dadalizerの映画雑文

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蜘蛛男、ヒーローの呪い

が、毎回に渡って描かれるスパイダーマン映画ですが、本作でも露骨でしたね「スパイダーマン・ホームカミング」

ライミのスパイダーマンが2002年でしたから、15年で同じキャラクターの別シリーズが三つですか。ライミシリーズが2002年~2007年、マーク・ウェブのアメスパが2012年から2014年(これは打ち切りですが)、そしてホームカミングが2017年。しかしこれだけあってどれも別物というのは面白いですね。

 ライミは心身と生活を絡めてはいましたが学園生活っぽさは少なく、マーク・ウェブは学園を背景に恋模様とヒーロー生活の両面を、主にグウェンとの恋をメインに描き、ジョン・ワッツのホームカミングは学園生活をメインにヒーローであろうとすることを描く。

 アメスパとホームカミングは割と共通点は多い気がしますが、比重の問題で別物になっていますね。アメスパはヒーローであろうとすることの呪いを二作に渡って描きつつ、恋人の死という別の呪い(ある種の解放と言ってもいいかも)によって最後の最後で完全な隣人ヒーローになった。能動性よりも、事故的にヒーローにならざるを得なかったように見えるのがアメスパだと思う。恋人の父親と恋人が死んでますからね。そりゃ仕方ないけど。

 その点、ホームカミングは涙っけはない。ていうか誰も死なないし。こちらはガーフィールドスパイディよりも積極的にヒーローになろうとしている。というのも、トムホのスパイダーマンには「アベンジャーズ」という公的なヒーローがいるからだ。これの影響がかなり作品の趣に及んでいる。

 先達としてのアイアンマンになろうとして失敗してしまい、学園生活の象徴(あの女の子)を振り切ってヒーローになる決意をし、それによって再起する。

 ライミやマークがヒーローとしてのスパイディのデビューと再起を複数作で描いたのに対し(どちらも一作目での懊悩はヒーローである自分というものに対する二元的なものであり、続編ではヒーローそのものへの悩みだったような気がする)、ホームカミングはそれを一作で描いた。これはやっぱり、すでにホームカミング世界では先輩ヒーローがいたからこそできたことだろう。かなり省かれたとはいえシビル・ウォーでスパイディのデビューは済んでいるし。

 で、ヒーローの呪いというのが何かと言うと、まあ分かりやすく「ヒーローと自分とのギャップ」でしょうか。今作が前2つのシリーズと違ってカラっとしているのは、トムホスパイディがギャップを感じていないから(というと過言ですが)でしょう。まあ最初からヒーローに憧れていてヒーローになりたがっている=ヒーロースパイディであることが彼のアイデンティティですから。ホームカミングにおける恋というのは、トムホピーターの中に残る日常の残滓であって、アメスパのような直接的なしがらみでもなければライミのようなドロドロで日常に直結したものとは違う。

 トビーとガーフィールドは見た目からしてすでに大人としての匂いを醸していて、そこではピーターとしてのアイデンティティがほぼほぼ完成している状態だったところに、スパイディという別のペルソナが生じたことで葛藤しますし、ヒーロー云々という話になってしまう。

 どっこい、トムホに関してはすでに参考になるヒーローがいるからヒーロー云々にはならないし、まだまだ自己の確立がなされていない状態でヒーローとしてのデビューを飾ったことでピーターとスパイディの境目が極めて薄いんです。だから、トムホは積極的にヒーローでであろうとするし、そこに抵抗はない。なぜならそれが彼にとっては日常を完全に逸脱した非日常ではないから。モンタージュでさっと流されますしね、街でのヒーローでの活躍。15歳という設定にしたのも、自己がまだ固まっていない年頃という納得度を増す。かといって14歳だと若すぎるだろうし。

 それでももちろん、ピーターとしての日常も彼にとっては重要だ。それは再三描かれるリズとのやりとり(失敗まで含めて)、リズへの拘泥によって浮かび上がっている。

 で、アベンジャーズと日常のシンボルたるリズとの狭間で揺れ、リズの親であり日常と非日常の象徴であるバルチャーを倒した上で救う。つまり、日常も非日常もどちらも捨てずに受け入れるという解釈でもよござんすと思うでござんす。

 だからこそ彼が最後に選んだのはアベンジャーズでもなくリズでもなく、その折衷案である「親愛なる隣人スパイダーマン」になることを選ぶ。しかもアメスパとライミスパの要素の折衷でもあるという。最初はあんなに街での活動よりアベンジャーズになることを志望していたことからも、ここらへんの解釈はあながち間違ってないと思う。

 アクション的にも見所はたくさんありますし、笑いどころも随所にあって飽きずに楽しめましたよー。冷房がちょっと強すぎたけど。

 あとアイアンマン一作目から劇場で追っている自分としてはチョイ役とはいえ久々にmcuグウィネス・パルトローが出てくれたのが嬉しい。しかも成り行きとは言えトニーとの結婚会見まで開いちゃうし。メイクのおかげなのか、アイアンマン3より若く見えたけど、錯覚かしら。

 自分の中での最新のグウィネスって観た順番的に「セブン」(え?)の首チョンパされちゃった妊婦さんなので、こうして多幸感あふれるペッパーとして出てきてくれると微笑ましい。

 そんなファンサービスもちゃっかり用意してくれるジョン・ワッツ。粋な男の「コップ・カー」も是非見たいところ。