dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

4月のまとめ

ヒューゴの不思議な発明

なんだかすごいスピルバーグっぽい。

スラップスティックな感じとか、70~80年代のスピルバーグ映画でこんな感じのを観たような。あと駅にずっととどまっているという点では「ターミナル」とも共通点があるといえばある。

どうでもいいけれど、クロエよりエイサくんの方が可愛いという罠。映画への愛が溢れている映画、といえばいいのだろうか。サシャバロンコーエンとかクリストファー・リーとか、なにげにメンツが面白いというか豪華というか。

あの機械はやっぱり「メトロポリス」のアレなのかなぁ。

 

 

「チェンジアップ オレはどっちでお前もどっち」

ライアン・レイノルズベン・スティラーに見えた。作品自体は下品なネタが多いけれど笑える。

マスターベーションを訊かれてクラッカーと答える母(クラッカーはタマキンのスラングなので意訳としては誤魔化してはいないという)。ケツたたいて友人の娘を倒すところの配慮の欠如とか。

タティアナは狙ってないのでしょうが日本語の語感だと卑猥に聞こえたり。

細かいところで言えば、向こうの行政施設?特に運輸省はサウスや「ズートピア」でも描かれたように仕事がトロすぎて行列ができるというのはもはや定型なのでしょうね。

ほかにも入れ替わったことをわからせるために夫婦しか知らないことを言うくだり。夫が誕生日を間違えるのとか、笑えるけど笑えないというか。

後半はレイノルズ側の描写が雑な気がしますが、まあ多くを求めるタイプじゃありませんな。

入れ替わることで他者を理解するというのはまあありがちだし、何か傑出した部分があるというわけではありませんが、普通に観ているぶんには笑えます。

個人的には「小便して自分の人生を取り戻す」というワードが気に入ったので、排尿するときに使います。

 

 

ドクトル・ジバゴ

長い。いや、良い映画ではあるんですが長いですよ。

197分とか、「アラビアのロレンス」もそうですがデヴィッド・リーンの映画は尺もそうだし内容のカロリーもあって集中力を持続させるのが大変。

ただ、最後まで観てみるとヒューマンドラマとしての側面がかなり大きく、ロシア革命という状況に翻弄される男女の物語なのですね。なんだか宣伝コピーみたいになってますが。

これ、どっかで同じようなプロットを見たなーと思ったら「シェルブールの雨傘」でした。「シェルブールの雨傘」も、これはこれで全編がミュージカル台詞という狂気の映画で凄まじいのですが、話自体は「ドクトル・ジバゴ」とかなり近い。要するに「もしもあの時あの人と…」というタイプ。オマー・シャリフの命日だからこれをやったのだろうか、BSは。

 

演出も芸コマだったり。たとえばコマロフスキー(クズ)とラーラのシーンで、コマロフスキーの顔を近めに、その横にある鏡におめかしさせられた赤いドレスのラーラを反射させて一緒に撮っているんですが、鏡には彼女の身体だけが映り、顔は鏡面に収まらないという演出。この男が彼女を本質的にどう思っているかが読みとれる。そのくせ、葉巻に火をつけるだけの行為を鏡の前で行う(無意識だろうが)自我の強さ。

実際、このあとで彼女はレイプされるわけですが、まあ男尊女卑の世界では黙殺されてしまってね。

ジバゴに「彼女を進呈しよう。結婚祝いに」なんてほざきますし。

でもあの赤いドレスがいいんですよね、困ったことに。

 

「大砂塵」

強い女同士のバトル。やっぱりジョーン・クロフォードはかっこいいなぁ。

いや、いい映画なんですけど、「ドクトル・ジバゴ」と立て続けに観たせいでわたしのポンコツな脳みそでは集中して見ることができず・・・

 

サボタージュ

もともと3時間の映画を編集で100分ちょいから午後ロー枠でさらに20分ほどカットされているので微妙によくわからない部分があったりする。

デヴィッド・エアーなので最低限の面白さは担保されているわけですが、ミステリー要素を排除しても良かったんじゃないかなーって。

しかし相変わらずグロ描写とか銃撃とかアクションはいい。死体を金網で巻くことで腐乱ガスが抜けて沈めても浮き上がってこないという部分とか。

しかし編集と演出(制作のゴタゴタのせいですが)のせいでよくわからなくなっている。シュワが最後の方で攻め込むところで背後のポスターに「sin sin sin」って書いてるのとか細かい部分はいいんですけどね。あと三四郎小宮の吹き替え起用はイミフ。

