dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

悪人ではない、というエクスキューズ

「ベイビー・ブローカー」観てきた。暑すぎて外出ることが億劫すぎて、気づけば今月映画観るのこれが最初という。

にしても宣伝や監督自身のプロモーションに比べて回数少なかったですな。近所のシネコンではスクリーン一つだけな上に一日3回しか回ってなかったし。おかげさまで平日昼間なのに人がまあまあおって良い席が取れず、前から二番目という首の痛くなる位置に。なのに横に人が座ってくるというストレス。

万引き家族」後なのにな~と思ったりもしたのだけど、「真実」も扱いとしてはこんな感じだった気もする。それに加えて「トップガン~」が強すぎてハコ増やされてたりまだまだ「シン・ウルトラマン」の勢いも良いのでそのあおりを食らっているというのもあるのでしょう。

でもまあ「万引き家族」がカンヌ受賞ブーストあったからあそこまで話題になっただけで、ジブリみたいなんと違ってブランドとしての是枝裕和って前からこんな扱いだったような気もする。

 

で、本題。

「奇跡」以来のロードムービーでしたね、これ。や、実際、「ベイビー・ブローカー」はロード―ムービーとして観れる。だもんで景色が結構変わる(といっても海沿いメインなのだけれど)ので観ていて飽きない、というのはあるんじゃないかしら。

景色、と言えばなのだけれど、これはもうなんというか、誰が撮ってもこうなってしまうんじゃないかというほど、街並みの高低差がすさまじい。最初のカットからして坂から始まるわけで、この「街中の高低差」は同じく韓国映画ポン・ジュノの傑作「パラサイト~」において重要なモチーフとなっているわけですが、ある意味では韓国という国の格差社会を街(どこでロケしたのかわかりませんが)それ自体が表象しているとすら言えるのではないだろうか。

それを意識しているのか、あるいは単なる運動としてなのか、それともそういった環境がもたらす必然なのかまではわかりませんが、人物が坂や階段を「登る」「降りる」といった動作が目立つ。まあ意図的でしょう。ヘジン(いい具合に小デブサイクで小生意気な感じがいやにリアルである)がブローカー一味に加わるのも、彼が階段を「登」ってきてサンヒョンたちのいる部屋を訪れたことがきっかけになっている。

まあ「パラサイト~」のほうが卓抜した描き方ができていると思うけれど、是枝監督の場合はその上下の高低差を個人の能動性によって乗り越えられるものとして描いているように思える。登るにせよ降りるにせよ、その地点に立つ誰かのもとに到達するという意味において、そういった格差を無化しようとしている。「パラサイト」においては、それをもっとニヒルかつすさまじいアングルによって、ダイナミックに表現していたという点で双方は対極的といってもいいのではないだろうか。

是枝監督のそういった「やさしさ」はほぼすべての主要登場人物に注がれ、それぞれの事情を徐々に開陳させていくことによって単純な「悪人」を排していく。しかし、その善意(無論、この善意も100%純粋なものではない。純粋な悪人が是枝映画に存在しないように)が社会規範・法を逸脱させていったり、あるいはそもそもの大前提としてそうせざるを得ない環境に置かれてしまった人たちを描いている。というのはほぼ一貫している。

ただ今回に関しては、そういった善意による駆動性がひと際目立つような気がして、ちょー大雑把にまとめてしまえば逆「悪の法則(リドリー・スコット)」とでも言いたくなる感じ。

役者はみんな良いのだけれど、個人的にはペ・ドゥナ!なんてったってペ・ドゥナだろ!と。いやーぶっちゃけソン・ガンホよりも断然良いでしょうペ・ドゥナ

張り込みのためにメイクほぼ皆無な感じとか、セリフだけでなくその表情からも過去に色々あってこんな荒んだ感じになってしまったのだなぁと、ありありと伝わってくる所作の妙技。彼女のバディ役もどっかで見た顔だなーと思ったら「野球少女」のイ・ジュヨン!とにかく役者はみんなよござんす。

飯食う描写も、デカ二人の方がよい。雑に食べてるときが一番美味そうに見えるのである。そう考えると、ブローカー組に食事描写がなく(皆無というわけではないが、食事をしている人物が同時にフレームに収まっていることが少なかったり)、中盤まではもっぱらチェイサー組に担わされているのは、作劇上で人間性を描くのが難しいために「食」によって表現しているのではなかろうか。実際、二人がソヨンに接触するまではかなりグレーなことまでやろうとしていたり、後半になって内面が滲みで始めるまでは悪徳まではいかないまでも観客には悪い印象を与える役回りであるからして。まあペ・ドゥナの演技力をもってすれば序盤から「この人も何か腹に抱えてるのだなぁ」というのがわかるわけですが?

 

中身は相変わらず?「家族(生殖)」と「疑似家族(非生殖)」を巡る幸福の形についてで、一応はハッピーエンドではあるのですが、しかし私は最後の最後のそのハッピーエンドは、ある二人組を非人間化することによってもたらしているように見えて、ちょっと萎えたというか欺瞞的に思えた。

あのハッピーエンドは、その二人組ーー赤ちゃんを買おうとした夫妻ーーだけが、明らかに都合の良い存在に堕してしまっている。彼女たちだけが善意100%の存在に見えてしまう。あの二人は、子どもが欲しかったから非合法な手段を取ってまで(これは制度の不備への遠回しの糾弾であることは言わずもがなだが)我が子としようとしたはずで、にもかかわらずあのラストにおけるあの役回りへの配置はソヨンにとってあまりに都合が良すぎるのではないか。ソヨンの選択自体は分かるのだが。

 

といった感じ。

あと安藤サクラのアレを狙いにいったろこれ~(笑)と思えるようなカットがちらほらあって、感動云々というよりもちょっと笑ってしまった。