あれか、自分が情弱だっただけか。仕方ないでしょう、別に「IT」のファンてわけじゃないんですから。とか愚痴を吐いているのは、本編が終わったあとに「第一章 終」みたいな字幕が出てきたからなんですが(これがヒットを受けて後付け的に足したものなのかは知りませんが)、そういうことをされると困るわけですよねぇ。
そんなもやもやした気持ちを抱えたまま劇場を後にしたわけですが、肝心の本編はどうだったのか。リメイク前の「IT」も原作も(そもそもキングを一冊も読んだことがないという)読んでないという体たらくで臨むのもアレな気はするんですが、ジャンル映画にしてはちょっと長いです。あと20分くらい短くしてくれるとよかったかなぁ。
とはいえ、まずはホラー映画であるという前提からもっとも重要なことである「恐怖」はどうかという部分ですが、うん、まあ怖いですよ、ええ。やっぱりピエロって怖いです。笑い声とかも、あの不快な感じはやっぱりいつ聞いてもくるものがある。ジョン・ウェイン・ゲイシーとかもそうですけど・・・第一あのデザイン考えたのは誰なんだと。ホラー映画ということで売り出されているわけで、実際に見てみると予告編にあるところは全体的に怖いです。だから予告編に集めたんでしょうが。
ただ、なんていうか、この作品で描かれている恐怖は何かこう、子どもにとっての敵でありながら大人が相克すべき必要悪的な尊いもののような気がするというか、懐かしさのようなものがあって、そういう意味ではどちらかというと「スタンド・バイ・ミーfeat IT」みたいな感じでせうか。スタンド・バイ・ミーにおける青春を恐怖のレンズを通して見た「大人はわかってくれない、子どもの感覚」というか。だから、この映画でピエロを怖いと思えた人は、たぶん、まだ子どもの心を持っている人なんじゃないかなぁ。
一緒に見に行った友人も「なんかあれみたい、スタンドバイミー」と言っていましたが、まさにその通りだと自分も思いましたです。よく考えたらあれもキングの作品だし、見終わったあとに思ったことは「ホラーというよりも古めかしいジュブナイル映画だった」という印象でしたし。
もちろんピエロが怖いので一番怖いのは冒頭の弟のシーンで、あとはまあ演出としては似たような(同じというわけではなく)感じなので割と絵ヅラ的に慣れてきてしまうというか鈍化していってしまうのがちょっと難点ではあるやも。といっても、似たようなというのは「子どもの(大人ひいては未知への)恐怖」という根っこを共有しているからそうなるわけで、なんとなく似てしまうのは構造的に仕方のないことなのかも、と擁護に回りたい気持ちもなくもない。
つまり、ビルの父親がわずかワンシーンしか出てこないのにあそこまで理解のない父親のように描かれるのは(ある程度大人な人は父親の気持ちを忖度しちゃいますが)、スタンリーの父親がユダヤ教の聖典を朗読できない彼を見下ろすように遠目に映しているのは、マイク(に関してはちょっと違うニュアンスも含まれていそうな気もしますが)の置かれた場所は、ベバリーの父親が風呂場を染め上げる真っ赤な血を認識できないのは、エディの母親の暴力的な庇護は、たぶん、そういうことだろうから。
子どもたちの恐怖と、それと遭遇する場所にも色々と想像が及ぶ。
ヘンリー率いるいじめっ子軍団に関しては、ルーザースの敵対者であると同時に、恐怖による繋がりでしかないグループであり恐怖を克服できなかった子どもたちとしての対比的な存在なのかなーと。
ベバリーといえばなぜあの血だらけの浴槽は幻覚ではなく、質量を伴い存在していた(少なくとも子どもたちには)のか。そして、ともすれば「そんな場合じゃないだろ」とツッコミを入れたくなるような風呂場の掃除場面をどうして入れたのか。それは、子どもたちが大人には見えない血を拭うことに意味があるからだ。大人には理解の及ばない子どもの恐怖、まさしくそれ(IT)に彼らが彼らの手だけで打ち勝つための前儀的なものなのではないだろうか。
