dadalizerの映画雑文

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「ヒドゥン・フィギュアズ」(邦題:ドリーム):正統派な私TUEEEEEE映画として

 たぶん間違いなく日本ではヒットすると思う(ていうかしてほしい)。なぜなら実録もので、正当な成り上がり人間ドラマであり、俺TUEEEEの系譜であるから。

 俺TUEEEの基本的な流れとして、無双する主役たちがまずは新しい環境で見くびられることから始まり、力を見せつけることで彼らを見返し、最終的には同一の目標に向かって取り組むという流れがあると思うのですが、それをまさに地で行く映画です。

 もっとも、不出来で安易で葛藤のない妄想垂れ流しのそこいらのラノベとは違い脚本も演出もピカイチであります。その意味で、わたしは「正統派」と呼びたい。オデッセイなんかもそうなんですけど、天才たちが何やら難しい話しをして、それが解決につながっていく場面というのは言葉のあやとかではなく鳥肌が立つんですよねー。それが自分の理解できない領域であればあるほど、人間の歴史が培ってきた「知」を見ているようで。葛藤や軋轢、逆境の中で「強さ」を見せられるからこそ俺TUEEEというのは映えるのであって、それをわかっていない作品がどれだけ粗製濫造されていることか。

 

  まずは配役について。主演三人はいわずもがなですが、脇を固める役者陣も軒並み素晴らしいです。ケビン・コスナーは歳を重ねてますます魅力を増しており、本作でも良い意味で実力主義で有能なチームリーダーを演じていて、劇中での彼の働きにも是非注目してもらいたい。ビッグバン・セオリーで物理学の天才ギークであるシェルドン・クーパーを演じていたジム・パーソンズが典型的なミソジニーを演じていて、そのくせキャサリンに常に先をいかれて狼狽しているのが、シェルドンがもっと差別的で嫌な奴だったこんな感じなのかなーと思ってちょっと笑えますが、ブロードウェイなどでも活躍しているということもあって演技はしっかりしています。キルスティン・ダンストもねー、地に足付いた嫌な女をやらせると本当にうまいですね。最近だと「バチェロレッテ~」でも嫌な女をやっていましたね。彼女、コーエン兄弟のドラマ「ファーゴ」にもレギュラーで出ているらしい。「ファーゴ」気になっているんですがまだ見れてないのぉ。「ムーン・ライト」で父親のロールを演じたマハーシャ・アリも主要メンバーに比べると出番は多くないですが、それでもしっかりとキャサリン(タラジ)に貢献しています。

 

 本編については、まあ見れば分かることではありますが演出や衣装、レイアウトなど全体的にレベルが高いです。

 たとえば差別描写。コーヒーポッドやトイレといったわかりやす描写もさることながら、さりげない差別描写がきついです。たとえばタイトルが出るまでの冒頭のシーン。エンストで車が止まってしまっただけなのに、通りかかったパトカーを見るやいなや彼女たちは車の外に出て並ぶのですから。いかに強制をさせれているか、背景が浮かび上がってきます。きついと言っても残酷だったり凄惨だったりということはなく、むしろ彼女たちはジョークを飛ばすことでコミカルな風にも見えます。が、部屋に入った瞬間に視線が集まる場面などはぞっとするものがあります。

 衣装について特に見て欲しいのは、ニグロ女性たちの服装です。そこには統一感が自然と浮き彫りにされています。もちろんそれは、劇中で言及されているとおり、黒人差別からくる強制ではあるのですが、それゆえに団結の証として、なおかつ個々に違うことを示すように様々な色合い・身長・模様の服装で彼女たちはibmの部屋へと闊歩します。衣装デザイナーのカルファスは当時のカタログの百貨店のカタログを参考にしたということもあり、まったく違和感がないだけでなく直接的に演技者たちの演技に貢献してさえいます。それがどういうことかというと「姿勢」です。彼女たちを見ていればわかると思いますが、皆が皆姿勢がいいのです。これはもちろん役者陣の意識もあるのですが、洗練された姿勢という時代を視覚的に表現するためにカルファスは主演の三人にガードルをつけさせたということです。それによってすらりとした姿勢は、彼女たちの力強さを表現することに一役買っていることは間違いないでしょう。

 

 カメラワークも実に繊細かつ適切で、ある女性キャラクターの背中をゆっくりと引いて撮っていたりとても印象的でした。本作では「何か」越しに人物を撮ることが多いのですが、これに関してセオドア・メルフィ監督は撮影監督のマンディ・メルフィについて『私たちは、ドアや窓を通して、あらゆる障害を超えて撮影する方法について話し合った。物事を通して、美しさや感情をみつけようとした。やりすぎることはなかったが、できるときにはいつでも、そういう方法でアプローチした(パンフレットより抜粋)』と答えています。個人的にIBMが持ち込まれる部屋の窓が四つに分割されていて、それぞれの窓に一人一人が収まるような、それこそ個々の見方の違いなどを表しているような演出がとても印象的だったのですが、やはり計算された画角だったらしいです。そういう意図を理解した上で見てもらいたいです。ここはちょっと相米慎二監督の「あ、春」の山崎努と孫(息子だったかもしれんですが)の撮り方にもちょっと似てます。いや、似てないか。カメラの向きも違うし。 

ダンスト演じるヴィヴィアンに対して「そう思い込んでいることは」と言った直後、鏡の前のダンストをやや俯瞰気味のカットで映し出します。これ以上ダンストをいじめてあげるのはやめたげてよぉ!と思いたくなるような見せ付けられる撮り方。しかし、念頭に置いておかなければならないのは彼女もまた「女性」であることで男性から線を引かれているということ。つまり差別者でもありながら被差別者でもあるということです。少なくとも、インタビューを読む限りではダンストはそういう人物としてヴィヴィアンを演じています。そういった多層的な差別構造があることを考えると、ヴィヴィアンを単純な嫌な女として見ることはできないでしょう。ともかく、そういった人物を多角的に撮るのがうまいです。

 個人的にベストなシーンはチョークが手渡されるシーン。冒頭、キャサリンが少女だった時代に黒人の教師からチョークを手渡され、問題を黒板に解いていくのですが、後に会議にてケビンコスナー(白人)からチョークを手渡されるシーンと重なります。「幼子われらに生まれ」でもあったような手と手のシーンもだいぶキたんですけど、上手さという意味ではこちらのほうが上かもです。よりそっけなくしかし確実に描いているという点でも中々好印象ですし(まあ「幼子~」は場面的に湿っぽくなるのは仕方ないのですが)。先ほどは話の構造が日本のドラマ的と言いましたが、日本のドラマだとこの辺をベタベタくどくどと見せそうですからね。これくらいあっさりでいいのです。それで十二分に伝わるのですから。

 そして最後のカット。だんだんとカメラが引いていき宇宙特別研究本部のオフィスの、「開かれた扉」ーーいや、「彼女たちが開いた扉」ごしにキャサリンが映されて幕を閉じます。これほど明快で綺麗で作品テーマと一致しているラストもそうそうないんじゃないでしょうか。

 キャサリンが思いの丈をぶちまける場面が胸にくるとか、「中学生か!」と思うような三人の恋愛援助(笑)シーンなど愛らしくコミカルな場面など言及できる部分はいくつもあるのですが、ともかく見てもらうのが一番だと思いますです。