dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

ギフテッド

さあさあ、昨日に引き続きマーク・ウェブ監督の作品でございます。

というかこの「ギフテッド」を観るために「500日のサマー」を観たようなものなんですけど。もちろん、前から観たいとは思っていたのも事実ですが。

 

叔父と少女の巧みなヒューマンドラマということもあって、劇場では鼻をすする音が聞こえてきました。わたしも結構ウルッと来ましたが、映画を観るようになってから以前にもまして涙腺が弱くなった気がする・・・。

 

「500日の~」ではアメスパを引き合いに過程を描く作家がマーク・ウェブであると(勝手に)述べましたが、これまでの劇場公開作品で彼は基本的に別の人に脚本を書いてもらっているわけで、ストーリーだけ見ると「500~」と「アメスパ」に共通する恋要素がないぶん、「ギフテッド」はそこまで関連性は見いだせない。

けれど、恋が愛に置き換えられただけで、やっぱり同じことを描いているんじゃないかなーと個人的には思います。ただ、前3作とは異なるのがクリス演じるフランクという人物を軸に、本作の主眼でありラストに提示されるメアリー(マッケナ・グレイス)の物語(過程)を通じて獲得した環境(結果)と、ありえたであろう彼女の「別ルートの結果」を提示することで獲得した結果を相対化させているのではないか、と。

別ルートとは、要するにメアリーの実母たるダイアンの末路。すでに劇中では亡き人物でありますが、登場人物を巡る重要なファクターとなっています。

ダイアンの人生は人物の口から語られこそすれ、直接描写されることはありません。それでも、メアリーやイブリンやフランクという人間を描写する中で必然的に浮かび上がってくるのです。イブリンから見たダイアン、フランクから見たダイアン、そして最後にはダイアンから見たイブリンがフランクというフィルターを通して明らかにされます。ただ、ここで読み違えてはならないのは決してダイアンはイブリンに憎しみのみを向けていたわけではないということ。そんなことはナビエストークス方程式の証明を記したノートの「YES!」を見ればわかることではありますし、リンゼイ・ダンカンはそれだけの重層さを持ったエブリンを演じきっている。

メアリーのあったかもしれないーーあるかもしれないーー結末として存在するダイアンは、けれど単純なバッドエンドではありません。一人の娘としてダイアンを愛するには、イブリンはあまりに過去にとらわれていたし後悔もあった。それをわかっていながら彼女を全面的に糾弾するのはあまりに酷でしょう。だからこそ、息子のフランクの手からダイアンのノートを渡したのは作り手の、数学者としてのイブリンへの救済なのです。母親イブリンはたしかに娘ダイアンを死に追いやる原因となったけれど、数学者イブリンは数学者ダイアンというミレニアム懸賞問題の一つを証明するほどの数学者を育て上げたのですから。

であれば、今度はメアリーの望みを真っ当に叶えてあげることが物語としての筋なのです。屈折した母の愛情ではなく、心からの叔父の愛情で育むことが。

えー、紆余曲折あって結局は元の場所に帰着するというハッピーエンドの形式はMなにげにマーク・ウェブ作品では初めてかもしれない。

メインに描くべき登場人物がこれまでに比べて多いながらも、こんがらがることはなくなっています。アメスパ2では(主にスタジオ側の要請によって増えた)人物を捌ききれずに持て余してしまったのは否めませんが、今作では血の通った骨子ある脚本の甲斐もあって上手に描ききっています。もちろん、脚本だけでは描写しきれない部分を各々の役者の見事な演技で補強しているからこそですが。

 

物語としてはこんな感じでしょうか。

 

演出・描写に関しては「500~」から連続していますな。アメスパは細かいところ忘れてしまったのですが(汗)。

冒頭、ホームムービー然とした揺れる画面から二人が映し出され、次第にカメラのブレが心情を表しているんじゃないかなーと思うあたりは、「500~」でも見られましたが今回はかなり揺れる揺れる。後半になってくるとカメラの揺れはほとんど意識しなくなるくらいなくなっていくのですが、やはりフランクが動揺しているときは激しく揺れます。

