dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

あえてこう呼ぼう、司馬宙と

この題名で観た映画がわかる人はどれくらいいるのだろうか。「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」を観てきたんですが、その前に観てきた「ブラッド・ファーザー」についても軽く触れておこうかしらしらしら。出所したばかりのメル・ギブソンの元にカルテルだったかマフィアだったかの男と交際していた放蕩娘(勉強はできるっぽい)が殺人(未遂)を起こして泣きついてくるんですが、これが面白いんですね。ジャンルとしてはありふれてるんですが、アル中なところとか野蛮なところかメルギブまんまで笑っちゃいます。ところどころで笑いもあります。午後ローとかでやってそうな映画なんですが、その中でも割とレベルの高い午後ローですね。ていうか午後ローでやってくれ。吹き替えで観たいんで。あーほかにもGyaOで観た「バグダット・カフェ」とかもちょっと感想書きたい気もするんですけどね。

とまあ「ブラッド・ファーザー」はこの辺にしておいて「皆は~」について書いていきましょうか。

最初に言っておきたいのですが、多分これは「ヒーロー映画」ではないのだと思う。もちろん、監督のインタビュー記事や寄稿、宣伝文句的に「ヒーロー映画」という言葉が引用されるのは無理からぬ話ではあります。しかし「ヒーロー映画」と同様に「時代劇」や「西部劇」といったカテゴライズされた枠組みの中では、もはや「ヒーロー」や「侍」といったものの真髄を描くのは難しいのです。なぜなら、そこには決して振り払うことのできない打算や商業主義がまとわりつくからでもありますし、単純に陳腐化されてしまうからです。ファイナルウォーズ以前の平成ゴジラが「怪獣映画」ひいては「ゴジラ」という一つのジャンルになり下がり、そのジャンルに寄りかかり、おんぶにだっこの惰性と怠慢で粗製濫造された結果として当然の結果を迎えました(それでもゴジラという怪獣の力が持つポテンシャルによってギャレゴジやシンゴジのようなものも出てくるわけですが)。スピルバーグが「ヒーロー映画」のバブルははじけると言ったのも、至極当然の話なのでしょう。

そう考えると、やはりこれは「ヒーロー映画」ではなく「ヒーローの映画」なのです。言葉遊びのようですが、自分の中でこれら二つの定義は異なります。

主人公のエンツォが超人的能力を得る過程はあまりにくだらない上に、盗人の末路としては至極当然という意味で笑えるのですが、本人が深刻で音楽もアンビエントな感じなので笑っていいのか笑っちゃだめなのかわからなくなってきます。笑いといえば、この映画は随所に笑いが仕込まれていますが、日本的なあざとい笑いじゃないのもポイントが高いです。グロ笑いは北野映画っぽくもありますね。

あまりに寒々しく薄汚れたアパートに住み、ヨーグルトだけしか食べず、やることと言ったらアダルトビデオを観るだけ。盗んだものを安値で買い取ってもらい、たまに麻薬運びを手伝う日々。圧倒的童貞臭といい、超人的能力を得てやることがATMを破壊するという短絡的行動など、中学生並みの発想です。ていうかマジで童貞なんじゃないかと思えるのですよね、試着室での半分強姦に近い行為を見ると。しかしエンツォを演じるクラウディオさんのすごく野卑な薄汚さは素晴らしいですね。ウォッチメンロールシャッハはザックのコミック指向な画作りも相まって現実感は乏しい(これが悪いというわけではなく)ので、それとは正反対でしょう。

卑近で卑俗なエンツォの佇まいに、それだけで共感してしまいます。どうしてそんな彼がヒーロー足り得るのか、それはもう簡単に言い表すことができるでしょう。「愛する女が望んだから」たったそれだけです。そう、人がヒーローになるためにはそれだけの理由で十分なんです。超人的な能力は、あくまできっかけに過ぎません。実際、アレッシアと触れ合う前は、彼のやっていることはヒーローと正反対というか、普通に犯罪ですから。それもまた、エンツォの人間味にプラスされているのですね。アレッシア役のイレニアさんは口元がフィフィに似ていて、素直に美人とは言い切れないのですが、そこがまた現実的で素晴らしい。地に足付いた顔で、おっぱいがでかい。イレニアさんは本作で乳首をモロ出しにするのですが、彼女の乳首は乳輪のサイズ感とか色合いとかすごい絶妙な気がします。

そしてそして、本作のヴィランを担うジンガロ役のルカさん。こいつが素晴らしい。小物で虚栄心と承認欲求の塊で、馬鹿なくせになまじ権力を握ってしまっているがためにさらに増長する。もうこいつも最高に最低なんですが、でも人間の本質ってそういうものじゃないでしょうか。そういう意味で、このジンガロさんはポールバーホーベン的でもあると言えるかもしれません。ともかくこのジンガロが出てくるシーンはあますことなく最高ですね、笑えますし。ナポリの殺害動画のシーンは少し「キングスマン」のあのシーンぽくもありつつ、あそこまでスタイリッシュではない部分がまた卑俗的でたまらんのです。

ようやくエンツォがヒーローになるのは物語の中盤か、あるいはラストのラストと言ってもいいでしょう。ですが、それはまた、アレッシアの呪いでもあるのかもしれません。それでもエンツォは、ジーグのマスクを被って飛び立ちます。

この映画を完璧な映画だと思ったりはしません。ですが、とても純粋で紳士な映画であることに疑いの余地はないと、それだけは断言できます。はっきり言って、「茶化し」という皮をかぶり滑稽に見せる中で逆説的にしか純粋さを描けなかった「デッドプール」の先をいったのではないかと思っています。

この映画のタイトルでもある「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」というのは、本編の後のことを表しているのかもしれません。たしかに、アメコミヒーローには欠けているものがあります。

制作費2億円ほどのこの素晴らしい映画。はたして、日本の映画でこれだけの新解釈のヒーロー映画を作ることができるでしょうか。漫画やアニメを映画化するということの真髄を、まざまざと見せつけられました。