dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

ズーイーかわいいよズーイー

だけの映画かと中盤までは思ってたんですが、そんなもんじゃなかった。いや、わたしのようなズーイー好きはそれだけでも割と見れるんですが、普通に映画として素晴らしい出来だったので別々に語る余地があるという。一粒で二度おいしい映画です(ズーイーファン限定)。そんなわけで、今回は素晴らしい一つの映画作品として、そしてズーイー映画としての両面から語っていきたいと思います。 

 

映画としてどうか。わたしの印象は、ほろ苦くも優しい傑作ではないかと。

 ただ既述のとおり、前半までは「ある愛の詩」的に生暖かい目線でズーイーとの恋愛を楽しむという形で最後まで突き通すのかと思っていたのですが、そんなものではまったくなかったことがわかり、後半になってようやく冒頭の「これは恋物語ではない」という意味が分かったのです。

そう、これは恋物語なんかではなく、恋物語という過程を通じて結果を逆算的に描き出す物語であり、そしてその過程をこそマーク・ウェブは重厚に描き出す作家なのではないかということを、アメスパからの本作という過去をたどる形で彼の作品を観て強く感じた。しかも、その結果とは必ずしもグッドエンドではない。ただそれでも彼の作品に温かみがあるのは、劇中で重厚に描いてきた過程によって引き起こされたその悲しい結果のその先をしっかりと提示しているからだ。

この「500日のサマー」も「アメイジングスパイダーマン」二作も、大事な人との別れという悲しい結末に至るその過程を劇中で紡いでいる。だけれど、いずれの作品も最悪の結果を導いてしまったその過程を否定したり捨て去ったりするのではなく、正面から肯定した上で立ち直りその先を提示しているのです。

本作は、というかマークウェブという映画監督は過程と結果、そしてその先のさらなる出発を描く作家なのだと気づいた。結果にばかり目を向けるのではなく、そこに至るまでの辛いことや嬉しいことや悲しいことや喜ばしいことすべてのプロセスを大事に描くのがマーク・ウェブなのではないかと。しかも、本作ではそのテーマと演出が一致しているという。

まず変わった演出としてスプリットスクリーン。冒頭からトムとサマーの幼少期の映像をスプリットスクリーンで左右に配置して描いているのですが、中盤でも再び見解の相違から喧嘩をしてしまった直後の二人を同時にスプリットスクリーンで映し出します。左のトムが暖色カラーであるのに対して右のサマーは寒色のカラーでライティングされています(ここに限らず、サマーの衣装や家彼女の部屋の内装など全体的に青を基調とした黒や白など。見直すと幼少期の時点から画面が青々しくて驚き)。思うにこの色合いの違いこそ二人が相容れなくなることを暗示していたのかも・・・というのは深読みか。

けれど、冒頭の幼少期の二人がたんぽぽとシャボン玉を通して交じり合う演出が劇中のような「親密な関係になるけれどすべてが通じ合うことがない」ことを示すような色使いと画面分割は、やっぱり二人の関係の終着を予見させているように見えるんですよね。

そう思ったのは、後半にいたって再びスプリットスクリーン演出が用いられているからです。これまでのスプリットスクリーンでは左がトムで右がサマーだったのですが、後半では左が「EXPECTATIONS(期待)」で右が「REALITY(現実)」として区別されているのです。ここにおいてサマーを現実の表象として使い、期待(理想)をトムに背負わせ、あまつさえ現実(サマーの指にあるもの)が侵食することで完全にすれ違っていることを明確にする。そのあとの過去回想における「卒業」を見る二人の反応の違いとか、些細なすれ違いという、トムが無視していたマイナスな「過去の過程」を後から提示しているし。

まあ、前述したサマーのパーソナルカラーから何かしら冷めた部分があることはわかっていたわけですが・・・。

そして時系列をバラバラに入れ替える演出。これによって個々のイベントの結果を先に提示し、そこに至るまでの過程を後から入れ替える描き方をしている。この手法はそのままマーク・ウェブの作家性と完全に一致している。

細かいとこだとカメラのブレの演出とかも良かったどす。

 

そんでもって配役もナイスです。ジョゼフ・ゴードン・レヴィットは名前だけ何かで知っていて、今回初めてちゃんと動いているのを見たわけですが、ジェームズ・マカヴォイトビー・マグワイアを足してアンドリュー・ガーフィールドで割ったような絶妙なヒョロ弱っちい感じとか、そこからのラストの七転び八起き感とかすごい合っていて、グリーティングカードの言葉を考えるというのも、「her/世界に~」のホアキン的ナイーヴでセンシティヴさ表現としての職業というのイイ。で、実は「建築デザインの仕事がしたい」というのも、物語の展開として重要なファクターになっていて納得。まあ、公開時系列的には「her~」が後ですが。

あとはクロエ・グレース・モレッツ。彼女はどちらかというとぶちゃかわ系だと思うのですが、いい妹を演じていますです。

 

それと随所に笑えるポイントもあるのが好印象。トムとサマーが二人でレンタルDVDショップのアダルトゾーンに入っていって男の人が不機嫌そうに出てくるところとか、クロエとの掛け合いとか。ほかにもサマーとのセックスの翌朝のトムの浮かれ気分をミュージカル調に演じるのとか(ちなみに未公開シーンで失恋パターンもあって笑えます)。

あと吹替もうまくニュアンスが伝わる翻訳のされかたなので、意味を把握するとしたらむしろ吹替の方が良いかもです。あとエンドクレジットへの入り方が最高「オータムよ」からの(1)がもう、まさにアメスパ2のラストと同じ希望を感じさせる終わり方で。

 

そういえば劇中でベルイマンの「第七の封印」パロがあったのは、マーク・ウェブ自身の運命というものに対する視線を援用するためなのかーとか思ったり。

 

 

そしてズーイー映画として。

そもそもズーイーは女優としてのキャリアはそこまでではなくて出演作品もそんなに多くない(というか出演しているのが短編映画だったり、そもそも日本では劇場公開作品してなかったりで見る機会がない)のですが、ズーイー映画としてはかなり上位でしょう。「イエスマン」におけるズーイーを揺るがすほどの!

ただし、やや方向性が違う。「イエスマン」におけるズーイーはキュートさに全振りしつつ、時折見せる隙(自宅とか)にエロさを見せていたのですが、今回はそのエロさを意図的に使っているような気がする。イエスマンのときから思っていたんですが、ズーイーのノースリーブはやばい。何がやばいってともかくやばい。

だってトムは長袖なのにサマーっていうかズーイーは半袖ですからね。透けてたりもうるし、もうね、エロ可愛いすぎて辛いです。髪型もしょっちゅう変わるし、彼女の七変化だけでも十分くらい楽しい。

ていうか、彼女は何を着ても基本的に可愛くなるのでファッション業界は彼女をどんどん使っていってください。もうアラフォーですけど。生きたリカちゃん人形と言えるかもしれない。

ていうか「あの頃ペニーレインと」にも出てたことにウィキで初めて知った。マジですか。まったく気付かなかった。

 ズーイーはまずブルーアイズがいい。エマストーンより断然ズーイー。あと顎周りの肉付きが結構あって顎も割と角張っていて割れているのにかわいい。否、だからかわいい。

中盤、トムとサマーがベッドに横になっているときのノースリーブが肩から浮き上がってるのとか、かなり萌えます。萌え萌えです。

 

ズーイー好きは絶対に見るべし。って今更見てるの自分だけか。