れませんですね。防弾スーツのフロントダーツとフロントカットを使って体を守るところとか、駅での高低差を使ったスローかつ高度な銃撃戦などなど、脳汁出まくりです。伝説のブギーマンの割にまあまあ苦戦するところとか、前作のはブランクがあったからなのかと思っていたのですが、どうやらリアリティということらしいです。そこがまた良い。ローレンス・フィッシュバーンは相変わらず自分から動かないくせに権力だけは持ってる胡散臭いおっさん役として出てます。あとアナログな感じ! ジョン抹殺の依頼を全世界の殺し屋に通知するコンチネンタルの電信部門のあのアナクロな感じがたまらなさすぎる。裏の世界にいる人だけに届くメッセージ。彼らが持っている端末もコンチネンタルの支給なんだろうかーとか妄想が止まりません。あと主席連合12席をすべて見せて欲しいですな。ロイヤルナイツ的な。アクションに関しては言わずもがなでしょう。

 で、個人的に大当たりだった「ライフ」ですよ「ライフ」。こーれが予想を超えてきてくれてびっくり。まず映画冒頭の長いワンショットでISS国際宇宙ステーション)の内部が映し出され、その狭苦しく息苦しい空間で何かが起きることを暗示させながら一人一人をカメラに映し出します。ドントブリーズでも同じような手法が使われていましたが、閉塞空間を間を置くことなくアナログに映し出すということはホラーではかなり効果的なのでしょう。そして物語は生命体を持ってきた無人探査機「ピルグリム」を回収するところから始まり、ISS内のラボで調査を開始します。調査を初めて最初の数日はクルーたちの関係性や抱えているものが描き出されます。しかし右手を握りつぶされるところの描写は中々エグいです。骨折の痛みを知る人間からすると、あれはキツいです。そこから成長した生命体がラボを抜け出し・・・という感じで展開そのものにはラストを除いてこれといった新鮮味があるというわけではないです。が、ISSという実際にある場所、それも極度に限定された無重力空間という現実にある非日常的空間は、やはり真っ暗で広い劇場で体感するのが一番でしょう。まースターとはい一番最初の犠牲者であるライアン・レイノルズがパンフやポスターのメインを務めるのは詐欺な気もしますが・・・そういう瑣末な部分は置いておいて、わたしがこの作品で気に入った点は「現実的と地続きにある得体の知れない恐怖」を生命体の造形で見せてくれた部分でしょうか。話の構造なんかはまんま「エイリアン」そのものなんですが、「エイリアン」がエイリアンという生命体・造形として完成された生物によってなすすべなく人間が殺されていくのに対し、「ライフ」ではあくまで地に足付いたデザインの生物が襲ってくるところでしょう。アメーバのヒトデのような、半透明で葉脈のようなものが浮きだったデザインは生理的な気持ち悪さを際立たせます。この恐怖感は、「エイリアン」や「遊星からの物体」のようなものではなく、むしろ「ミクロの決死圏」などの自分の体の一部などの「細胞」そのものに脅かされる恐怖に近いと思います。現に、劇中の生命体はあくまで単細胞生物であることが強調されていますし、作り手もある程度意図しているのではないかと。まったく違うものではなく、一定の近似を見せているからこそのおぞましさ。それでいてエイリアンのように明確に顔や手といったものがないため、そういったもの以上に理解ができないためエイリアンよりも怖い。ただし、得体の知れないなにかであるのは中盤までで、成長を続ける中で明確に顔が形成されてしまうんですよねぇ・・・これははっきりって失敗だったと思います。デザインそのものは好きなんですけど、顔を作ってしまってはもはやそこからなにかを読み取れてしまうんですよね。それすらできない単純な細胞生物だからこその恐怖だったはずなのに。単細胞生物でありながらーというのを狙ったのかもしれませんが、だったらなおさら顔とかいらないと思うんですよねぇ。ここはちょっと残念なポイントでした。

 あとは後半まで生き残る真田広之が急に別行動に出るところとか、いまいち分かりづらかったです。いや、忖度できないわけでもないんですけど、それにしてはあまりに唐突な行動すぎるんですよねぇ。あと生命体視点のあれとかいらないかなーやっぱり。まあ気になった点はその程度で、あとは全部大好きですね。

本能でヒトを襲う生物と憎しみという人間に特有の厄介物でもって生物を殺そうとするヒトをセリフでわかりやすく強調しているのとか、気が利いてます。

宇宙服の中で溺死するキャットさんとか、なんだか日本語が怪しい真田広之とか色々注目したいポイントがあるんですが、やっぱりラストこそがこの作品の素直さを象徴していると思ふ。

いわゆる完全なバッドエンドなんですが、普通なら匂わせる程度で終わらせると思うんですよね、こんなビッグバジェットだと。脱出船が二つ飛び出した時点で、わたしは「あーこのまま実はどっちがどっちなのか曖昧にしたまま終わらせるんだろうなー」と思ったんですが、ところがぎっちょんてれすくてん。明確なるバッドエンドで終わります。二つ飛び出した脱出船の両方が地獄行きだったという救いのなさ。そんでもってエンドクレジットにスピリット・イン・ザ・スカイを流す意地悪さたるや・・・。

