dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

またトニー・スタークですか

そういえばMCUの吹き替えを劇場で観るのは初めてでした。

劇場で観たのは、ってだけでMCUの吹き替え自体は何回も観ているので既存の吹き替えキャストにはこれといって文句はなし。
ただ今回、ネッドの恋人であり元恋人になるベティの声はちょっとアニメ声すぎたかな、と。水瀬いのりでしたっけ。アニメではよく聞くような気もしますが、そもそもここ数年はあまりアニメ観てないからわからぬ。
新しいAIであるE.D.I.T.Hのボイスも早見沙織だし(彼女の声質って花澤香菜が声低く演技してるときと結構似てるのね)。早見沙織は一ヵ所ブレスが気になる(AIという設定なので)ところがあった以外は問題なく。こうしてみるとアニメメインの吹き替えが多いですね。
もともとアベンジャーズの吹き替えは割とアニメっぽい感じがあるので特に気にはしてなかったんですけど、正直なところ水瀬いのりはちょっと気になる

あと、置換された台詞のところでも違和感があったり。
一ヵ所特に気になったのは「新たなフェーズに進まなきゃなりません」って台詞。原語なら違和感ないんでしょうけど、日本語で「フェーズ」って単語をさも日常で使うような素っ気なさで言われると凄まじい違和感。いや、MCUが新しいフェーズに入ることのメタ的なセリフであることはわかるんで、仕方ないと言えば仕方ないんですけど。

あと地名表示のときに出てくる日本語のフォントがダサい。パワポのデフォルトのフォント使ってんのかいな、と。「シュガー・ラッシュ」のときも(あっちは字幕じゃないからもっとひどいんだけど)思ったけど、下手に元の言葉消すくらいなら残してくれていいと思うんですよね。
いやね、元の英語のフォントもパワポのデフォなのかもしれないけど、日本人が日本語と英語を見るときの違いは考慮しなきゃいかんでしょう。吹き替えなんて、日本人のために作られてるんだし。

言葉を聞くことと見ることに対して軽すぎるかな、と。

あと本当にエンドロールの歌はひどいです。「東京喰種」のOPはそんなに嫌いじゃないんですけど、音響の問題なのかインストに完全に声量負けてんじゃんすか。そもそも曲(歌詞は全く聞き取れなかったので)もスパイダーマンに合ってないし。


逆に吹き替えで良かったところは、完全に好みの問題ですけどジェイク・ギレンホールの吹き替えが高橋広樹だったことでしょうか。まあ、元からほとんどギレンホールのフィックスみたいなものではありましたけど、「スパイダーマン」でも高橋さんだったのは地味にうれしい。洋画吹き替えで彼の(ほぼ)フィックスと言えばポール・ウォーカーくらいでしたけど、残念ながら亡くなってしまっているので、もっと高橋広樹の吹き替えが増えろ増えろと思っていたり。
ミステリオ登場の当初はやや高いのが段々低くなっていったような気がしたんですけど、あれは演技とかそういうこととは別なのかな。

 

で、本編。
「ホームカミング」のレビューでもライミ版とアメイジングとの違いに触れたような気はするんですけど、トムホスパイディの場合は子どもであることが強調されるんですよね。
それと対比的に悪(あるいは善)としての「大人」が顔面力というか演技力のあるおっさん(顔)俳優によって描出される。それはジョン・ワッツが「コップ・カー」から描いてきていることでもあって、それこそがMCUスパイダーマン」がこれまでのスパイダーマンと違うところだった。というか、ジョン・ワッツ以外のスパイダーマンの敵対者はどいつもこいつも哀愁を帯びすぎている。

前作では先達たるヒーローのアイアンマンに憧れヒーローを目指す物語で、その帰着として「アベンジャーズ」というヒーローではなく「親愛なる隣人」という中庸的な立ち位置に収まった。

けれど、「インフィニティ・ウォー」で宇宙規模の危機に陥った世界の要請によって、アベンジャーズとしてヒーローになった(なってしまった)スパイディは、さらに「エンド・ゲーム」で先達のヒーローであるアイアンマンの喪失に直面する。

「ファー・フロム・ホーム」はそこからスタートするわけで、どうしたって「親愛なる隣人」であり続けることに揺らぎが生じる。先達のヒーローが抱えていた重責と、ティーンエージャーとしての自我との葛藤に。
特に今回は、ヒーローになりたがるガキではなくもっと卑近で恋に恋してそうな思春期の少年としての側面が強く出ているため、よりスパイダーマンとピーター・パーカーとのギャップが生じやすくなっているような気がする。

よく考えれば「ホームカミング」はピーター・パーカーの自我が発する欲望の延長線上にヒーロー=スパイディがあったわけで、それと比べると今回はむしろ欲望の方向性は逆であるすらと言えるのでは。だって恋ですからね。ヒーローの指向は別でしょう。これはむしろ、サムライミ版のスパイダーマン的であるといえる。

