dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

私はあなたのニグロではない

有楽町というか、ああいう夜の都会の喧騒は好きだけど怖い。

有楽町自体、実のところ「バケモノの子」の試写会で行ったことがあるくらいだし。

そんなわけ初・有楽町のヒューマントラスト行ってきた。下の階の中華料理屋さんが滅茶苦茶うまそうだったですぞ。

しかし私の入った箱のスクリーンが思ったより小さかったのとか右端の席がやや窮屈なのは若干気になったけど、雰囲気はよし。

 

前から気にはなっていたんですが、近所にやっているところがなかったので二の足を踏んでいたのですがトークライブつきだったのと水曜で安かったので行ってきた。基本、守銭奴で貧乏性な私は何らかの付加価値が付くことによって足を運ぶことが少なくないのですよね。「早春 DEEP END」とかもそうですし。

 

さて、今回の「私はあなたのニグロではない」は面白い映画ではない。というのは説明するまでもないか。そういう類の映画ではないし。ただ、それでも観に行くのは、書くまでもなく私がブラック・カルチャーや黒人の歴史について疎いからだ。

マルコムXは多少知っていたし、マーティン・ルーサー・キングも教科書で名前を聞いていたりはした(ここを深く突っ込まないというのがやはり日本の教育の浅さだとは思うが・・・とはいえカリキュラムの都合もあるだろうし)。が、今回のメインとなるジェームズ・ボールドウィンについてはほとんど知らなかった。

 

これまで、このブログでは「ゲット・アウト」「ヒドゥン・フィギュアズ」「デトロイト」「カラーパープル」「ブラック・パンサー」(それ以外にも黒人と白人の関係性への言及をした記事はいくつかあると思うけど)などで黒人について触れることはあったけれど、読んでわかるとおり私は彼らのことをほとんど知らない。

だからこそ観た。そして、身につまされることもあったし、自分の学習分野とダブる部分もあったりで、色々と考えることは多かった。

 ただ、やはり映画であるだけに映画としてのある種の複雑な構成を内包しているだけに、伝わりやすい反面わかりにくい部分もある。特に時系列に関しては当時のボールドィンの音声を使いながら現在のアメリカの状況を映し出していたり、ボールドウィンの引用(過去)ではありながらもサミュエルのセリフ(現在)で過去が語られたりしていて、何というか時間軸の錯綜・・・もといヘプタボット的にすべてのタイムラインを同一円上に並置しているような感じなのです。

過去の言葉を、現在を生きる者に語らせることの意味とは。アメリカの過去と現在を多少なりとも知っていればわざわざ書き起こすまでもない。

エンディングの演出や音楽もしっかりつけられてるし、編集もかなり意図されている。この複雑さは、アメリカという国の抱える複雑さではないのだろうか。そう思ってしまうほどだ。だから、映画を反芻したいのであればシナリオが再録されているパンフレットを買うことをおすすめする。

前から思っていたことがあった。「アメリカってかなりモザイク国家に似ているような」と。中東のように国家規模での武力闘争ではないだけで、それこそボールドウィンの生きていた時代から今現在に至るまで問題提起は連綿とされてきた。この映画で引用される映像・画像のように。しかし、彼が言うように身勝手な恐怖から安心感を得るために白人は黒人を「黒人」という軛に繋ぎ留め、あたかも融和しているかのように見せかけていた。

 

あとサミュエルね。普段の(ていうか映画に出てくる)サミュエルを知っている人ほど、今回の彼の声には驚かされるだろう。深く静かな声に。

 

 

 

 

いやあしかし、「犬ヶ島」の記事はイツニナルンダコレ