dadalizerの映画雑文

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試写会から帰還


そんなわけで「クボ 二本の弦の秘密」の吹替完成披露試写会に行ってまいりました。

本編の前にはゲストとして、日本語吹替版の主題歌としてビートルズの「While My Guitar Gently Weeps」を三味線カバーverを担当した吉田兄弟が登壇し、生で「Fusion」を演奏していただきました。いや、ビビった。三味線てあんなにいろんな音色が出るんだなと。叩くような音とか、旋律とか、ちょっとあれを生で聴けるというのは試写会の前座としてはかなり豪華な気がします。あと、やっぱり三味線を演奏している二人の動きを見るのも楽しいです。同じ譜面を奏でるときのシンクロっぷりが「瞬間、心重ねて」かと思うほどだったりとか。

ちなみに日本版の主題歌に関しては日本の配給会社あたりの浅薄なものではなく(笑)スタジオライカから吉田兄弟への直接の依頼だったそうな。

その後にカメヨというキャラクターの吹替を担当した小林幸子が登壇したりとかなり豪華でした。吹替全然違和感なくてびっくり。キャリア積んでるだけあってかなり馴染んでます。

 

そんなわけでかなり充実した試写会だったわけですが、本編はいかに。

 

開始数分で目に涙が溜まってしまいました。純粋に、アニメーションに。命なきものに命を吹き込むアニメーションという映像表現の手法それ自体、そしてそれが持つダイナミズムへの感動に。わたしはアニメオタクでもなければ熱心なアニメファンというわけでもありませんが、そういった、もはや自己嫌悪性を失った蔑称を恥ずかしげもなく自称するくせにその実は記号に耽溺しているだけの奴輩よりは、アニメーションの快楽は多少なりとも心得ているつもりです。

クボの母が大波を切り・飲まれ・海底の岩に頭をぶつけたときのあの心底痛そうな「アニメーション」にわたしは気づいたら涙を溜めていました。「この世界の片隅に」ではボロボロ泣きましたが、あれとは別種のアニメーションの持つ力に涙腺を緩まされました。

ディズニーピクサーのCG的のように滑らかに動きながら、それでいてストップモーションならではの動きの感覚の妙に。こればかりは、映像の技術的な部分はまったくわからないので感覚としてしか伝わらないのでしょうが、ともかくストップモーションを感じさせないのに確かにストップモーションであるというのが、なんともはや堪らない快感をもたらしてくれる。これはシンゴジラにおけるゴジラの着ぐるみなのにCGというあの絶妙な質感にも似た感覚です。

これはなんの論拠もない完全な私見ですが、ストップモーションアニメが通常のCGやセルアニメーションと違って、その性質としてライブアクションとしての要素を持っていることなのではないかと考えています。つまり、物質として実体を持つ点でライブアクションでありながら、極度に抽象化・戯画化を行うアニメーションとしての質両方を併せ持つハイブリッドとしてベン図的に両方の交わる部分にあるのではないかと思うのです。

そして、それは両者にはない特殊な映像的質感を持っているのではないでしょうか。それが、涙の理由なのではないかと思います。

なんて書くと「CGで再現できるでしょう」という論駁をされそうな気がします。実際、「レゴムービー」や「サウスパーク」(はまあ切り絵とはいえそもそもが二次元的であるので微妙なところですが)といった例を挙げるまでもなくCGによってライブアクション(実写)の定義が揺れ動いているのは確かです。「コングレス未来学会議」における風刺を地で行くような「ローグワン」におけるキャリーフィッシャー(あれはちょっと不気味でしたが)のCG使いがありましたが、CGであればもはやなんでも再現できるだろうと。それは、ストップモーションの動きも再現ができるということなのではないかと。

実際、できるのかもしれませんが、技術的な面に関してはトーシロもいいとこなので何も言えません。たしかに、映画はスクリーンに映し出されるものがすべてですから「そう見える」のであればCGだろうがストップモーションであろうがどちらでもいいのかもしれません。現に、本作においても背景合成などをふんだんに使っていることは予告のメイキングなどからもわかりますし。

けれど、映画を見たわたしは、少なくともそんなことに軽々しく判断を下せるほどには浅慮ではありません。ただ、この映像的快楽を味わってほしいのです。

ともかくアニメーションの一つ一つ が素晴らしく、4800万種類の表情を持つクボの顔の動きはもはやデジタルではなくアナログな領域であり、実際の人間ともはや遜色がありません。

 

また、アニメーションそのものもさる事ながら、作品そのものの完成度も高いです。まずアメリカ人監督が日本を舞台に映画を作るというと、ヘンテコ日本を連想することが多くあると思いますが、本作はそんなノイズは一切ありません。