まあそんなわけで前作と同じようにポカして大人に叱られたり・・・ってな感じで進んでいくわけです。

で、敵対者としての大人に今回はジェイク・ギレンホールが配置されているわけですけど、ギレンホールの魅力を十分に引き出せていない気がするんですよね。マイケル・キートンみたいに見るからに怖い顔面っていうタイプではないので。

今回も「ホームカミング」よろしく彼のアップとか寄ったショットがあるんですけど、なんかちょっとギレンホールの撮り方としては正攻法すぎるというか。
そもそもミステリオというキャラクター自体が割と陳腐というか秘めている野心が型通りすぎてギレンホールのポテンシャルを引き出せていないところはある。いや、あんな野心のためにあそこまでする、というのは確かに狂気ではあるんですけれど、ギレンホールの狂気ってもっと超怪しくて静かなのにネチネチした確かに何かを湛えている底知れなさみたいなものにあると思うので、キャラクターが俳優に負けている気がする。
かといってギレンホールのポテンシャルを引き出そうとすると「スパイダーマン」映画としてのバランスを崩さざるを得なくなるだそうし、そういう意味で彼はかなり異物な俳優の一人であるわけで、今回は采配を少し違えたと思わなくもない。キートンがハマっていただけに、というのもあるのかもしれませんけど、やっぱりこの二人はベクトル違うし。
レンホールが演じるにはせこすぎるし、そのせこさが常軌を逸したものであるならまだしもそこまで逸脱していないのが残念なところ。

あ、ただ最後の虚ろな目をして死んでいる顔はギレンホールの本領が発揮されていたと思います。最後にああいう仕掛けを用意してたっていうところも、したたかさの演出としてはアリだと思いますし。ま、そのしたたかさがどうしてもギレンホールのポテンシャル未満に思えちゃうのですが。

それとは別の問題もある。
ミステリオという存在が提示した、新たな脅威に対してスパイダーマンもといピーター・パーカーはどうするのか、という部分に関しては有耶無耶なまま親愛なる隣人に立ち戻っていること。今回はティーンエージャーのピーター・パーカーが描かれまくるので、ラストのスイングはそれだけでも結構胸に来るものもあるにはあるんですけど、やっぱり本質的に「今回は上手くいったけど、次からはどうするの?」という疑問が残る。その答えを、明確に提示したわけでは今回なく、うまい具合に美味しいとこだけ(スターク継承)つまんですり抜けたというか。

が、こっちから疑義を呈す前にエンドクレジットの後に正体がバレるというオチがあったので織り込み済みなのでしょうね。おかげで「ああ、次回作に引っ張るのね」というユニバース映画の煩悶としたものが残るわけですけど。

でもまあ、それを言ってしまえば「ホームカミング」でもそうだった気はするし、そういうあれこれとか関係なく我武者羅に(決して無分別や無思慮というわけではなく)頑張るというのが「スパイダーマン」なのかもしれない。
頑張ること。それ自体がある種、MCUスパイディというかピーター・パーカの本分なのでせう。

うーん、しかし、いつの間にMJのこと好きになったんだよー「ホームカミング」ではそこまで好意を寄せてる描写なかったじゃーんという気もしなくもなく、そのへんはもやっとした。デンゼイヤは可愛いので、それこそMJがからかいで「見た目だけ?」と言ったことがまるで図星かのように思われる隙が無きにしも非ず。

あとはそう、アイアンマンの継承という意味合いはわかるんですけど、ハッピーに「お前はアイアンマンじゃない」「誰もアイアンマンになれない」って言わせたあとにAC/DC流してトニーと同じことをさせるのはなんか秒速で矛盾しているような。まあツェッペリンとか言っちゃうトニーとのズレも表してくれていたりするのでセーフな気もしますが。
それを「アイアンマン」の監督であるジョン・ファブローの面前でやるというのが、リスペクトなのか喧嘩売ってんのかわからなくて面白い(?)。いや普通にリスペクトっつーかオマージュでしょうけど。


映像は所々でCG感が目立つところはあるものの、スパイダーウェブを使ったアクションがふんだんにあるので観ていて楽しくなる場面は前作より多め。
廃墟?でのVSミステリオ戦はどことなく「ドクター・ストレンジ」なトリップ感もあって楽しいですし。


最後の最後、あの役にJKシモンズを使ってくるというあたりの楽屋落ちな感じは嫌いじゃないけど、なんかこう、トビー・マグワイヤのスパイディが好きな人からすると結構モヤモヤしそうではある。

 

あとスタークさんはもうちょっとこう、手心というか真心を近親者とかアベンジャーズメンバー以外にも向けてあげてください。

ていうか死んでもなおヴィランのモチベーションにされるスタークがかわいそう。もちろんメタ的な意味で。