dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

欺瞞母子

ポン・ジュノ。わたくしの御多分に漏れず、知名度や評価は知っていつつもなぜか観たことのなかった監督のひとりが彼なんですが、ちょっとびっくりした。

ポン・ジュノ、ちょっと凄まじい欺瞞の炙り出し方をしていて驚いた。
一言で書くとエントリーのタイトルどおり欺瞞に満ちた母と子の話なんですが、その欺瞞の描き方が凄まじい。

そもそも、わたしはウォン・ビン知的障害者の役という時点で「はい?」となったわけです。いわゆる知的障害者というのは、基本的には遺伝子の問題なので人種にかかわらず顔が似てくるわけです。が、この映画でウォン・ビンが演じる知的障害者(という設定を与えられたトジュン)は、ウォン・ビンなのでイケメンなのです。キムタクと山崎賢人を足したようなイケメンなのです。

それゆえにトジュンという役に対して当初わたしは「存在そのものが嘘くさい人物だなー」と思っていたわけです。振る舞いなんかも「知的障害者のように振舞っている」ように(本編を見終わった今となっては)見えるし。
そう。そしてポン・ジュノはそれを理解している。理解し、その設定を存分に使いメタ的に欺瞞を暴いていく。

トジュンの無実を信じて疑わない彼の母(キム・ヘジャ演)は、映画後半でしかしトジュンがやはり真犯人であったことを知るのです。そして、そのあとに取る彼女の行動がトジュンが真犯人であることを知るその人を殺すこと。母の欺瞞は、しかしここでまだ極に達していない。

その彼女の元に刑事がやってくる。「真犯人が見つかった」と。真犯人であるトジュンを拘留しているにもかかわらず。
そして、わたしはその「真犯人」の顔が画面に映ったときにポン・ジュノの恐ろしさを知った。

そこに映し出されたのは、知的障害者の顔を持つ男だった。確かに彼は殺された女子高生と性的な関係を結んでいただろう。彼の服に血痕が残っていたというのも本当だろう。しかし、彼女と性的な関係を持っていたのはほかにも少なくとも30人はいたし、血痕がついていたのはその女子高生がよく鼻血を垂らす体質だったからだ。

ここに来てウォン・ビンの顔を持つ真犯人トジュンと、知的障害者の顔を持つ「真犯人(役名忘れてしまいました・・・)」が対比される。ここには劇中で描かれる様々な社会的問題も内包しているのですが、それ以上に際立つのはトジュンという人物の欺瞞さ・嘘くささにほかならない。

なぜトジュンがウォン・ビンでなければならなかったのかが、ここで判明するわけです。あまりに臆面もなく突きつけてくるその怜悧さは、恐ろしくさえある。

そこからラストの母が腿に針を刺し踊りだすことで、この映画は存在そのものが欺瞞に満ちたトジュンという息子と、それを知りながら踊り狂う(踊り狂おうとする)母の欺瞞によって幕を閉じる。

伏線や布石となるものが随所に仕込まれている周到さは、ほかの人が散々ぱら書いてるだろうし面倒だから割愛するけれど、かなりレベルの高いことやってます。

しかし、母の針を拾っているあたり、あるいはトジュンは知的障害者ですらないのかもしれない。もちろん、軽度であればつつがなく意思疎通を行うことができる(この辺は制度とかの兼ね合いで何とも言えないので深くは突っ込みませんが)わけではあるのですが、そういう話ではないわけで。

 
なんだか胸がざわざわする傑作でした。