dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのもの。

トランスフォーマー 最後の騎士王~わたしが語らねば誰が語る~

 大げさなタイトルにしておきながら、実のところあまり語りたくないというか、映画としての語る余地がないのでこのはてブで書くのがはたして正しいのかという疑問が残る。

 映画として語る余地がないと但し書きしたのは、「トランスフォーマー」という作品は映画ではなく一つの巨大コンテンツであるという前提があるからなんですよ。

 で、ことトランスフォーマーに関しては、わたしの場合は映画としてではなく一つのコンテンツとして、玩具スキーとしての視点が過分に入り込んでしまうので、映画の感想ブログと称しながら今回の記事は映画そのものの話から別の位相にあるような気がするんですよ。

 

 とりあえず映画としてどうだったか。つまらないといえばつまらないし、誰かがこの作品を映画として貶めたとしても否定はできません。かといって面白い場面がまったくないのかと言われるとそうでもないんですが……いや、やっぱりこれダメ映画だよなー。制作費がもっとも少なかった一作目が今にして思えばどれだけの映像的な見せ方と物語的な工夫をがんばっていたのかを再認識させられた次第です。いや、一作目も結構見づらいとこはあるんですが、それはベイの小手先の技量の問題で物語性と映像性という部分とは少し違うので。少なくともベイにとってはそれらは三位一体をなしていないと思う。

 最後の騎士王には物語が不在なんですな。膨大な資金でもって暴力的に叩きつけてくるスペクタクル(笑)な映像が物語の繋がりなしに(しかも映像としての繋がりすらない部分まである!)に下手くそなパッチワークとしてツギハギされただけなので映像そのものの迫力が上映時間が経てば経つほど無化されていくという本末転倒な結果になっている。そのくせ画面内のジャンクな情報は異様に多いので観たあとに疲れる。こんな映画で疲労残さすなボケ。

 人間側で語る余地があるのはタトゥーロとせいぜいホプキンスくらいかしらね。あのイザベラとかいう女の子いる? 登場からして身内のTFの死から始まって感動的な劇伴使って感動演出してこようとするんですけど、ポカーンでしょ。たまに「〇〇家式場→」みたいな看板がありますけど、まさにあれを観て「ああ誰か死んだんだな」と思うのと同じで、それ以上の情動はないです(わたしの場合はそれでもちょっと泣けてくることもあるんですが)。そもそもイザベラは物語に絡んでこないし。よく考えたら物語とかないから当然なんですけどね。場当たり的に用意される事象にテンションが高いだけの空虚な人間どもが対応するだけ。なんだこれ。あまりに事象化されているせいで黒沢清の映画を見ているような気分にすらなりましたよ。

 ホプキンスのかわいいおじいちゃんぷりとコグマンのやりとり、コグマンの疾走シーンは良かったですね。でもコグマンって変形しましたっけ? ヘッドマスターという情報が口にされるだけで変形してなかったような気がするんですが、玩具売る気あんのか? 変形しなくていいから単体でabs素材でフィギュアだしてくれたら買うけど。

 ジョン・タトゥーロが少しですけど登場してくれたのも良かった。ていうかシリーズ通して一貫してるのってタトゥーロ演じるシモンズだけですし。もうタトゥーロとトップスピン(なぜか生きていた)のケイパーものかロードムービの方が見たいなぁ本編より。設定的には地球に大量のTFが来ているわけなので、そういうのも作りやすいと思うんですけどね。しかもTFは追われているわけなので、ボニーとクライドとかテルマ&ルイーズみたいなのをTF×人間かTF×TFで見せて欲しい。ぶっちゃけビーのスピンオフとかもはやいらないんで。

