dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

キートン・ウォーズEP1~EP5

さて、ということで新年一発目はBSテレ東でやってた「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」をば。

本当は新年一発目に観たのは同じく録画していたFate桜ルートだったんですけど、完全に一見さんお断りだし分割だしで、単独で記事をポストするほどボリュームを持たせられないなぁと思い、キートンを一発目にした所存でございます。や、Fateの映画自体はあまり語る余地はないと書きつつ、Fate自体はそれなりに語ることはできるんですけど、数年前ならいざ知らず今はそこまでの熱量持てないですし。

 

「ファウンダー~」は公開当初から気にはなっていたものの、公開館数がそこまで多くなかったので中々足を運ぶ機会に恵まれなかったんですが、本当にテレ東は地上波もBSもいい仕事してくれます。しかも吹替新録ということでしたし。そもそもソフト版には吹替はなかったみたいですね、ウィキさんによると。

さて、そんなわけでCV山寺なキートンということで中々新鮮なキートンではあったんですが、正直なところ後半の演技はもうちょっと声低めでもよかったかなぁと。見ればわかりますが、今回のキートンはかなり野心家なところがありつつもある種純粋でもあるので、比較的今回の吹替では山ちゃんの声が高めだったので、侵略を開始するあたりはもうちょっとダーティさを出してもよかったかなーと。いやしかし、ダーティというのは小手先の問題であってレイ・クロックは割と純粋(悪)な印象も受けるのでかなり難しい気もしますが。ただまあ、記事タイトルからもわかるように、この映画のキートンもといレイ・クロックは、割と本気でアナキン・スカイウォーカーダース・ベイダー的でもあるので、浪川→大平透並みに声を変調させるのもありっちゃありだとは思うんですよね。いやないか。

まあでも、よく考えたらシュワルツェネッガー玄田哲章みたいにもはや本人の声に違和感を覚えるような決定的なフィックスはキートンにはいないし、良くも悪くもイメージに引っ張られすぎないというのはあるのかも。

すさまじく余談ですが、ジェイク・ジレンホールの吹き替えも最近は高橋広樹が多くなっているのですが、かと思いきや山ちゃんだったりするあたり、キートンと同じような理由からフィックスがなかったりするのかも。

 

ちなみに、キートン吹替に関する面白い記事があったので、下記のリンクも読んでみるのもよろしいかと。

video.foxjapan.com

 

さて、キートンを連呼してきましたが、脇を固める俳優もいい感じ。レイ・クロックの(元)妻を演じるのは「最後のジェダイ」でローズに次ぐヘイトを買ってしまったローラ・ダーンですし、マクドナルド兄弟を演じるのは去年「ラッキー」で映画監督としての手腕も見せつけてくれた名俳優ジョン・キャロル・リンチとドラマでも活躍するニック・オファーマンなどなど。

 

マクドナルドを今の地位に押し上げた立役者であるレイ・クロックを主人公に据えた伝記映画ということなのですが、まあなんというか昨今のアメリカ(を中心とした資本主義…ポストモダンへの問いかけ)の情勢などを考えさせる映画だけにすっきりする終わり方とは言えない。

そもそも、主人公であるレイがほとんど悪役に近い存在であるだけに、彼の成功を描くことは悪の勝利でもあるわけで。

ただ、既述のとおり彼をダーティな悪役と単純に考えるのは早計ではあると思うのです。確かに、映画の最後に実際のレイ・クロックの映像が流れるのですが、キートンよりもふくよかで柔らかな顔をしているのです、怖い顔のおっさんの筆頭株であるキートンを配役している時点である程度の汚さみたいなものをキャスティングの段階でイメージしていたのでしょうが、むしろ実際のレイに近づけすぎると柔和な顔でああいうことをすることで余計に汚さが際立ってしまうはず。そこをすでに顔のがダークなキートンを配することで相対化し、より純粋さを表現させようとしているのではないだろうか。

現に、劇中で描かれるレイは、少なくともドナルド兄弟と出会うまでは客のことを考える(あくまでビジネスマンとして、ですが)視点を持って様々な場所に営業を行う努力家ですし、マクドナルドを広める段階で投資をしてもらおうと銀行に行った際は、実は何度も新たなビジネスをしようと融資を頼んでいたことが判明するトライ&エラーを繰り返していた野心家であることも描かれます。

そう考えると、やはり単純な悪として断定はできないのですよね。というより、この時点ではまだ成功を夢見る50の営業マンといった感じでしょうか。

レイが当初は純粋だったというのは、その服装の変化からもわかります。当初の彼は営業に回る人間として白いYシャツにタイだったんです。が、マクドナルドとの接触によってグレーの背広を着るようになり、最終的には黒いスーツを着ることになります。これはSWでシスを黒・ジェダイを白として善悪を表現したのと同じで、それが割と露骨だったから引用したまでなんですが、実はこれレイにだけ及んでいるわけではないんですよね。

ドナルド兄弟もダース・キートンと紳士協定を結ぶときにやや暗めのスーツを着ていくので、彼らもダークサイドに加担しつつあることを描いてはいるのですが、ここで面白いのは兄弟のスーツは暗い色ではありつつも濃いめのブラウンであるのに対し、キートンははっきりと黒いスーツというのが細かい。

まあ、キートンが一番シスになっていたのはマックが糖尿病で入院していたときにダメ押しとばかりに形だけの見舞いをしにきたときの服装で、黒いスーツに赤い色のシャツという、完全にシスの色合いであった瞬間なんですが。

また、よく考えるとレイもドナルド兄弟も厨房で動いているときは白いYシャツでいることが多いというのも、なかなか興味深いあたりだと思います。

 

ただ、じゃあレイはマクドナルドとの出会いによって資本主義の鬼となってしまったのか、というとそれはそれで違う。違うというか、最初からレイの裡にはダークサイドへの素養があったのではないか、ということです。

その証拠に、帝国の誕生を予感させる演出は最初からあるんですよね。というのも、映画の冒頭からボレロっぽい曲がBGMとして流れているんですよ。ぽい、というのはかなりアレンジが加わっているので厳密には違うとは思うのですが、要するにボレロの意味するところは徐々に盛り上がっていくところで、それが極北に達するのが帝国の完成なわけです。

そうしてアットホームな店だったマクドナルドはキートンの手腕によって拡大を続け、最終的に彼によって買収させ創始者たるマクドナルド兄弟は自らの店にその名を冠することができなくなるのだった。

 

それと最後の方で、まるで観客に向けて言うかのようにキートンの正面からのアップで演説が始まるんですが、これはシーンとしては鏡の前で演説の練習をしているのですが、その演説の内容も実にアメリカンスピリッツというかアームストロング上院議員的な単純さというか、それによって騙くらかそうと(本人は信じているのでしょうが)している感じがある。「才能がなくても、その粘り強さによって成功を勝ち取れる(意訳)」ということを述べるのですが、ただ、この演説はレイ自身のことを指していると同時にドナルド兄弟のことを指してもいる、というのが実に面白い部分。

そう、実のところレイもドナルド兄弟も同じなんですよね。レイが何度も新たなビジネスを始めようとトライ&エラーを繰り返したように、ドナルド兄弟も同じく何度も失敗を繰り返し成功したように。

シスとジェダイが本質的には同じであるように。

両者は背中合わせ、というよりも鏡像関係にあるのです。それが、この映画の一番面白いところだと思います。

 

細かい描写とかも結構気が利いていて、紳士協定を結ぶときに握手をするシーンでモーリスの顔だけを映すのとかイイですよね。

 

新年一発目になかなかいい映画観れてよかったですぞ。