dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

尿意との闘い

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を観る。

面白かった。面白かったんだけど、長い。ブラピがヒッピー村に行くあたりから尿意を催して正直「映画を観る」というよりも「トイレ行きたい」という生理的欲求が勝ってしまいまして・・・楽しみ切れなかった。

いや面白いんですよ、面白いんですけどね。タランティーノの映画では一番か二番目くらいには面白かったですよ。

ただ尿意が(残留思念)。

 

基本的にWhat if?のお話なので、シャロン・テートとマンソンまわりにについて知っていないと、というのは確かにある。

特にマンソンが登場したあたりは、あれマンソンを知っていないと「変なおっさん」が訪ねてきただけのシーンにしかならないし。逆に知っていると「ブラック・ヴィーナス」における総書記の登場と同質の「ヤバいモノを見てしまった」感を味わうことができるのですが。

このバジェットでそういう映画史(というかゴシップというか)やカルト方面の知識がないと楽しみ切れないという作りにしたのはかなり大胆だなぁ、と。

確かにブラピとディカプリオがメインだしキャラも立っているからそっち方面で売るというのはマーケティング戦略としては真っ当なのでしょうけれど、やっぱりこれはシャロン・テートの物語ではあるんですよね。

リックとクリフに比べて出番は少ないけれど、徹頭徹尾、この映画ではシャロン・テートは幸福のまま終わるわけですから。タランティーノの考えた「幸福なシャロン・テートの描き方」映画ですし。

 

しかし相変わらず緩慢でほんわかぱっぱする時間を垂れ流すのが好きですね、この人。それはタメではあるんで、クライマックスの盛り上げに必要なものではあるとはいえ。

ただ今回のタルさちょっと違う。前半部のタルさはこれまでの作品だと多幸感で占められているはずなのですが、今回はどちらかというとリック&クリフの悲哀や哀愁で占められていて、なんだか逆転した構造になっているな、と。

構造そのものが逆転しているわけではないあたりはいつも通りと言えばいつも通りかなぁ。それに前半部の湿っぽい部分はブラピとディカプリオに託されていて、多幸感はシャロン・テートに託されているのでそれまでの名残はあるんですけど、それはすでに書いたようにシャロン・テートを幸福にしたいというタランティーノの思慕からくるものでしょうし。

 

タランティーノらしいオマージュとかギャグとか色々あったわけですけど、本作に限らずこの人の映画ってなんか本当に「これがやりたいからこれやるわ」みたいな手触りがあって、あんまり技術的なこととか技巧とかを語るとかって気にならんのですよね

特にこの映画はそういう傾向が強い気がして。そういう映画ですから、なんかあまりこまごま書くのが気が引ける。野暮な気がして。

だから登場人物をひたすら見れ、というほかにない。

 

ただまあ、どちらかといえばエルではなくダコタ派な私としては、整った顔立ちの中に絶妙にぶちゃいく(ブサイクではない)さとやさぐれた感じのヒッピーが観れて良かったです。出番少ないけど、しっかり印象に残る撮り方してもらってるし。ロール的には大して目立たないし、知らない人からすればちょっとカーストの高いヒッピー程度の認識なのでしょうけど。

あの汚れた感じはエルにはだせまいて。