dadalizerの映画雑文

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完璧な革命

 うーん、なんだか不思議なバランスの映画だった。「PERFECT REVOLUTION」。

 慇懃無礼とでも言えばいいのだろうか。低姿勢で悪口を言ってくるタイプというか。オナニーがロックであるということを証明しているというか。バランスを取りつつそのバランスを破壊しに行っているというか。

 主演の一人の清野菜名の演技を見ていて、なんか話の「愛のむきだし」っぽさも相まって園子温こういう役者好きそうだなーと思ったら「トーキョートライブ」がデビューだったんですね。土屋太鳳の清廉さと上野樹里のくたびれた感じをミックスしたような顔つきで、本作の役柄にはピッタリだと思います。最初の方はミツのカリカチュアされた感じが少し鼻につく感じもあったんですが、リリーフランキー演じるクマがとても冷静に冷めた対応をしてくれているので上手くバランスが取れていました。おかげでそこまで気にならず。でもまあ、個人的には小池栄子が絶妙で素晴らしい塩梅の演技を見せてくれていたからこそ、このカップルを観ていることができたんじゃないかなーと思う。というのも、暴走しがちなクマミツカップルをより理性的な立場から見守ってくれているのが小池栄子演じる恵理だからです。ていうか、この人がいなかったら映画として成立しないような気もする。そうでなくともマスターベーションであるわけですから。

 で、この辺からわたくしめは前述のバランスという部分が気になった。この映画は恋愛映画である。それは作り手がはっきりと明言している。とはいえ、恋愛映画とはそれそのものがエゴというか独走性とも呼びたくなるものがあるわけで、作り手はそれを極力地に足付いたまま描こうとしているようなバランスを考えているんじゃないかと思うんですよね。

 たとえば衝動的・欲望的に行動するミツと対比的に理性的な人物として恵理を置いている。それはたとえば服装からもわかる。ミツは色合いの強かったりキュピってるような服装をしているのに対して恵理はグレーや白、色味の強いものでもグリーンだったりするわけで、どう見ても対比的に配置している。劇中での役割も同様に。だから、ポップに恋愛を描いていつつも実のところはかなり冷静に観ている節がある。とはいえ、ほとんどが人物の顔アップと手ブレカメラで撮っていることから、あきらかに登場人物に寄り添った撮り方をしていることもたしかですのよね。

 どうしてそうなるのかと考えたときに、そこにはもしかすると健常者である監督と障害者であるクマ(のモデルとなった熊篠氏)の間に埋めがたい解離があるからじゃないかと思った。

 だから、完全に同一化することはできず理性的な一線を引いているのではないか。しかし、一方で熊篠氏(へ)の強い思い入れもあることから、マスターベーション映画としての要素もふんだんに盛り込まれている。ていうか、クマのオナニーを動画に撮るという映画の描いていることそのものずばりを劇中でやっていますからね。

 つまりこれ、ほとんど熊篠氏の映画と言っても過言ではないのではないかと思う。もっと有り体に言ってしまうと熊篠氏のオナニー。それを補助する役割として監督の松本氏がいるのではないか。終盤も終盤のダンスシーンで二人以外が消失する場面、テルマとルイーズを思わせるラスト。

 そう思わざるを得ないような、不思議なバランスの映画だった。