dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

ナンバリング欠如

 おい午後ロー、なぜナンバリング作品で一作目からじゃなく三作目と失敗したリブートを流すのだ。おかげで「続・猿の惑星」を飛ばして「新・猿の惑星」を観てしまったではないか。

と、理不尽な怒りをテレ東にぶちまけつつ猿の惑星シリーズ第三作目「新・猿の惑星」を観た感想をつらつらと書き下していく。

なんて書いておきながら、それほど感想らしい感想がないというのが正直なところであったりする。というのも、目下のところ「猿の惑星 隠された真実」を読んでいる最中で、幸か不幸かちょうど「新」のところまで読んでしまっていて、描写としての意味をこちらが読み取る前に答え合わせをする形になってしまったからである。ここが批評とは違うところだな、うん(?)。

いや本当に散漫な感想しかないんですよね。いや、続編の中ではもっとも高い評価を受けてるということなんですが、いかんせんネタバレされてしまったあとなので・・・と言い訳を前置きしつつそれでもいくつか思ったことをば。ていうか読書感想の方で触れる内容とかぶるし・・・。

「続」は観ていないんですが顛末は知っている(おいおい)ため、冒頭のシーンで困惑するということもなく、一作目を彷彿とさせる宇宙船が海に浮かんでいるところから始まります。

「続」のディテールがわからないので一作目との比較になるのですが、まず大きく違うのが遥か未来の猿が支配する地球ではなく現代(70年代)に舞台を移し、猿ばかりだった絵ヅラが一転して人間ばかりになっていること。あきらかに猿を被差別の対象として描いているのですが(ジーナたちに共感し身を隠すのに協力するサーカス一団の主であるアーマンドをアングロサクソンではない俳優に演じさせてたりとか、日本人からすると観ているだけじゃわからないディテールとかetc)、そういう政治的問題とは離れて見ることもできなくはなくもないんですが、やはり抑圧されたマイノリティの主張という点で語らざるを得ない。あまりに露骨ですもの。これまでは猿人同士による闘争の中で人間が扱われていたのに対して、今作は人間のアウェイでたった二人の猿を追い詰めていくわけですから、もはや寓意というか露骨に白人vs猿(黒人)という縮図が出来上がってしまっている。

猿の特殊メイクは引き続き素晴らしいのですが、ゴリラの出来がお粗末なのはどういうことなのかしら、と勘ぐってしまいたくなったり。

あとラストのマイロが言葉をしゃべるシーンのリピートの雑さとか、そういう粗探し的に見てしまうのはわたしが嫌味な人間だからか。

大衆芸術がその時代時代の政治や文化や経済といったものから不可分であるとはいえ、制作側の用意したディティールを正確に味わうには当時のアメリカの背景を知らないといけないという点では、あまり日本人的には向いていないのかもしれない。

うん、ていうかまあ、作品としてそこまで突出しているというわけではないと思いますしお寿司(猿の惑星ファンには申し訳ない)。

普通にリブート版の三部作のほうが映画としての出来はいいでしょう、うん。グレートウォー楽しみだなー。