dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

ばヰお映画祭

なるものに行ってきた。

映画祭と言ってもバーのような昔ながらの?極小ミニシアター(定員10名だし)で短編映画を流すという(しかも全部同一監督なので、実質は特集上映)ものだったのですが、実験映画的な趣。何の実験か。

それは端的に言って、どれだけ映画(というか映像?)というメディアを使って人を不快にさせることができるか、だと思う。というか、そう思わざるを得ないほどに露悪である。

全部で11作品あったのですが、趣の違う「ハウス残飯映画200513」を除いてほぼほぼそれは通底している。特に「濁ッた佃煮」を筆頭とする「かんぼつ」や「けんべん」なるキャラクターを使ったアニメは特にそうだと思う。といっても、どれもこれもストーリーらしいストーリーはない(一応、撮りたい映像を先にストーリーを後付しているとは言っていましたが監督は)ので、そういう意味ではNHKの短いアニメーション的ではある。もちろん、こんなの流そうものなら苦情殺到子どもはトラウマ確定なわけですが。

すごーく平易にたとえるならば「まごころを~」の心理パートをすべて汚物的なものでコラージュしたもの、といえばいいだろうか。

まあ、映画祭のオープニング映像からしてホットドッグにソースぶちまけたり何かを食べているだけの映像を編集でああもグロテスクにするような監督ですからね。このアバンは結構好きだったりするのだけれど(というか、一番わかりやすくバランスがいいのがこのオープニング映像ではないだろうか)。

音声にしてもそうで、意図的に不快な音を不快な音量(音割れやヴぁーい)で不快な言葉を羅列する。というか、言葉すらもコラージュされている気がするのですが、実際監督はAVのパッケージの云々と言っていたりもしたので間違いではないでしょう。

ことほどさように、この映画は監督の視点によって切り取られた「世界」のコラージュで出来上がっているのではないでしょうか。「みんちゃあ」に対する監督のコメントなんかを聞くに、そう思う。

そして、監督の視点を通過して彩られた映像たちは「世界」を異化し、当たり前のように生きているこの世界(のシステム)がいかにおぞましいのかを見せつけてくる。

わらび餅をミクロで見ることでああも「何か見てはいけないものを見せられている」感覚を催すとは思わなんだ。というか、あれ見ている間は絶対に内視鏡が何かで人体内部の粘膜系を映しているのかと思っていたので、わらびもちだというので驚き桃の木山椒の木でござんした。

で、オープニング映像の「食べる」ことのグロテスクさもそうですし、ある種「生命」に対するグロさでもあるのではないかと。そういう意味じゃビーガンの人なんかとも相性がいいんじゃないかと勝手に思うのですが。

汚物や雑多なコラージュ、セリフのズレや替え歌の歌詞のひどさ(ハッピーバースデーの歌の歌詞を「はみだして鬱~」という置換)にしてもそう。

はれときどきぶた」とか「ねこぢる」とかのシュールさとも違って(まあテレビ放映できる時点で当然なのだが)、かなり露悪的なので好みは分かれそうだし、私ももろ手を挙げて称揚する気にはならないのですが、それでもちょいちょい笑ってしまう部分もありますし、何より依って立つこの世界の意識しない側面を見せてくれるので全然アリアリです。

 

それと「しあわせのちょきんばこ」を観ていて思ったのだけれど、「レインボー」って七色だから美しいのではなくて、それが整然と並んでいることが美しいのだな。ということを七色のモザイクを観ていて思った。