dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

アメリカ=クリーという図式

IMAX3Dで観るとブリー・ラーソンの顔面ドアップが色々な意味で迫力があって「俳優業の人も大変だなぁ」とどうでもいいことを思ったり。4Kって本当にタレント(この呼び方嫌いなんですが)殺しな気が。

開幕10割、とは言いませぬが冒頭でピークを持ってこられた。
今回の「キャプテン・マーベル」ですが、おなじみのマーベルスタジオのロゴがキャラクターではなくスタン・リーになっていて、直後の「THANK YOU STAN」でもう涙腺が危うかった。
 

なんというか、今回の「キャプテン・マーベル」を観て思ったのですが、なんだかんだでやっぱりMCUはすごいのだなぁ。

何がすごいって、MCUそのユニバースそれ自体が多様性に富んでいるところでせう。
実写化として陳腐にならないようなリファイン、それに耐えうるポテンシャルを秘めた豊富なキャラクターを前提に時代に合わせたリフォーマットを行い、様々な物語を魅せてくれる。

さらにはそれらのキャラクターたちを同一の世界観の中に収めてしまっているのだから、ヒーロー映画のバブルが云々というスピルバーグの言説や映画単一作品としての完成度云々という議論はともかくとしてやはり10年かけて積み上げてきたものは強いと思う。コンテンツとして。


キャプテン・マーベル」では作品の設定として時代が95年ということなんですが、舞台もさることながら作品の雰囲気も全体的に80年代後期~90年代中盤の洋画臭がします。いや、悪い意味ではなく。

戦闘機のパイロット二人がイチャイチャ(曲解)する様は「トップガン」(あんなにホモ・セクシャル一歩手前なソーシャルではありませんが)のウーマンス版とも言えるし、宇宙船のドッグファイトは「インデペンデンス・デイ」だし、サミュエルの演技もこれまでのMCUみたいにシリアスなものではなくて、それこそ90年代80年代のサミュエルっぽい砕けた演技ですし。あるいは地球に侵入してきた宇宙人をコンビで対処する雛形の「メン・イン・ブラック」なんかも挙げられるでしょう。
実際、ファイギは「本作は『ターミネーター2』やストリートでの戦闘やカーチェイスなどといった90年代のアクション映画のオマージュを含んでいる。1990年代のアクションのジャンルはまだマーベル・スタジオが探求してこなかった分野だ」と述べ、また本作の大部分が宇宙空間で展開されることも明かした」と言っているし、猫のグースは「トップガン」からの引用らしいですし。

前「時代」そのものを取り入れらという意味では、80年代をフィーチャーしつつリファインした「ガーディアンズ~」っぽくもある(脚本にGOTGの共同脚本であるパールマンもいるし)んですが、しかし「ガーディアンズ~」がアイキャンディの楽しさを詰め込んだ純化された作品であったのに対し、「キャプテン・マーベル」はもっとイデオロギーや政治的な側面に言及し、その時代が帯びていた無邪気さを顧みている。

そう、80年代~90年代アメリカの「ブロックバスター」ムービーは無邪気だった。上記に上げたような日本でも知られる代表的な大作たちは(出来の良し悪しはともかく)単純な二元論的図式の下、アメリカの持つ力がエイリアン(宇宙人的な意味でも異邦人的な意味でも)を打ち負かすものだったし、それが受けていた。

しかし「キャプテン・マーベル」はその図式には陥らない。むしろ、その90年代性を使いつつ「世界はそんなに単純ではなかったし、今も単純ではない」と自己言及的に描いている。(そう考えると、「ブロックバスター」というレンタルビデオショップにヴァースが穴を開けるというのは意味深である)

すでに多くの方が指摘しているだろうけれど、前半までヴァースの敵として描かれるスクラル人が実は安住の地を求めていただけの避難民であり、クリー人による支配から脱しようとしていただけだったことが明かされることが指し示すのは、現代の難民の問題でしょうし過去(そして現在の)のアメリカの行いを自省しているかのようである。

クリー人はほとんどアメリカそのものとして描かれている。だからロナンの爆撃が湾岸戦争のソレとダブる人だっているのも当然でせう。

この映画がトマトあたりで荒らしにあっているのは、フェミニズムを称揚しているからだけでなくそういうアメリカンな単純なまちづもを否定する形になっているからオルタナ右翼の地雷を踏んでしまったのでは。

しかし「FはファミリーのF」が前時代的な家族関係を描くだけでそれが滑稽なギャグになってしまうように、そういった価値観はもう笑いながら後ろ指をさすくらいじゃなきゃいけないんでしょう。

 

何気にMCU作品でも上位に食い込むくらいの出来栄えだと思います、これ。
まあ、元から空軍パイロットになれる才能の持ち主が「有能・無能」を論じるっていうのはいささかアレな気もしますが、それでも何度も立ち上がってきた彼女の姿が被せられて覚醒するシーンのカタルシスは鳥肌もの。

クリー人の遺体の局部を確認するシーンだとかグース周りのシーンは笑えますし、ユーモアもアクションも詰まっているし、90年代洋画の洗礼を受けてきた人もそうでない人も楽しめるかと。