もちろん、カリカチュアされていることや舞台そのものが本筋的には背景として描かれているということもありますが、そこには入念なリサーチがベースになっているからでしょう。わたしは、作品を見ている間にこれが外国産の映画であることを完全に失念していました。それほどに違和感が脱色されています。公式サイトのプロダクションノートを確認すればわかることですが 、製作陣はむしろ我々以上に日本の、少なくとも特定の部分に関しては詳しいはずです。

そしてそれは、作品の描き方に夜部分も大きいのではないかと思います。なぜこれほどまで違和感なくすっと入ってくるのかと考えたときに、それは宮崎駿がヨーロッパ文化を取り込み印象主義的に描いたことと同じ作劇だからなのではないでしょうか。

だから、ともすれば脚本単体としてみればあまりに性急でご都合主義的にも思えるダイジェスト的なその旅路も、慣れ親しんだ民謡・民話として(そしてそれを絵として見せることによる説得力)すんなり受け入れることができたんじゃないかなーと自分なりに解釈しています。いや、それでも月の帝が特撮怪人さながらに巨大化+怪物化するのはなんかこう「巨大化は負けフラグ」のような感じで笑えてしまうのですが。

 

灯篭流しを持ってくるセンスやそれをストップモーションとして見せる手腕、盆踊りのシーンに90歳の日本人振付師を呼ぶ黒澤リスペクト(笑)な完璧主義なまでのこだわりなど、細部に言及していては枚挙に暇がないのですが、ともかくこれは大人が見ても子供が見ても純粋に楽しめる作品です。

戦闘シーンは多めですし、キャラクター同士の掛け合いも笑えたり泣けたりします。大別して二度ある戦闘シーン(特に猿の剣技)はやや短調ではありますが、ジャパニメーション的なケレン味をストップモーションという異化された位相で見ることができるだけでもかなりの感動があります。

ただ見ているだけでも、十分に楽しいことは間違いないでしょう。

 

ですが、何よりわたしが心を動かされたのは「物語」です。

伊藤計劃は自分に死が迫る中、WALKの「人という物語」という寄稿エッセイでこう書いています。「人はなぜ子供を持とうとするのだろう。勿論、人は死ぬからだ。人は死ぬから、死んで消えてしまうから自分自身を残そうとする。しかし、自分自身を残すとはどういうことだろう。子の肉体に宿る遺伝子は目にみえはしない。そこにあるのは育てた者のきおく。共に過ごした時間のきおく、そしてさまざまな性向や仕草、癖だ。それは物語だと言っていい。人は自らの物語を残すため、子を育てる。というより、人間は物語としてしか子に自らを遺すことはできない。何故なら、人間は物語でできているからだ。」と。

これは、まさに本作の描いていることではないか。

伊藤が死を意識する中で見出した人という「物語」のあり方。「クボ」はその諸行無常の中に物語としての人の美を見出そうとわびさびこそが本作の魅力ではないでしょうか。死を捨てることで物語の敵として立ちふさがる月の帝を、物語として母上とハンゾー(父)を継承したクボが、祖父である月の帝を人として生まれなおさせること。新たに町民の言霊によって人として物語を紡がれる祖父(ここはまあ、HEROESシーズン3のラストか!という感じの気味悪さを覚えなくもないのですが)は、もはや死を避けられない人となってしまいます。

それでいいのでしょう。なぜなら、そこにある美を見出して描き出しているのが「クボ」なのだから。

 

日本でももっとストップモーション作品が増えてくれないものだろうか、と思ったりしたわけですが、 もちろん日本にだってストップモーションアニメの土壌はありますし現に作っている作家はいます。 比較的メジャーでいえば村田朋泰クラウドファンディングで映画のプロジェクトを進行していますし、個人的に傑作だと思っている「眠れない夜の月」を監督した八代健志もそうです。

けれど、これはストップモーションに限らず日本ではどうしてもインディーズの体制にならざるを得ず、それゆえにできることも限られてくるのです。だからこそリミテッドアニメという手法が選択され、あるいはその制限の中で工夫を凝らすことで独自の生態系を作ってきたことが結果的に先鋭化されることにつながったわけですし。

ですが、やはり優秀なアニメーターを大量に投入し、あらゆる物資や時間といったリソースを割くことでしか描けないものも厳然としてあるのです。

それが「クボ~」であったことに、わたしはとても喜ばしい思いです。それだけに、駄作量産しまくってるTFシリーズ、ひいてはハリウッドの魔手に飲み込まれないようにしてほしいものです。もっとも、「バンブルビー」は本筋とはかなり毛色の違った感じなので、TFの傑作にもなりえると可能性があるのでTFファンとしては期待半分不安半分といったところですが。

 

年末には「ズッキーニ」も控えていますし、ストップモーションの波が来てくれるといいなぁ。