dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

キャリアを積むことでのみなし得ること

あるところに仲の良い悪ガキ4人組がいた。

その昔、4人のうちのある男は大阪の街でヤクザと戦った。別のある男はゴッド・ファーザーと呼ばれあるいは幼女に惚れ込んだ。それとはまた別のある男は解説することでそばかすを増やした。それともまた別の男は野獣と結ばれる美女の父親だった。

そんな様々な過去を背負った4人が、一堂に会する映画がある。名を「ラスト・ベガス」という。

 

すみません、ぶっちゃけケヴィン・クラインの作品は「美女と野獣」以外に見たことなくて彼に関しては何一つ思い浮かばず適当にやっつけました。あと、別にそんな大した映画ではない(爆)ではないと思うので変にカッコつけたことに意味はありません。

幼馴染の4人が、メンバーの一人の結婚をきっかけに「ベガスでバチェラーパーティやるべ」という話です。といっても、自分は結構好きな映画なんですけど。

 

監督はジョン・タートルトーブという人なんですが、彼のフィルモグラフィを見ても本当にまったく知らない作品しかなくて、なんか申し訳ない気持ちになった。「ナショナル・トレジャー」はかろうじて名前は聞いたことあるけれど、観てはないし。ただ、職人監督的な人なのだろう。

 

それはさておき、ジジイ映画である。世の中にはジジイがキャッキャウフフしているのを観て楽しむタイプの映画がある。自分にとっては「スペース・カウボーイ」なんていうのはそういう楽しみ方もできる(それ以前に、純然たるイーストウッド臭のする映画なんだけれど)し、人によっては「龍三と七人の子分たち」もそうなるだろう。

ただし、こういったジジイ映画を楽しむためには、その映画におけるキャストのジジへの思い入れが必要である。無論、そういうのを抜きにしてもある程度楽しむことはできるのだけれど、それでもやはり、この映画に関してはどれだけメインキャストへの思い入れがあるかで楽しめるかどうかが変わってくる。

そして、そういう映画を作るにはキャリアを重ねしっかりと老いた役者でなければならない。彼らの歴史を知っているからこそ、役柄ではなく俳優としての彼らを投影しながらその多幸感を味わうという、少し特殊なタイプの映画。たとえリアルタイムでは追えずとも、地上波やdvdなどで若き彼らを知ることのできる現代に生きるわたしたちにはそれが可能で、彼らへの思いを醸成することができる。そういう意味で、これは一種のアイドル映画・ファンムービーとしての側面がある。

「人によっては「龍三~」も~」と書いたのは、そのためだ。恥ずかしいことだけれど、「龍三~」のキャストのことをほとんど知らないわたしは微妙なたけし映画としての評価軸しか持つことができなかった。

その点、デ・ニーロは大好物だしモーガン・フリーマン(どうでもいいことですが、モーガン・フリーマンってフルネームで書かないと気持ち悪いですね)も左に同じです。マイケル・ダグラスはそこまでじゃないし、ケヴィン・クラインに関してはもはや「誰だっけ」という思い入れしかありませんでしたが、「デ・ニーロたちが楽しそうにしている」というだけですでにわたしの顔はほころぶのです。

四人がみんないいキャラしていて、楽しそうに演じているので、それを観れるという眼福だけで十二分だったりする。

や、実は「ジジイになっても性欲はあるし若い女が好きなんだよ」という叫びみたいなものがあったり、「老人だからってずっと家で介護されるのは嫌なんだよ、人間だからな」といった、高齢化社会の住人たる日本人にはハッとさせられるようなことはちょろっと描かれたりはします。とはいえ、結局はそれっぽいことが劇中での行動に表れるだけで、それ自体をテーマに老人の悲哀を描いているわけではないので、深く掘り下げようとするのは難しいのですが。

でも、中盤のクラブのシーンで「おじいちゃんとおばあちゃんの結婚ってかわいくていいよねー(意訳)」と若い女の人が言うのですが、これって実のところ観客の願望の押しつけみたいなものなんじゃないかと思ったりもするわけです。もっときつい言い方をするなら「ジジイはババアとくっついてろ」というある種の押しつけ=差別意識の現れである、と。

このセリフは結構ズシンとくるものがあったのですが、しかし残念というべきか当然というべきかただの娯楽作である本作では、そこは特に問題視されず(というか、結末だけを切り取ると自らその枠に収まりにいっているようにも見えなくもないのだけれど、それはやはり作り手にその問題意識がないからなのだろう)にデ・ニーロとダグラスの過去の恋のいざこざにすり替えられてしまい、表層的な変化とハッピーエンドを迎える。

いやまあ、それでいいんですけどね、別に。こっちもそんな重いもの観るつもり観てないし。

そんなことより、そこかしこにある笑いのディテールを楽しむが吉。葬儀でプロポーズとか、痔の年齢とか、ともかくジジイの多幸感を味わいたいのならこれはオススメです。 

あ、それと メアリー・スティーンバージェンが最高に可愛いです。笑顔が魅力的な人ってそれだけで持って行っちゃうんですけど、美人で可愛いし胸元出してるしで色々とエロエロで素晴らしいです。当時60歳ですけど、いや全然可愛いし綺麗だしエロいのでジジイだけでなくババアも良いので、ババア萌えする人も一見の価値有り。

 

 

しかし、そんな楽しい思いをしたと同時に日本映画界の抱える問題が浮上してきた。

それは、深刻なジジイババア役者の不在である。京極夏彦平山夢明もラジオで言っていましたよ。

現行の邦画業界はjk・恋愛といった若者主体の映画ばかりで、本作のようにジジイ・ババアの多幸感をメインに据えた映画がない。「アウトレイジ」がそれと言えなくもないけれど、それはそれでどうなのと。 超高齢化社会に向かう現実社会とは相反する邦画の表舞台ははっきり言って異常だ。

どうしてジジイ・ババア、おっさん・おばさんがキャッキャウフフするような映画を表舞台に持ってこれないのだろうか。どうしてしんみりとした役ばかりをあてがうのだろうか。

この辺に関しては、自分なりに色々と考えてはいるのだけれど、まったくの根拠レスなのでここに書くようなことはしないけれど、もうちょっと陽気な高齢者を見せてくれてもいいのではないか、邦画界よ。

まあ、44歳の堺雅人と26歳の高畑充希を夫婦役にさせたり女子高生と警察官をカップリングするような映画を大々的に宣伝するような状態なので、そもそも高齢化社会とかそういうところに目を向けてはいないのだろうけれど。

いやさ、樹木希林とかもっと楽しげな映画に出てくれてもいいんじゃないかと思うわけですよ。「あん」とか映画そのものも最高だったし「海よりもまだ深く」の阿部寛との親子とかも良かったけれど、もっとこう、多幸感に溢れる映画を撮ってあげてもいいんじゃないの、と思ったりする。

別に樹木希林に限らないけれど。