dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

満員につき観れなかったので「ブータン 山の教室」をば

シネコン感覚で行くもんじゃなかった。ただでさえコロナで席数絞ってるだろうに、そんなことも予想できなかった私の見立ての甘さよ。

というわけで劇場に足を運んだものの席が埋まっていて目当ての映画が観れなかったので、それとは別に抽選で当たった映画のオンライン試写会を自宅で観ることに。

 

ブータン 山の教室」という映画でござい。

『ブータン 山の教室』

まず一つこの映画について言えることは上記画像の少女ペム・ザムちゃんが、間違いなくこの映画の顔であるということ。公式のFBのアイコンもこの子でしたし、主人公であるウゲンの「THE・凡庸」な空気感(悪口ではなく)に比べて、明らかに華があるし可愛い。

しかもペム・ザム役を演じるのがペム・ザムちゃん自身であり、劇中同様に箱入り娘であり家庭も崩壊しているというのである。つまり、これはほぼ彼女にとっての半ドキュメンタリーでもあるわけなのです。ていうか監督、絶対にこの子のこと見初めてメインに据えたでしょう。そしてその判断は正しい。

何せ私はペム・ザムが自己紹介で歌を歌うシーンで、可愛すぎて涙目になりました。マジで。この子、声もすごくかわいいんです。

 

 

やる気のない新米教師が自然に囲まれた僻地に赴きそこの住人に触れて心を入れ替える(いや別に入れ替えてないんだけれど)、というありがちな内容ではあるのだけれど、この映画、舞台となるルナナ村が僻地にあることを伝えるために30分を費やしてその道程を描くのである。いわゆるビッグバジェットの映画やエンタメ映画ではあそこまでのんびりとは描くまい。

あるいは、ラストのオーストラリアとの対比のために標高・人口が示され、数値的にわかりやすく明示されてもいたりする。

といっても、レイダースのように一歩間違えば死ぬ、というような険しい道のりというわけではもちろんない。

そのような過剰さは、この映画には一切ない。

なぜならこの映画は自然体であるから。

 

自然体であるということ。それはルナナ村の住人だけでなく、ウゲンも含めて。現代の若者(でっかい主語だなー)の表象である彼はiPod(あの分厚さやアダプターの端子から察するにかなり昔の型だと思うのだけれど・・・)を使い、登山中にも音楽を聴きづつける。そこに映し出されるのは、ウゲンという現代の若人の自然体なのでせう。

だから初対面の相手との食事でもスマホ?を弄るような無礼な振る舞いをしても、彼はそれと気づかない。

 

この映画には、だから、野蛮さも過剰さも何もない。というと語弊があって、たとえば(そういう映画ではないと理解しつつも)ウゲンを村人総出で出迎えるシーンのシンメトリーな構造などは「ミッド・サマー」のような異界に足を踏み入れた感がありますし(私が毒されてるだけだが)、何よりあの広大な風景の望遠のショットの連続はそこいらではまず撮れますまい。

だけれどやっぱり、何か思考を促すような映画だったりとか、そういうものではないのだと思う。だから聖職者と呼ばれる教職というのは一体何なのかとか、自然との対比によって現代文明を批判するとか、そういうお題目は存在しえない。前者に関しては、やや建前的に表出しているような気がしないでもないけれど、ラストのことを考えるとやっぱり作り手はそういう問題意識はないのだと思う。その割には派遣期間の終わりが近づくことを告げる村長とウゲンの会話の中で、ウゲンが海外に行くと言った直後に村長の顔のアップの短いワンカット(これ良い)入れたりという、ある種の葛藤を盛り込んでみたりはする(その後に嫌味っぽいことをいう村長。オイオイ)のだけれど。

ウゲンはルナナ村での経験(というか歌それ自体)を糧に、オーストラリアの場末(失礼)のバーでセデュから教わった歌を歌い、そしてエンドロールへ。

 

ウゲンの将来も夢も、そんなものは掘り下げない。有言実行し、不言実行する。ただその結果と過程だけが淡々と描かれるにすぎない。

それが自然体なのかもしれない。登場する人たちはみな顔がドアップになりながらも、その顔のそばかすや吹き出物をメイクで美しく見せようということもしない。ドキュメンタリーと書いたのも、そういうところがなきしにもあらず。

 

起伏も葛藤もないこの映画には、しかし絶対的な支柱が存在する。それはペム・ザムちゃんだ。

この映画にとってのノルブ(宝)は間違いなくペム・ザムちゃんである。その可愛さによってのみこの映画を最後まで牽引する。それだけの魅力が彼女には間違いなくある。

ペーパームーン」におけるテイタム・オニールが個人的にはこの年頃の可愛さのトップだったのですが、ペム・ザムはそれを悠々と超えてきました。

ペム・ザムに比べればテイタム・オニールなどただの悪ガキに過ぎませぬ。ペム・ザムの持つあの無垢さは「害虫」における宮崎あおいのそれと対置することもできるのではなかろうか。どことなく宮崎あおいに似ている気もするし、ペム・ザムちゃん。

 

ともかくこの映画はペム・ザムちゃんだけを目当てに行っても全然かまわない。それくらい可愛い。

断っておきますが私はロリータコンプレックスではありません。それでもなお、彼女の可愛さは超軼絶塵である。