dadalizerの映画雑文

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試写会に補欠当選したので行ってきた。あとターミネーターも観たよ

前日に「補欠当選しましたよ!」って言われて都合を付けられる自由人ってどれくらいいるのだろう、などとどうでもいいことを考えつつ「まあタダで映画観れるならそれに越したことはない」ということで試写会に行ってきました。

 

んで観に行ってきたのが「幸福路のチー」という台湾産のアニメでございます。

私は日本のアニメにも疎いので海外のアニメ事情なんて全く知らないので何とも言い難いのですけど、いやーでもこれやっぱり「窓辺系」映画の系譜でしょ。

いやーでも観賞環境もあるのかなぁ。今回は日比谷図書文化館のコンベンションホールで観たんですけど、座席が自分に合わなかったのと(劇場としては)かなり小さめのスクリーンにDVD?映像を映しているだけっぽかったので、ちゃんとした映画館で観たらもうちょっと評価が違ったのかもしれないですね。

「プロメア」のときも書きましたけど、観賞環境ってかなーり大事です。

 

さて、そういうわけであまり良い観賞体験ではなかったんですけど、それを差し引いてもこの映画はチョー最高というような映画ではないでせう。

というか、ちょっと良く分からないのが劇場アニメなのにリミテッドアニメーションでかなり枚数を省いている(かといって京アニ的とか日本の深夜アニメに見られるような書き込みがあるというわけでもない。キャラデザも一昔前のNHKの教育アニメとか・・・まあ一番近いのは「レジェンズ 蘇る竜王伝説」とか、ああいうのですし)んですよ。下手したら低予算の日本産アニメ並みの枚数並みのときもある(たぶん、1秒あたり8枚もないところが結構あるんじゃないかしら)くらいなんですよ。

かと思えば唐突にフルアニメーションになったりと、どうも場面単位でアニメーションにブレがありまして、じゃあフルアニメーション(とまではいかずとも秒単位の枚数が増える)シーンには何か意図的なものがあるのかというと、ちょっと私には分からないくらい規則性とか表現としての狙いが見えてこないんですよね、そこの使い分けに。

その辺がかなり気になったのと、これ基本的にはさっきも書いたような「窓辺系」の映画なので何か具体的な物語上の目的があるわけでもなんでもなくて、まあかなり乱暴に言ってしまえば「都会での生活に疲れた中年女性が故郷に戻ってそこで人の暖かさに触れてほんわかぱっぱする」系の映画なので、どうも観ている側としては困る。

 

アニメの表現という点ではほかにも気になるところがあって、たとえば食べ物を背景絵(セル塗りじゃない絵)と同じように描いているところがあったりして、しかもそれを意識してしまうくらいには大きく映っていて、なんだか食べ物というよりはキャン★ドゥとかのオーナメントがテーブルの上に乗っているのではないか(というかテーブルと一体化している)んじゃないかと思えるような無機質さだったり、夫がタクシーで去っていく終盤近いシーンでタクシーが中央線の上をさも当然のように走っていく様とかですね、なんというかこれアニメーションとしてはどうなのか、というのが多々散見されるんですよね。

いや、それが「ダイナミックコード」とか「チャージマン研」とかああいうレベルまで突き抜ければそれこそ一つの魅力としての愛嬌を持たせることはできるのでしょうが、この映画が目指しているのは(というか今あげた名前も決してそこを目指していたわけではないのでしょうが)もっと意識高いところだと思うんですよね。

んが、その意識の高さ、というかこういう日常の悩みみたいなものを描くのであればそれこそアニメーションの細部に注力しないといけないわけで。

 

なんか本編の始まり方もすごい唐突でスタジオロゴからの動きのある俯瞰ショットという呼吸の荒さで、こっちが驚いている間にいきなり現実と空想(回想)が右往左往し始め混乱しまくるわけです。

んじゃそれが今敏的なシームレスさがあったり、混然一体となったダイナミズムが快楽に繋がっているかというと別にそういうことでもなく、むしろ混乱させられるということの方が多かったりするわけです。

 

お祖母ちゃんの扱い方もなんだか絶妙におろそかなのがすごい気になる。一応、お祖母ちゃんが死んだから一時帰国してきたという体なのに、中盤でお祖母ちゃんは何だったのかというレベルで出てこなくなりますし、なんか最後に諭した言葉を残していくだけですし。第一、あの台詞は原語のニュアンスが上手く翻訳されてるのかわかりませんが、なんか最後に残す言葉としては温かみにかける極めて現実的な、それこそ皮肉なんじゃないかと思えるくらいなんですが、あれは文化的な違いか何かなのだろうか。