劇中のカラーがなんとなく「500日のサマー」と似ている部分があるなーと思ったらプロダクション・デザインも同じ人でした。ロケーションといい小道具やセット全体の色味といい、ローラ・フォックスさんいい仕事してます。そして、そのロケーションや背景を味わうためのアス比として使われるシネマスコープもかなり効果的で、人物とその余剰空間が彼らの存在する空間の広がり(と逆説的な狭さ)を堪能できて映画を見てる快感を得られます。地味に遠景のショットがあったりするので、それをこのサイズで見れるのはやっぱり劇場で観賞してこそだと思います。

子役演技に関しては、カメラを隠して実際に授業を受けていると思わせて自然な振る舞いを引き出しているということで、いや本当に違和感ないです。そりゃ素のままなんだから違和感がでるわけもないんですが、子どもたちが自然体でいることでカメラの存在を認知しているマッケナとジェニーに伝播している感じがあって、教室のシーンは是枝裕和の子役描写とはまた違った自然さがあって面白い。

で、わたしはケネス・ロナーガン監督の「ユーモアがないのはダメです(意訳)」という至言にかなり共感しているため、ユーモアセンスのチェックをしているわけですが、本作でもかなり笑えるポイントはあります。

ある現場に遭遇したときにメアリーが口にする「おはようございますボニー先生(笑)」とか、表情も相まってニヤニヤします。

ほかにも即落ち2コマのようなベッドインや、レゴのくだりからピアノにいたるまでの日常会話の中にある掛け合いの可笑しみなどは「マンチェスターバイザシー」や「20th century women」を彷彿とさせます。こういう日常から生じるふとした笑いというものは、クリシェのキャラクター描写からは中々生じえないものだと思うのですが、そう考えると「ギフテッド」は「マンチェスター~」や「20~」と比肩する人物描写ができてるのではないかと思います。

実はこのピアノのくだりは演出的にも優れていて、メアリーに対する接し方をピアノを通して描くことでフランクとイブリンの対立する親子の共通性・血の争えなさというものが行動で示されていたり、気の利いた配慮がなされています。

 

演者はまあ言うまでもないんですが、校長や判事・弁護士といったチョイ役も印象に残るくらいみんなよござんす。

マッケナの前歯がないのも、子供らしさと大人びた(決して大人ではない)部分があることを印象づけてくれますし。11歳が7歳を演じるのって結構難しい気がするんですけど、見事にやってのけてくれてます。

オクタヴィア・スペンサーもフランクのケツ叩き役として十二分な役どころを演じてくれています。

キャプテンアメリカでお馴染みのクリス・エヴァンスですが、個人的にはむしろこっちの若干ダメな部分を抱えて苦悩する役どころの方が好きだったりします。

で、おそらくマッケナやクリスを褒める人が多いと思うので、既述の中ですでに言及していますが再度リンゼイ・ダンカンを褒めておきたい。

いや、かなりすごいと思うんですけどリンゼイさん。ダンカンこのやろうとか思ってすみませんしたくなる。

劇中の人物で一番複雑なのは実はイブリンだと思うんだけれど、ダンカンさん普通に演じきってますもの。

 

あとはまあ学校の授業で自宅の動物を連れて行って紹介するのとか、シネマスコープで撮られた浜辺のシーンが最高とかいろいろあるんですが、とりあえず見ればわかるので。

 

えーここからちょっとパンフレットに関して。

 FOX★、FOX★このやろう。正確にはFOX★サーチライトピクチャーズですけど、自社作品の宣伝に七ページのカラーページ割くなよこんにゃろう。おかげで(かどうか知らんけど)通常のパンフレットより100円高かったわ! 宣伝作品も気になるしほかの部分が充実してるから許すけど! これはパンフレット全般に言えることですが、役者へのインタビューって基本的にどの作品でも同じようなことしか言わないから退屈なんですよね・・・もっと撮影秘話とかそういうの入れてくれてたりするといいんだけどなぁ。なきゃないで文句言うし、ページ数考えればギフテッドのパンフは費用対効果はありますけどね。

ていうか売店の表記720円だったのにレジスターの表示820円だったのはどういうことだイオンシネマこのやろう。