 さて、肝心のTFはどうか。各キャラクターも登場して最初の方は色々と喋って動いてくれるんですが、それがキャラクターの魅力に繋がっているかというとぜーんぜんですね。オプティマスにいたっては完全に尻軽ビッチです。ビンタと電気ショックで屈服するとか姫騎士も真っ青な即落ちぶり。かと思えばビーの声を聞いた瞬間に方針転換するというブレブレさ。何がネメシス・プライムだよ。完全に中二病じゃんか。しかも玩具の名前はダークプティマスプライムなんですけど。もっと連携とれよハズブロパラマウント。最後の騎士王でわたしは実写作品に登場したトランスフォーマーたちに対して心底「どうでもいい」と思ったのですが、唯一オプティマスに対しては苛立ちに近いものを感じました。でもよく考えたらこんな老害を誉めそやすほかの外野たちも頭がどうかしているわけで、そう考えるとほかのキャラも嫌いかもしれない。まあ無関心よりはいいのかもしれんですが。まーでもホットロッドの声がオマール・シーだったのは結構いいです。吹き替えが多田野曜平らしいので、ちょっと食指が動く。

 個人的に一番がっかりなのはメガトロン。一作目のカリスマ性(人間やられたじゃんとかいうツッコミは的外れなので無視)は皆無のクソザコですし、故郷を元に戻したいって、オメーがおっぱじめた戦争で星が衰退したんだろうが。この辺はどうせ続編で後付け的な理由があるのでしょうが心底どうでもいいです。最後吹っ飛ばされたシーンが「ザ・ムービー」オマージュかもなーとかどうでもいいんです。その他の有象無象とか語るほどのこともない。リベンジでフォールンに腰低かったあたりから怪しい空気が漂っていましたが、今回で完全にエクリプスしましたね。あのね、シネフィルや映画痛ほどに映画を見ているとは言い難いわたしですけどね、ある程度過去の名作やら「マンチェスター~」「20th~」「ハートストーン」とか実在する人間としてのキャラクターを見てしまった今となっては透明人間のそれですよ、最後の騎士王のTFたちは。ダークサイドムーン、ロストエイジの冒頭までで死んでて良かったよ、アイアンハイドとラチェットは。

 インデペンデンスデイリサージェンスと似たようなこと(元をたどればTFの方が先ではあるんですが)をエメリッヒよりも退屈なシークエンスで見せてくれたり、相変わらずなにやってんのかわからんレイアウトだったり、TFというコンテンツへの思い入れを度外視すると「ザ・マミー」よりもつまらんかったどす。

 

ここから映画から少し外れる話。

 

 

ではなぜTFの玩具を買うようなオタクどもは最後の騎士王を観て喜ぶのか。それはとどのつまり記号を楽しんでいるからに過ぎない。伊藤が「萌え」に安心するオタクに言及していたように、スースクがヒットしているのと同じように、「最後の騎士王」を楽しめたという人は記号を見ているにすぎない。いや、わたしはキャラクターの記号化にすら失敗しているような気もしますが。

そもそもさー、スーサイドスクワッドの劣化版みたいなキャラクター紹介とか必要ですか? あれは一応、それぞれのキャラクターがメインの構成員として(機能していたかはともかく狙いとしては)重要な位置を占めるためにまあわかりやすくポップに紹介したのであって、大して活躍もしてなければ大半は何も成し遂げずに死ぬだけのモブキャラでしかないわけですよ。じゃあなんでそんな紹介シーンを挟んだのかといえば、端的に記号化されたキャラクターの玩具を売りたいからだ。これはあくまで憶測に過ぎませんが、作品としてへたっぴぃ映画にもかかわらずわざわざスーサイドスクワッドのあの部分だけを抽出してきたことの意図はそれ以外に考えられません。というか、「なんかかっこいいべ」とか「スースクで受けてたから」とかその程度の浅慮な考えだとは思いたくありません。映画を作る側がそんな程度の考えで作っているなどとは思いたくないのです。そんなんだったら、まだ玩具会社の打算と思いたい。つーかこんなんで玩具欲しくなる人いるのか。いるんですな、以前の自分がそうだったから。まあ、それでも一応の弁明を許してもらえるのなら、わたしは2007年のトランスフォーマーによって変形玩具の魅力に気づかされたので、玩具としてのかっこよさや面白さというものがあればそれが劇中に登場していないキャラであっても買います。そしてまた、大して活躍のないキャラでも玩具で劇中のとんでも変形CGを再現しようと全力を尽くす玩具デザイナーたちの誠意に応えるために玩具を買いますよ。でも、今回はそんなことすらどうでもよくなってくるくらいです。ロストエイジからの連チャンでこれでは、もうどうしようもない。