いやーマジ最高でした。

パイレーツとか

別に今更パイレーツとかそんなに観るつもりはなかったんですが、誘われたので観に行ってきました。IMAX3Dで観てきたんですけど、あんまり3D要素ないのであんまり必要ないかなーと。逆に4DXだと楽しめるような気もします。

 うんまあ、これといって書く事ってあんまりないんですけど、や、全然面白かったですよこれ。一応、最後の海賊だけで話が完結するようになってますし(mcu的なアレがあるので続編作る気満々ですが)。しかしデッドマンズチェストがすでに10年前ですしわざわざ見返したりしてなかったので細かいところが「うん?」となっていたりはしましたし、生命の泉とか多分観てないんでどう繋がってるのかとか知らないんですけど、監督はこれまでのシリーズとか別の人間だったからか、割とフレッシュでおバカな発想が多めで楽しかったです。まあよく考えれば車輪転がしながらの剣戟とか視覚的に面白い場面っていうのは以前からもあったりはしましたけど、そういう意味では今回も面白い場面は多めでした。処刑場面とか銀行強盗(文字通り)の場面とかは派手派手でバカらしく面白かったですよ、はい。正直なところ今回のメインキャラ二人に関しては結ばれる理由とかいまいち弱いような気はするんですが「美男美女が結ばれる」というポリコレ重視のディズニーには割と珍しい、いい意味で無頓着な寓話的な恋が見れたという意味ではまさしく頭空っぽの娯楽大作で潔い。ていうかバルボッサさんね、うん。今回はこの人が事実上のメインというかまあ、自分的にツボなポイントだたわけです。ジジイ萌え。

 だからこそ最後のターナー夫妻の部分はもうちょっとねぇ・・・両親いないんだからさーと思わなくもなかったり。まあ正しく娯楽大作あろうとする姿勢は素直に評価してもいいんじゃないかしら。

 

 Dlifeでレミーのおいしいレストランがやっていたので、そちらも観賞いたしましたです。カルアーツ出身の天才としてこれまでアイアンジャイアントmr.インクレディブルといった名作を監督してきたり、トイストーリー3といったものにもかかわっているアニメーション監督であります。個人的にはシンプソンズのブラッドバードってイメージがありますけど。トゥモローランドは批評的にも興行的にもイマイチだったらしいですが、自分は割と好きだったりします。「え?」と思うところは多々あったにしろ。自分には才能なんてありませんし、ひと握りの天才が導いてくれるというのであれば、それはそれで楽な世界ではありますし、一側面的には事実でもあるわけですから。テクノクラシーを論ずる気はないですが。

 わかっていたこととはいえ、やっぱりアニメーションが面白い。キャラクターの動きは言わずもがな、CGで作りこまれたぐんぐん動く背景動画など、リミテッドアニメにはない画面そのもの・キャラの動作といたダイナミズムが観ていて気持ちいい。アニメーションはやはり頭一つ抜けてます。あと「味」を視覚的に表現しようとしている部分なんかは中々面白い試みではありましたね。焼きたてジャパンとかああいう感じのキャラのリアクションで見せるというのではなく、あくまで抽象的な色と波紋といったもので表現するのとか、同じディズニーのファンタジアっぽくもあったり。まあ、ぶっちゃけあまり伝わってこなかったですが。

 ストーリー面では王道に見えて少しゆがんでいるように思えます。それは多分、才能に固執するブラッドバードの作家性に起因するのでしょう。普通、リングイニがウェイターのまま終わるってちょっと「アレ」って感じになるでしょう。ダブル主人公でありながらリングイニが実はよくわからないキャラであり、レミーが主人公性を一身に背負っていることからしてすでにバランスがいびつなわけで。リングイニって最初から最後まで何がしたいのかよくわからないんですよねぇ・・・シェフになったいきさつもなりたくてなったというわけでもないですし、それゆえにシェフではなくウェイターとして働くことにまったく苦味がないというのも筋は通っているのに物語的にはすごく悪手にも見える。それなのに面白いんですから、やっぱりいびつだなーと。あとイーゴとかいうエゴそのもののキャラとか、批評家あたりの描写なんかもかなり恨みつらみのようなものが見えたりもします。DlifeのCMの合間に挟まるちょっとした解説なんかも中々あなどれず、イーゴが死神として描かれていることの描写なんかの解説は気づきませんでした(部屋が棺桶の形だったりタイプライターが髑髏だったり血をイメージさせる色を貴重にしていたり)。

 才能ある者の挫折だけを描くのではなく、対比的に才能のない者を対岸ではなく同じ岸辺にて描くといういびつさは、これまで観てきたレストラン映画(?)とも違う奇妙なものでした。シェフ~三ツ星フードトラックはじめました~とも、二つ星の料理人とも微妙に違う独特の語り口があったとです。そういえばレストランものの映画ってハズレないなぁ。

 あとプリディスティネーションも観たんですが、こちらも中々面白かったですがタイムパラドックスというか、閉じた時間における壮大なマスターベーションという感じでなんだかいたたまれない感じでした。や、面白かったですよ、ハイライン原作ですし。