この間の「クボ」の感想で書きそびれたことなんですが、「クボ」における月と高畑勲の「かぐや姫の物語」における月には通じるヴィジョンがあるのではないかと。
どういうことかっていうと、要するに理解の外にある世界としての月。
「かぐや姫」ではそれが死の世界の暗喩として描かれていて、最後にかぐや姫に訪れるあのあからさまで有無を言わせない無言でドンチャン騒ぎな音を奏でる死の使者の描写は、つまるところ理解の外にある死の世界として描いているわけで。
「クボ」の月の帝も、死による物語の完結を拒もうとする、物語である人間を拒絶しているわけで、表面的には違うけれど根底は通じている気がする。
理解の外であることを描くために、あえて月の世界を描いていないという点でも共通している。理解できないものが描けるわけないですから。
という考察をしていたのですが、完全に抜けていたというのをブックオフで本を物色しているうちに思い出した。
そういえば今日はシンゴジが地上波でやるんでしたっけね。まあBD持ってるし見る必要もないんだけど、アベマで深夜からエヴァをやるのはちょっとみたいかもしれない。でも明日は「ザ・サークル」を見に行きたい気もするから夜更かししたくはないんですが・・・アベマといえば「ムカデ人間2」もやるし。グロは苦手なんですけどね。
あと積ん読本が尋常じゃないことになってきていてやばい。映画の時間削らないとやばい。