いや本当、祖母ちゃんちょっとひどくないですか、それは。というか全体的にお祖母ちゃんの扱いが謎で、ある出来事からチーちゃんがお祖母ちゃんに不信というかまあ疑いを持ってしまって、チーの悪夢の中でお祖母ちゃんは恐ろしい龍として登場してしまうわけなんですが、それをお祖母ちゃん自身が清めるという極めてマッチポンプなこの描かれ方がなんだかよく分からない。いや、意図は分かるんですけど、演出としてはどうなのでしょう、これ。

 

ただお祖母ちゃん関連では日本版の吹き替え(試写会では字幕)がLiLiCoだというので、エリック以外のLiLiCo吹き替えはちょっと食指が動くというのはあるんですが。

 

この映画の特徴としては「サニー/永遠の仲間たち」のように回想の中で、チーの歩んできた人生と80年代から90年代の台湾における社会情勢がリンク・・・というか背景的に描かれるというのがあるんですけど、「サニー~」が当時を共にした友人の末期という時代性と他者との係わりが密接に結びついていたのに対し、「幸福路のチー」においては小学生時代の友人とはその学年内で別離を経験することになり、もっぱら学生運動とかそういう時代を共に経験するわけでもなくチーちゃん一人の個人的な体験に終始することになってしまってるんです。

だからチャンちゃんとの回想が本当にただの過去話としてしか機能せず、「チャンも大変だったんだね・・・それで?」といった具合にチーちゃんとのリンクがミッシングしている。

あのガッチャマン小僧が二人を繋いでくれるのかと思いきや別にそういうこともなく、本当にただ被災してしまうというだけ。

あのガッチャマンはもうちょっと丁寧に扱えばもっとうまくいった気がするんですけどね。

 

とまあこれまで書いてきたように基本的には「窓辺系」の映画であり、じゃあその日常描写を支えられるほどのアニメーション的な楽しさや細やかさがあるかと言えばそういうわけでもなく、ぶっちゃけると退屈ではあります。

 

場面場面では良いところもあって、チャンがチーにチョコレートをあげるシーンでチャンがさりげなくズレた肩紐を直すところとか、従兄のウェンの写真と自分の写真をトランジッションで対比させて現実と夢のギャップを表現していたりするのとかは好きですし。他にもいいなーと思ったところはあったと思うんですが、忘れた。

 

でもやっぱり、かなり散漫な印象の映画ではありまする。

 

 

で、ターミネーター

いやまあ、ターミネーターにはそこまで思い入れがあるわけではないので、「まあこんなもんでしょう」といった感じで普通に楽しんで観ていたのでこれといって書くこともなかったり。

メインキャストは全員良かったですな。マッケンジー・デイヴィスもリンダ・ハミルトンも。

シュワちゃんは添えるだけ、というバランスも絶妙ではある。

設定的にはかなりチョンボしていますし、やってること自体はこれまでのシリーズと同じです(ていうか同じことしかできない)。

ただ今回のターミネーターは他のターミネーター作品、もっと言えば他のアクション映画では中々観られないものが観られます。そして、それこそが個人的には一番の萌え燃えポイントでございます。

もちろんそれは強いババアことリンダ・ハミルトン。これまでのアクション(のある)映画において強いジジイというの大勢登場していましたが、強いババアはそんなにいなかったでしょう? 強い女性であはりません。強いババアです。

強いジジイの台頭(?)というのは、もちろんドゥークー伯爵がそうだったように(クリストファー・リー)CG技術の進歩によって役者の顔を張り付けることができるようになったから、ということとも関係があるのですが、2000年代あたりから目立つようになってきたとは思うのです。マグニートーイアン・マッケランもそうですしイーストウッド(はまあそれ以前から強いジジイでしたけど)もそう。

そもそも強いジジイというのはマンガやアニメにおいては常に登場してきており、それが実写に投入されたというのは技術的な側面が大きいと思うのですが、リンダ・ハミルトンはもはやそういうCG云々ではなく彼女自身の本物の身体でもって強いババアを体現しているあたりが凄まじいのです。

思えば、漫画アニメにおいても強いババアというのはあまりいないような気がします。たとえいたとしてもそこには何かキッチュな要素が投入されていて、ここまで純粋に肉体的なアクションを体現しているのはやはり多くはないでしょう。

 

というわけでこの映画はシュワちゃんでもマッケンジーでもなく、私としてはリンダ・ハミルトンの映画なのであります。

リンダほどストイックにやらなくてもいいので、この映画をきっかけにもっと強いババアが描かれる映画がどんどん出てきてほしいものです。

問題は需要があるのかどうかというところでしょうか。

 

あと三部作構想もあるらしいですけど、別に「ニュー・フェイト」だけで一応収まっているので別に続きはいらないんじゃないでしょうかね?