dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

あんなの(熊)なんて飾りです。宣伝マンにはそれが分からんのですよ。

午後ローは本当に侮れないのです。

カット祭りで繋ぎがよくわかんなくなっていたりすることは多々あります(だったらそもそも放送枠に合うような尺の映画を選べという話ではあるんですが)が、それでもこういう微妙に話題にならないようなものをやってくれるので助かるのである。基本はおバカ映画ばかりやっている印象ですけれど。

 

で、その侮れない映画というのが「ザ・ワイルド」。このタイトルの潔さに「ワイルド・スピード」の原題以上のワイルドさを感じる。

どれくらいこの映画が好きなのかと言われるとまあ自分でもよくわからないのですが、少なくとも「まとめ」のほうに投擲するよりは単独で記事をポストしたいという欲求に駆られる程度には好きなのである。

この映画、午後ローのコマーシャルからは「ホプキンス翁vs熊」という珍味な映画として、一部の好事家やホプキンスファンが楽しめるようなものなだと思っていました。しかしまあ、よく考えてみればただの動物パニックもといサバイバル映画に出る(出す)はずもないわけで。

監督はリー・タマホリ。タマときてホリという、語尾に「♂」をつけたくなる名前ですが、この人の関わった映画ではかろうじて「戦場のメリークリスマス」を知っているくらいでしょうか。戦メリでは助監督をやっていたらしく、ほかの有名どころタイトルでいえば「007 ダイ・アナザー・デイ」でしょうか。寡作な人なので年齢の割に作品が少ないので、機会があればちょっとほかのも観てみたいかも。

主役の富豪チャールズ・モースには我らがアンソニー・ホプキンス。そのチャールズの、モデルである妻役としてエル・マクファーソン。彼女の専属カメラマン役にアレック・ボールドウィン。そのアシスタントにハロルド・ペリドー・ジュニア。チョイ役に「少年と犬」の監督であるL・Q・ジョーンズと、絶妙に有名どころなキャストも揃っていたりして、この時点でただのサバイバル映画ではないことが察せられる。あと熊もどうやらむこうでは有名な動物俳優らしくバートという名前らしい。

音楽もジェリー・ゴールドスミスだし。

 

そんな一見すると豪華な映画ですが、とはいえキャストや音楽だけは一丁前で映画自体はポンコツというものは少なくありません。しかし、この映画に関してはそういう部類に入らないんじゃないか。

そう思ったのは、この映画にはウィリアム・ワイラーの大傑作「大いなる西部」に通じるものがあったからで、わたしがこの映画の感想を単独で書こうと思ったのもそこにある。

以前に「大いなる西部」についての感想を書いたので細かい部分を参照してもらうとして、簡単に言えば「クズすらも受け止めてくれる懐の大きさ」でしょうか。

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ていうか、熊との対決部分とかは割りとあっさりというか「え、それでいいの?」と思わない部分もないわけではない。もちろん、手持ちの物資が限られている中で熊とどう戦うのが正解なのか素人のわたしにはわかりませんが、ややおざなりな感じは否めない。ま、竹槍持たせて戦車やら戦闘機やらと戦わせようとしていた国の人間が言えたことではないのですが。

この辺が雑に思えるのは午後ローのCM地獄カットというよりは、そもそも作り手が注力していなかったのではないかと思う。あくまで熊との遭遇は人間の数あるペルソナを引き出すための試練というか道具でしかない、と割り切っているような。道具というか、状況でしょうか。それゆえに「なぜ熊…? ほかにやりようがあったのでは?」と首をかしげたくなったりもするのだけれど。ただどうやって撮影したんだこれーと思うくらい熊の行動とか距離感とかはあったので楽しめはしたんですけどね。(既述のように熊も俳優だったというオチですが)。

熊が舞台装置的な役割でしかないとここまで言い切れるのは、熊を倒した後にこそドラマが展開されるからなのですよね。

熊をホプキンスとボールドウィンが二人で倒したあと、小屋を見つけてそこで体を休めようとするのですが、ボールドウィンが酒を飲みながら猟銃に弾を込め始め、ホプキンスを殺そうとするんです。なんでそうなったのかというと、割りと最初の方からほのめかされていたりホプキンスの台詞なんかからも読み取れるんですが、ホプキンスは妻とボールドウィンがデキていて共謀して自分を殺して遺産を手に入れるつもりなんじゃないかーとか思っていたわけです。それを指摘されたこともあって、ホプキンスを殺そうとするボールドウィン。しかしボールドウィンはホプキンスを殺す直前に落とし穴にはまって重傷を負ってしまい、助けを懇願する。

ホプキンスじっちゃまはそれを受け入れて助けるんですな。たった今自分を殺そうとしていた人間を。

結局、その落とし穴の傷が原因で救出直前にボールドウィンは死んでしまうわけですが、その間の二人のやりとりがこの映画の白眉で、どうしても泣けてしまう。

クズな人間が死を目前に罪を懺悔し赦しを請う。それは、ともすると情けなくて、アクション映画なんかではその直後に主人公に撃たれて死んでしまったりするわけで。

けれど、この映画はそれをホプキンスに受け入れさせ、赦しを与える。神にではなく、不義理を働いた本人に向かって赦しを求め、それをその本人が受け入れる。こんな単純なことだけれど、それを素直に描くことは案外難しい。それに、ここではウェットでありながらもジョークを交えているから、余計な臭みがない。それに過剰な音楽的な演出もない。だからいい。

「熊である必要性が云々」とは書いたけれど、それまでの二人のサバイバルな状況がなければこうはならなかったはずで、二人にとっての試練という意味では必要なものであるということは言える。

 

午後ローカットなしで見たら、またちょっと違うかもですが、結構いい映画だと思いますですよ、これ。