 ねー。スースク紹介しておきながらタカトミとハズブロはそのくせ未だに紹介されたキャラクターの大半は玩具化していないという怠慢。これも玩具好きとしてその売り方のあまりの売る気のなさに辟易します。

 制作側は、はたしてトランスフォーマーというコンテンツを理解しているのでしょうか。トランスフォーマーがほかのヒーロー映画と異なっているのは、ヒーロー映画がコミックという作品の中から浮かび上がった色彩豊かなキャラクターたちをライブアクションに置き換え、その作品そのものの魅力でもってグッズを売るのに対して、トランスフォーマーはその発端からして逆なのです。媒体の移植という同一パラダイム内の置き換えの過程の中でグッズ化されていくアメコミキャラと違い、おもちゃを売るためにアニメが作られコミックが作られていったトランスフォーマーとは出自からして違うということを製作陣は理解しているのだろうか。

 初代アニメが玩具を売るための作品であり、その前提から発した愛すべき天然馬鹿アニメとして魅力を発揮したことで、玩具ありきの宣伝アニメから立場が逆転し、玩具をも包括する巨大なコンテンツになったのです。日本の玩具を売るために作られたアニメ作品なんて掃いて捨てるほどありますが、ガンダムとTF以外に世界的なコンテンツとして認識されるものはありますか? ゲッターとかマジンガーとかは、そもそもそれ自体がエポック・メイキングで最初期に輸出されたから、という前提があるので同列には語れません。

 何が言いたいのか。つまり、作品としての完成度が玩具の売上につながるということを軽視しているんじゃないかということ。このような状態が続くのであれば、おそらくTFは再び下火になっていくことでしょう。TFファンとしては悲しいことですが、自壊していく巨大物を止めることはわたしごときにはできません。

 そうそう、ヒーローといば、チラシで急に「それは本当にヒーローなのか」とか唐突にヒーロー押ししてきた面の皮の厚さたるや正気を失います。オプティマスはそもそもヒーローじゃねえだろ。ヒーロー映画にフリーライドしようとしてんのは明らかですが、そもそもライドできてねーということを分かっていない。

ゴッドジンライやらプレバンのようなアコギな売り方をするのも反対ですが、売ろうとすらしているのか分からないなんて愛の無い扱いは玩具消費者として信用できない。

 

 オプティマス、本作ではついに変形すらしないですからね。ラストにカット切り替わったら煙の中からトラック出てきますけど、いくらシリーズものとはいえあれ初見の人はトラックがオプティマスだってわからんでしょ。ロボットモードのときなんてもはやトラックの部品ないですし。

 わたしはトランスフォーマーが好きなのであって、変形しないサイバトロニアンに興味はないです。どれだけ高クオリティのフィギュアが出されても、変形しない玩具を買わないというわたしのスタンスがそれを証明していますから。

  ハズブロ・タカトミはマーケティングが下手くそだということは前々から知っていましたが、ロストエイジからこっち玩具を買う気がどんどん削がれていっています。映画作品として、不出来。そして宣伝映画としても不出来。

 本当に悲しいことに、というか情けないことに、作品としての出来がはるかに上を行っているパワーレンジャーよりも最後の騎士王を語りたい欲求が強く、事実として大量の文章を書き上げてしまうこの不甲斐なさに自分が嫌になってきます

 TFの玩具をいつか売らなければならないなーとは思っていましたが、いよいよ大量に処分する日が来たのかもしれません。まさか玩具の宣伝映画を見に行って購買意欲をそがれることになるとは思っていませんでした。いや、ロストエイジですでにその片鱗は見えていたのですが、新章となる本作がこれではもはや光明を見出すのは難しいです。

 一作目がTFをライブアクションそのもので見せることでわたしに衝撃を与えてくれましたし、それによって創作物への意欲のある今の自分が作られた契機になったことは事実です。ですが、いよいよわたしもavgnのようになる日が来たのかもしれません。