 

ロシュフォールの恋人たち

ミュージカル映画ってやっぱり衣装が大事な気がする。「ラ・ラ・ランド」がミュージカル映画の初体験である自分からすると、やはりその部分は外せないのだろう、と「ロシュフォールの恋人たち」を見て思った。

冒頭のダンスなんか、「ラ・ラ・ランド」の冒頭のダンスに少なからず影響を与えているでしょうし、これは結構イケている気がする。

グレーの作業着(?)の下に淡い色のシャツ着ていたり姉妹が最初来ていた白を基調として黄色やピンクが下地的に使われているワンピースも良いですよね。

あとイヴォンヌのカフェのデザイン。壁がほとんどなくて開放的なんですけど、グリッド状の白い床の整った感じとか、個人的にすごいツボ。

カラフルな衣装が次々変わっていく楽しさっていうのはやっぱりミュージカル映画ならではでないかと思うのです。

 

「ファーナス 決別の朝」

やるせない。チャンベール、ハレルソン、ケイシー、デフォー、サルダナ、ウィテカーなどなど。好みの俳優が雁首揃えて陰鬱とした空気を発している映画とあって、個人的には結構好きな映画だった。

チャンベールからどんどんズームアウトしていくカメラワークが多用されているんですけど、これはもしかすると彼から離れていくそれぞれの人物の視点だったりするのかなーとか思うとほろり。ケイシーは「マンチェスター~」でその地に足付いたすさみ具合を見せてくれていましたが、こちらでも心の荒廃を明確な理由を根拠にしているだけあって壊れ具合もひとしお。ハレルソン意外は明確な悪がいないだけに、どうにもやるせない。「ジュマンジ」を観たあとにこれ、というのも落差がひどい。ハレルソンを悪、とは書きましたが、実のところハレルソンですら閉塞した村社会の因習というシステムに無意識のうちに調教された犠牲者でもあると考えることもできなくはない。いや、普通に観ているとハレルソンの演技も相まってムカつくサイコみたいな感じなのですがね。

 

 「ソイレント・グリーン」

ディストピア映画といえば、この映画の名前が挙げられるのはかなり早い段階であろう。人肉ウマーではなくマズーな映画。

この映画は食ってるものが人肉でできていましたーということが大オチになっているわけですが、今似たような設定やリメイクを作るとしたらむしろこれが前提となって様々なメタファーでもって映像化されるのだろうなーと思ったり。

人間を飼育することの前段階としての「家具」があるとも考えられるのですが、段階でいえばむしろ飼育の後になるでは。「家具」が女性だけという点は明らかにフェミニズムの問題が提起されている。

ディストピアな世界観が観れるだけで、割りとじぶんは満足してしまうのですが、頭の方の水路(?)みたいなところのフェンスを暗殺者が登っていくところの望遠のカットとか、なにげにすごい近未来感があるんですけど、あれってセットなのかしら。

あと市場の風景を映すときだけ緑色がかった霧のようなものが画面に充満しているのとかもいいですよね。

 

「シャイアン」

ジョン・フォードの、というかアメリカ人の罪意識からなのかどうかは知りませんが、今度は先住民側の苦悩を描いている。

相変わらず風景のカットとか馬がカメラの奥までずーっと雁首揃えて走っているシーンとかは観ていて気持ちいい。

 

 「レッズ」

冒頭の入りからてっきりドキュメンタリーかと思ったら伝記映画でした。それでも結構史実に忠実なのだろうけれど。

ロシア革命を外部の視点から描くというのは面白いんだけれど、いかんせん長すぎる。もっともどこかカットしろ、と言われるとそこまで無駄な部分があったとも思えないし。いや、そうでもないか。少なくとも前半のイチャイチャとかニコルソンとのntrとかもっと切り詰めてテンポよく行けたとは思うんですよね。別に、最終的にあの三者が組んず解れつのおお揉めになるとかでもなし、かといって革命の動向とシンクロするでもなし。主題はあくまで革命の動きにあるわけで、どうもどんピシャリとは思えない。困基本的に2時間でも集中力にかげりが見え始める自分としては190分は長すぎる。