dadalizerの映画雑文

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前から気になってたけどry

アルフォンソ・キュアロンの「トゥモローワールド」

原題が「children of men」で原作小説の日本語タイトルが「人類の子供たち」なのですが、どうして「トゥモローワールド」になったのだろうか。

キュアロンといえば最近では「Gravity」という傑作を撮っていたりもしてるのですが、なんとなく技術的な関心が強い人でもあるのかな。そういえば「アズカバン」もやっていたけど、どうしてなんだろう。

なんだか不思議な映画だった。長回しがどうとか、もちろんそういうウィキに載っていることを単純に抜き出して云々という話もできるのだろうけど、そういうのとは別に感覚的な不穏さがある。とはいってもデジタル撮影によるワンカットとか、この時点でかなりのものが出来ていたことに驚いたりはするけれど。これがあったのなら、別段「バードマン」で驚くことはなかったような気もする。いや、手間はだいぶかかるのでしょうが。

子どもが生まれなくなって、最年少の人間が死んだことがニュースになったりしているわけで、それが冒頭に持ってこられるわそれをワンカットの長回しで見せるわ画面はジメジメしているわ、ともかく陰湿、というか残酷であることは言えるかもしれない。

なんとなく人類にとっての救いを巡る話という点では「ジェノサイド」にも似ているような気もする。あとはなんとなく「ソイレント・グリーン」も思い出した。どっちかというと逆方向なディストピアだとは思うのですけど、容赦のなさが似ているというか。描き方はまったく違うんですけど。

かなり早い段階で死ぬジュリアン・ムーアですが、「キングスマンGC」と見比べるとすでに老けているというか、むしろ変わっていないことに驚くべきなのか。

それと、これは自分でもどうかと思うけど「サイン」とちょっと共通する部分もあるような気がした。あちらは別に突き詰めようとしているわけではないのだろうけど、「信仰」のゆらぎと盲信というか。

「サイン」ではメル・ギブソンは最終的に宇宙人を目の前にしながらも神の存在を悟り揺らいでいた信仰を取り戻しますが、「トゥモローワールド」のクライヴ・オーウェンは最後まで確かな拠り所となるものを見つけることなく死ぬわけですし。死んだあとにトゥモロー号が来る、というのもそういうことだろう。赤ん坊は、行動の動機ではあってもそれ自体が信仰の対象ではないでしょうし。まあなんたって「FISH」だし、どちらもキリスト絡みであることは間違いないわけで。

いや、全然違う映画なんですけどね、この二つは。ただ、目に見えないものを信じることについて、という点では共通する部分があるかも、という話。

ただ、宗教はあくまでモチーフ的なもので、そこにあるのはもっと根本的な信仰だと思う。もっと卑俗な言い方をするなら依拠、だろうか。何かに依拠することで理不尽な現実とやらに対抗する映画なんじゃないか。