全体的に、この映画にはどこか作為による牧歌的な部分があるのですが、それは彼らの青春の陽の部分にほかならない。ホラーであり同時にジュブナイルとして作られたこの映画には、あって当然なのだろう。
そういえば監督の前作「MAMA」でも子どもから見た母親と同じ母親から見た同位存在としての母親というものを描いていたし、監督は大人というものに何かしら思うところがあるのかもしれない。
見た直後はそんなでもないかなー、続編はまあ見に行かなくていいかなーと思っていたりはしたんですけど、こうして思い出しながら書いていると、むしろ続編が待ち遠しい気持ちになってくる。これは、だって、まだ終わっていないから。続編をやるとしたら大人になった彼らをメインにするのだろうなーと漠然と思っていたのですが、読みはあたっていたようです。
話の展開的として続編を作るとしたらそれしかない、という直観だったのですけれど、展開ではなく映画の構造そのものとして、大人になった彼らを描くのは必然なのだと感想を書いていて気づいた。「IT それが見えたら終わり」は未完成の完成品なのだから。続編と合わせることで止揚されるはずだから。
各キャラクターについても少し触れておこうかなと。
本作の主役であるビルを演じるジェイデンくんが(主に髪型のせいで)デイン・デハーンに見える。幼少のデイン・デハーンという感じで、その寄る辺なさがまたいい。
ビバリー(ソフィア・リリス演)は父親からの性的虐待を受けているというのがすごくアレなんですが、なんかこうジョン・ヒューズの作品にヒロインとして出てきそうな陽性も持っていていい。
リッチー(フィン・ウルフハード演)。今作のお笑い要素・癒し系担当。こいつの空気の読めないお調子者弁舌に魅了され観客も多いと聞く。唯一、単独での恐怖体験のないおそらくは観客のメタキャラとしての側面もありそう。一番ストレスフリーなキャラだし。
ベンくん(ジェレミー・レイ・テイラー演)。今作のお色気担当(違う)で、一番バストがあるため脱ぎ要員にされ恋模様の当て馬にされたかわいそうなおデブちゃん。でもブレインでもあったりするのでルーザーズクラブには必要不可欠な存在。ていうか彼の擁護派である、わたしは。ポエマーでいいじゃない。
スタンリー(ワイヤット・オレフ)。ラビの父親を持つパーマくん。顔を噛まれたりする割には相対的にスポットを当てられる場面が少なかったり、そのくせ絵画の女という独自の恐怖表現をもらえたりとおいしいのかおいしくないのかよくわからない役どころ。
エディ(ジャック・ディラン・クレイザー演)。骨折したけどギプスに女の子(ビバリーをいじめていた女子)から寄せ書きをしてもらったラッキーボーイ。ただしデブ母のせいで極度の潔癖症であり、その恐怖表現も結構グロイ。
マイク(チョーズン・ジェイコブ演)。ルーザーズのアタック担当。両親が焼死というかなりの恐怖を患っている上にヤギ殺しを生業にしなきゃいけないという劣悪な環境にいる。
決してスマートな映画とは思わないし大傑作とも思わないけれど、意外と、それこそ自分が思っていた以上に好きな作品かもしれない。
この記事を読み直したら頭とケツで立場が逆転していて笑えるのですが、こういうことがあるから感想を書き出すというのは意味があるのではないかと思ふ。
ただ、一つだけどうしても納得のいかないところがある。
ベンくんの気持ちだよ! ビバリー、お前はそんなんだからビッチって言われるんだよ!しかもラストのキスシーンでベンくんが不在なのもおかしいだろう!
二回も腹に切り傷を受けても頑張ったベンくんに対してそりゃないだろう! おいビル!ビルこのやろう! こうなったらベンくんとリッチーはわたしがもらっていきますからね!