dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

ジョディ・フォスターのB地区

 綺麗でした。

 というようなふざけた感想を綴るような内容ではないのですが、ジョディ・フォスターの乳首が見れるというのは本当です。しかしこの人、毎回ってほどでもないけど男に振り回される(振り回す)役をやってますね。タクシードライバーといい羊といい。

 しかしまあなんとも人の醜さがあらわになる映画ですこと。人というより、「男」――もっと有り体に言ってしまうと「オス」の部分でしょうか。だけんど、レイプ(に限らず人が苦しむところとか)を肴にするっていうのは必ずしも男性だけに限らないとは思うのですが、まあ事実として男の方がそういった素養があることは遺伝子的に強いということは示されていますからねぇ。MAOA遺伝子だったかしら。

 法廷劇ではあるんですけど緻密な情報収集だったりとか、どんでん返しがあるわけではなく、基本的にはエモーションで持っていく映画ですな。とはいえ「レイプ」ってある意味で「殺人」よりも人の好奇心を誘う題材ではありますから、飽きずに見ることができるのです、半ばゴシップ感覚で。ところが、このゴシップ感覚というのが結構な曲者でして、映画を観ていると何度も下衆な顔を見ることになって、この映画を見ているこっちが反射率が低いとはいえ鏡を見せられているようにすら思えてくるんですな。レイプ犯やそれを教唆した男ども(特にあのCDショップの男)を観ているとすごーく不快感でいっぱいになるんですけど、それってたぶん自己嫌悪的なものを少なからず含んでいるんじゃないかしらーと。

 前述した「レイプ」が「殺人」よりも気を引くというのは、映画の中で「殺人」が陳腐化されているという(見せ方次第ですが)こと以上に、それが野卑でありながらも「殺人」よりも卑近なものだからじゃないかしら。そして、「殺人」ほどダークでディープな心理領域ではない、もっと日常的に浮上してくる心理領域に「レイプ」ってものが属しているからじゃないだろうか。こんなこと書くと、まるで自分がレイプを行いやすい犯罪者予備軍のように捉えられてしまうかもしれんですね。弁明とかではなく、自分はふざけた記事タイトルとは裏腹にジョディ・フォスターがレイプされるシーンは正直見るに耐えなかったです。しつこく描くことに意味があるとは分かっていてもレイプシーンが長いこと長いこと。あまりにもおぞましくて醜い。で、そのおぞましさや醜さっていうのは、身近であるがゆえに強いんじゃないかと思う。

 この点に関しては、物理的な距離と心理的な距離って案外比例するんじゃないかと思ったりする。

 それと、誠実さという点でも割と語り口がありそう。ケリー・マクギリスが演じる検事が取った、サラ(ジョディ・フォスター)への、そしてなにより自分自身への不誠実さ。あるいは、審理のときに被告の弁護側にいたデブの不誠実さなんて、まーひどいことひどいこと。サラへの質問なのに彼女の方を見ずに真っ先に陪審員に向かっていき目で訴えるところとか、そのあとの審理での詭弁というか。まあそれが仕事ではあるのですが、対比的に置かれているマイケルベイに似た弁護人がサラに対してなるべく配慮していた部分などもあったので、余計に際立つことに。あとケンくんもそうだよねー。まーちょっとケンくんのあたりは色々と言いたい部分はあるんですけれども。

 

 ジョディ・フォスターはさすがの演技力ですが、彼女がレズビアンであると知った上でみるとケリーとの視線のやりとりなんかがちょっと怪しい匂いを感じさせたりしますな。そうでもなくとも、星占いとかのちょっとしたウーマンス要素もあったりして百合好きは見てみるといいかも。

 余談ですが、ケリー・マクギリスは実際にレイプされた経験があるとか。すごいな。