本当は4月のまとめの方に入れようと思ったのですが、思ったより熱が入ったので単独でポスト。
「暗黒街のふたり」
えー傑作でしょう、これ。
描かれるものがあまりにも現代的テーマ性を帯びていて(少なくとも今の日本では)、ちょっと怖くなる。
本編中だけで言えば「罪を犯した者への出所後の社会(規範)――体制側からの風当たりの強さ」を、当事者の生活をリリカルに描きつつ、その日常を浸食してくる様子を批判的に映しとっているのですが、森達也のAシリーズに直結する問題を孕んでいる。
それは冒頭のジャン・ギャバンのモノローグがすべてを物語っている。
司法の場においてリボフスカ演じる女性弁護士の答弁に対し裁判官は落書きし陪審員は居眠りしているというあたりは、もちろんある程度のカリカチュアライズされているのだろうけれどあまりにもひどい。これ、ムービーウォーカーのあらすじの書き方から察するにフェミニズム的な視点も入っているんでしょうか。
そんなわけで司法の空虚化という、森達也や想田和弘がオウムの死刑にあたって主張してきたことに通じるものが描かれるわけですが、ラストに至るまでの作劇がまた無慈悲なんですね。
出所した後のアラン・ドロンの生活は元妻が死んだ後(このカークラッシュまでの一連のシークエンスも好きなんですけど)の右肩上がりに調子が上がっていく様が妙に抒情的なモンタージュで描かれていてちょっと半笑いなるくらいなんですけど、だからこそゴワトロー警部の執拗なまでの監視に対する憤りも共有できるし、それまでがエモーショナルに描かれてきたがゆえにラストのあまりにもとりつくしまのないカットとの落差に愕然と恐怖するんでしょう。
どこまでが実際のプロセスなのかわからないですけど、ワイシャツの襟を切り取ったりなんか飲ませたりするシーンが完全にカウントダウンで失禁しそうになる。
それに加えてアラン・ドロンの憔悴した佇まいも凄まじいく、そこから間を置かずに処刑台に連れていかれ、断頭直前にJギャバンとドロンの双眸のカットが入るのももう色々とやばい(ボキャ貧)。
で、断頭。あのカットが湛える無機的な質感と無情なスピーディさは、あそこだけを抜き出せば北野映画以上に渇いた人の死の描写だと思う。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のそれにも似た感覚ではあるんですけど、しかしあれはビョークの歌という救いがあるので似て非なるものではあるような気もする。
ウィキによると81年までフランスはギロチンによる死刑を行っていた(!?)らしいので、この映画が作られた73年はまだ現役だったということになる。あのリアリティは、当事者の放つ時代性からくるものなのかもしれない。
で、これが全然他人事じゃないのは、日本もいまだに処刑制度を、しかも絞首刑というものを採用しているところ。はっきり言ってこの映画で描かれることと大差ないでしょう、今の日本の司法制度と死刑制度は。
この映画を観た後では「それでも人を殺すのは悪いことだよね」という、巷間にはびこる言説に対して「お前それジーノの前でも言えんの?」という義憤にかられる。
そういう理性なき正義感というものが危険なのだと、今の日本で訴えなければならないのです。無論、それは自分にも言えることでせうが。
余談ですが、本編とは全く関係ないとこでツボったこれ。
ホームカミングのYeah Spider-Man Guyに通じる笑いを感じる