dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

オンライン試写会、とやらを観る。 

家なき子 希望の歌声」というやつ。

なんかの童話なのだろうな、とは思っていたのですがかなり有名な児童文学らしいですね。全然知りませんでした、はい。こちらも全く知らなかったのですが、出崎勉監督版のテレビアニメもあったとか。

今回は珍しく吹き替えで観させてもらいました。山路さんと朴さんが夫婦で共演なさっておりました。

などとバラン並みに枝葉末節な部分はともかく、吹き替えはよござんした。ヴィタリスの落ち着かない呼吸の仕方に山路さんが一々ブレスを合わせていて芸コマでしたし、少年期のレミも違和感なかったです。レミの歌の部分は原語流用なのかわかりませんが。というか、普通に良かったです。ミュージカルや舞台などで活躍している子役だそうなのでさもありなん。

まあ一つ気になるところといえば冒頭のケーキつまみ食いする男の子のリップシンクが微妙に合っていないのとか、作風的にかなり戯画化されているとはいえそれにしてもやや過剰ぎみな気はしなくもないのですが、すぐに壮年期のレミ(CV勝部演之)が物語の中に誘導してくれるのでご安心ください。

 

で、本筋なんですが、前半の20分くらいはなんというか変なバランスで困りました。なんというかこう、とんとん拍子でおぜん立てされる少年の不幸の生い立ちに。

倫理的にどうこう、ということではないのです。壮麗な風景をかなり意図的に使っておりまして、意図的に時代感を脱臭して(まあジュール・ベルヌの「80日間世界一周」とか、中盤あたりから時代が丸わかるバランスになっていくのですが)いわゆるファンタジックな世界を構築しようとしているので、そこに倫理をさしはさむような野暮な感性はそもそもお呼びではないからです。

というか、人物の配置(構図的な意味で)とかとんとん拍子て進んでいく話とか、舞台のように見えるのですよね。だからこそ前半の、ともすればダイジェスト的な話運び・演出も受け入れられるのですが、しかしそれにしても妙な違和感が残る。

 

この映画の主人公はヴィタリスである(断言)。それはレミ(壮年)が語り部として自分の過去を語るという構造にも関わらず、その場にレミがいなかったはず(あるいは本意は隠されている)のヴィタリスの場面が描かれることからもわかるように、ヴィタリスは物語(レミが子どもに語る物語としても、映画そのものからも)からはみ出る、ある種のメタ的な演出がなされている。

それは、音楽の使い方にも表れている。劇中、ヴィタリスが二度音楽を奏でるシーンがあるのですが、彼が、彼の手にする楽器によって鳴る劇中曲であるその音楽がシームレスにBGMへと転じる(というか拡張されていく)のです。

けれど、ヴィタリスが称揚するレミの歌声は映画の世界観の内部に留まり続け、その世界の一部を成す音楽(=BGM)にまで至ることはない。いや、一度だけそうなっているようにも聞こえる場面もあるのですが、しかしそれはBGMと同じ位相にあるというよりはBGMによって補助されている(これはそもそもヴィタリスが曲であるのに対してレミは歌だから、というのもあるでしょうが)に過ぎないし、仮にそれをカウントしたとしても単純に回数としてヴィタリスに及んでいない。

つまり、音楽(歌も含む)というものが肝になるこの映画において、より存在感の大きな音楽を発する奏者こそが主人公であり、それがヴィタリスなのだと思うのです。

だからなんだ、という話ではあるのですが、しかし初めからレミではなくヴィタリスこそが真の主人公であると考えれば前半のレミのくだりのダイジェスト感というのも得心がいくのであります。個人的に。

まあ、貴種流離譚の変奏ともいえるこの映画において、まっとうに考えればレミが主人公であるというのは至極当然なのですが、しかしヴィタリスの存在感の大きさに対してレミの存在感が食われているように思える。それが違和感の正体なのかもしれない。

ヴィタリスの告白も、途中途中でレミの反応を映してもいいものを(ハリウッド映画なら確実にそうする)バストショットのやや長めのワンショットで撮っていたりするし。

 

んで、ヴィタリスの存在感がレミに比べて先行してしまった結果、冒頭と終盤が消化試合を観ているような感覚に陥ってしまった。

えーすごいアレなたとえをすると企画段階はスターウォーズ本編なのに撮ってみたらオビワンのスピンオフみたいだった、という感じだろうか。

 

そんな私がこの映画で一番はっとさせられたのは牛の目だったりする。レミが愛牛に寄り添う場面で、斜め後ろから牛の顔を捉えるショットの、牛の目。あの白目が「もののけ姫」のシシ神の生首の目、あるいは「アンダルシアの犬」の例のシーン(あれもそういえば仔牛でしたっけ)のような、ゾッとする感覚をもたらしてくれた。

本編とほぼ全く無関係なシーンなのですが、このゾッとする感覚というのは昔話の持っているとりつく島のなさにも似ていはしないだろうか?

などと強引にまとめて結ぶことにします。どうもすみませんでした。