というわけで「スターウォーズ」観に行ってきた。
何気に劇場で映画見るのは一か月ぶりでたまげる。まあ11月と12月は生活スタイルが変わったことと相まってあまりモチベーションが維持できなかったというのはあるんですが、それにしても大分見てなかったなぁ。というか単純に金がなかったというのはあるんだすが、観たかった映画をかなり見逃している気がする。
「最後のジェダイ」のときも書いたけれど、スターウォーズに関してはこれといって思い入れがあるわけではないのですが、そういう界隈にたむろしていると自然と人並みの知識が入ってきたりするのである程度の理解はあるつもりなんで楽しむための下地はあるんですけど・・・どうなんだろう、これ。
それをやるなら「最後のジェダイ」でやっておけ、というような負の遺産を清算しなければならなかった部分もありつつ、また方向転換を余儀なくされた(特にレイ)であろう舵取りや、前作に増してフォースがほぼほぼ何でもありになっているあたりは上手く乗っかっているような気もしますし、まあバランスの調整に苦慮した感じはある。
んで、まあ個人的には「最後のジェダイ」で示したテーマに対して「スカイウォーカーの夜明け」はかなりけむに巻いたような着地になっているあたりとかモヤモヤしたものが残っていて、特にスターウォーズファンでもない自分としてはいいっちゃいいけどそれでいいのかという感じが。
「スカイウォーカーの夜明け」における血筋の否定、というのはまあ分かるんですけど、それをすでに2作目でやっていた2017年のGotGと、同じく2017年でそこからさらに敷衍して誰でもないすべての者に開かれていた(ローグ・ワンでも一応、そういうテーマを内包してはいたと思いますが)可能性を提示した「最後のジェダイ」から翻って「スカイウォーカーの夜明け」を観ると、その「スカイウォーカーの夜明け」というファミリーネームが示す通りまた血筋の話に戻ってきてしまっているんですよね、これ。
誰でもないレイ(最後のジェダイ時点で)でもフォースに繋がることができジェダイになることができた、そのラストにおいて名もなき少年に押し広げたことができたはずだったものが、パルパティーンの血筋(スカイウォーカーの夜明け)という係累が与えられてしまった時点で、今作のラストにおけるレイの名乗りというのは結局のところは後退でしかないのである。
まあ、それでもアサインド・セックスからの解放(血筋や身体ではなく個人の意思による選択)だとかそういうジェンダー論とかに結び付けてポリティカリー・コレクトネスの視点から語りなおすこともできるのだろうけれど、二歩進んで三歩退がってしまったのが「スカイウォーカーの夜明け」だったということに変わりはない。
もっとJJとライアンの連携がとれていればこんな中途半端にならずに済んだのではないだろうか、という気がしないでもない。
もし、というか今回の話をもっとスマートに語るのであれば「最後のジェダイ」においてレイの出自が明らかになりダークサイドに傾倒し、ベンくんがライトサイドに転向し三作目で両者が合流するというのがまあ、すでに何度も言われていたけれど一番三幕構成としてはよかったのだろうとは思う。
ただライアンは血筋に拘泥することはしたくなかった、だからこそ脚本レベルから撮影レベルにおいて統御し、スターウォーズをもっと開かれたものにしようとした。スカイウォーカーやましてパルパティーンの話ではなく。
が、その帰着が「スカイウォーカーの夜明け」であり、急ぎ足で血筋の話を語りなおさなければならなかったがゆえに脚本がどうにも上手くはまっていないのではないか、今作は。
とはいえ「最後のジェダイ」はさんざん言われつくした通りで、その出来栄えというのはアレだったためにディズニーが修正を図らなければならなかったというのはあるわけで、ライアンジョンソンが描きたかったものをもっと上手くできていればもっと開けたものになってはいただろう、という口惜しさはある。
だからまあ、一応今回でスカイウォーカーのサーガが終わったわけだから、ディズニーがライアン・ジョンソンのスターウォーズを考えているというのは実はかなり納得のいくところではあったりするのだけれど、しかし巨大資本であるディズニーがそっちを向くのは(ポリティカリー・コレクトネスへの反応という)大義名分のように受け取られてもしかたないというか、要するに強者の施しに近い倒錯が生じているのではないかと思うわけです。
そういう意味ではライアンすらディズニーの傀儡でしかないという下劣な見方もできるのだけれど、そういうのは抜きにしてディズニーの技術力と資本がなければ到達できないものもあるので、あまりテーマやイデオロギーにこだわりすぎるのも自縄自縛にしかならないので慎重にならなければいけないのですが。
なんか「スカイウォーカーの夜明け」の話を全然してない気がする。
というのもぶっちゃけ「スカイウォーカーの夜明け」本編についてはダメなところもあるしそこそこ上がるところもあるよねーという極めてスターウォーズ部外者の視点からしか語りえないからなのですよね。
アダム・ドライバーはよかったよ、うん。特にレイを抱きかかえるときの顔とか、ああいうピュアな顔もできるんだなぁと感心しました。
シスの星の在りかを記録しているあの装置とか、そもそもどうして二つもあったのかとか(バックアップ的な意味合いなのかもしれませんが)、クローンの話とか「結局レジェンズからつまんでるじゃん!」という印象だったりレン騎士団の劇中での活躍がベンくんと戦うだけという名前負けというか詐称というか、レイがフォースライトニングを使うんだったら対祖父戦で相殺しあってシスに近づくとかそういうもっと上手い使い方できたんじゃないかとか、まあ考えだすと首をかしげるところは多々ある。
第一パルパティーンの勧誘にしたって、あそこでレイに殺させたところで憎しみによるものというよりは致し方なく、という感情の動きであって、それでシスとしての継承ができるんですかという疑問があったりするわけで。
ていうか皇帝フォース強すぎ。ていうかさっきも書いたけど全体的にフォース何でもありすぎ。
それはまあいいとしてもですね、JJ、ベンくんとレイのキスはだめだろー。あそこはダメだろ―。「パシフィック・リム」観てないのかJJ。それともやけくそなのかJJ。あそこはこらえてほしかったよJJ・・・。
フィンくんがレイに言おうとしてたのって絶対ベンくんの役どころに立ちたいからでしょ。その辺なあなあになってませぬか。というかレイはそういう恋愛とか色恋のにおいは完全に断ってほしかったからあのキスは本当に「えー」となりましたねー。
というかベンくんに関しても結構扱いが雑というか、少なくとも前作ではかなりおいしい役だったのに対して今作ではちょっと残念だったですね。パルパティーンに雑に吹っ飛ばされて退場、というのはどうなの。
あとシュールな笑いが結構ありましたね。笑わせようとしているシーンでは笑えなかった(劇場でも笑ってる人いなかったです)んですけど、ハックスが撃たれて死ぬシーンでやけに吹っ飛んで地面を滑るのとか、レンくんとレイの引っ張り合いでめちゃくちゃ揺れる船の絵面とか、またしても自分のフォースライトニングで顔を削られるパルパティーンの学習能力のなさとか、そういうのは面白かったです。
そんな感じ。