dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

やはりブラッド・バードは才能の塊である。

劇場で見逃していたのをふと思い出し、そのまま「観るか」と思い立って「インクレディブル・ファミリー」を観る。

「トゥモロー・ランド」でケチがついた(私はあれ結構好きなんですけど)ように思われるブラッド・バードですが、あんな作品を作るだけあって才能はやっぱりあるんですよね。

無論、ピクサーという集合知に依拠している部分もかなり多いのでしょうが、ほかのピクサー作品のほとんどが骨子たる脚本(監督も)を、少なくともクレジット上においても複数体制を取っている中で監督・脚本ともに前作も「レミー~」もブラッド・バードが単独クレジットしているぐらいですから、そういう意味ではやっぱり色が出ている。

前作は「ウォッチメン」だとか言われたり今回は「シビル・ウォー」じゃんとか言われている「インクレディブル」シリーズですが、そのへんで提示したテーマは割とうやむやだったりするんですけど、別にそんなことはお話にならないほど楽しいアクション映画なんですよね。

これがヒットする理由はよくわかる。だって単純に楽しいんだもの。

 

特殊能力モノとしての能力の見せ方、画面のレイアウト、話の会話のテンポ、飽きさせないフックの作り、細かい演出、音楽の流し方、あらゆる点で映画という運動の連続を見せるメディアの魅せ方が卓抜している。

 

能力で言えば、本作のメインを務めるヘレン(ボンキュッボン(死語)なエロさを放つキャラデザ)の能力は体が伸びるという、元ネタであるゴームz・・・ファンタスティック・フォーのリードが登場した60年代からある手垢のついた能力(それゆえにサブ役に回されがちだったり)を、能力それだけでなくそれを生かすガジェットやシチュエーションで見せてくれる発想力と、それを切り取る画面のレイアウトの見やすさ。

ほかにもポータルな能力の見せ方の応用力。落下による運動エネルギーを重力に逆らうように使ったり、バリアの中に入り込んだりと、能力の使い方が上手い。

 

細かい演出で言えばキャラクターの表情・所作の一つ一つにそれは現れている。育児に追われてやつれるところなんかもそうだし、洗脳されたヘレンとフロゾンとボブが船であいさつをする際に、彼らと交流がある大使が地味に不審がっている挙動を見せていたりもする。

 スクリーン・スレイヴァ―なんて名乗りながら、彼女が現場(現実としてのメタファーともとれる)を視認するのは往々にしてモニター越しであったりするアイロニーなども気が利いている。

 

テーマ的な部分では、色々とテクノロジー・ヒーロー(に耽溺する人)への耳が痛い言及があるわけですが、それを忘却の彼方に追いやってしまうような優れた映画でそんな高説を垂れたところで、宮崎駿的な面白い作家性の中に収斂されてしまう結果にしかならない。

そういう愛嬌が、時に大衆蔑視だのカリスマ・才能・持つものとしての立場を表明しつづける嫌な野郎との誹りを受けるブラッド・バードを好きになってしまうところでもあるのかもしれない。

自分ですら掲げたテーマ放置してるし。