dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

年明けの二作

BSはこういう自分の目に付かない傑作がやったりするから侮れない。もはや午後ローでは満足できないのである。

 

そんなわけでBSでやっていた2本の邦画について感想をば。ほとんどの日本人はその存在すら知るかどうかわからないけれど、少なくとも今現在のシネコンにかかっている大半の邦画よりは見応えのある2本であったことだけは言える。かくいうわたしも、BSでやってくれなければ知ることすらなかっただろう。だからこそ、わたしは知らないものこそ拾っていきたいと思っているわけで。

その2本とは「太秦ライムライト」と「合葬」。

 

太秦ライムライト

普段はあまり引用したりしませんが、公式サイトからあらすじの引用をば。

 

かつて日本のハリウッドと呼ばれた京都・太秦
香美山(福本清三)は、太秦の日映撮影所に所属する斬られ役一筋の大部屋俳優。
大御所の時代劇スター尾上(松方弘樹)の時代劇も打ち切られ、出番がない日々が続く中、
香美山は、駆け出しの女優・さつき(山本千尋)と出会う。

さつきは香美山に殺陣の指導を請うが、
「女優さんに立ち回りの役はありまへんで」と言い断る香美山だったが、
さつきの熱意に負け、やがて二人はともに殺陣の稽古をする師弟関係となる。

香美山との稽古の甲斐もあり、時代劇でさつきはチャンスをつかみ、
スター女優の階段を昇るべく、東京に旅立った。

・・・時が経ち、さつきが主演を演じる大作時代劇の撮影が撮影所で行われることになるが、
香美山の姿もなく、お世話になった人が皆引退してしまったことを知り、
いつしか大切なものを見失っていたことに気づく。

体調を崩して引退して故郷で余生を送っていた香美山のもとを、
さつきは訪れて復帰を懇願する。
かたくなに復帰を拒否する香美山にさつきは稽古を申し込む。

一ヶ月後・・・
香美山は撮影所にいた。
最期に尾上を刀を交わすために。

そして、最愛の弟子さつきに斬られるために・・・。

 

そんなわけであらすじを引用しましたが、話にフックがあるようなものではないとはいえほとんどラスト近くまで書いちゃってます。時代に取り残された老人の悲哀やら哀愁やら、そういうものかと思いきやそうでもなかった。もちろん、そういうものもあるんだけれど、むしろ、わたしの印象としては「クボ」に近いものを感じ、けれどやはり「クボ」とは違うものであるということを確信する。

 

冒頭、チャップリンの「ライムライト」と同じように「ライムライトの魔力 若者の登場に老人は消える」の文字が浮かび上がると、障子越しの影だけによる殺陣が始まる。

殺陣に始まり殺陣に終わるのがこの映画なのですが、こういう言い方で合っているとすれば、主人公の香美山=福本清三に寄り添った映画だろう。もともとのコンセプトからしてそうであることは否定しようのない事実ではあろうけれど、似た気質のある「俳優 亀岡拓次」のどうしようもなさに比べるとその完成度は月と鼈である。あれはヤスケンじゃないと見れたものではないんですが、ヤスケンのせいでダメな映画になっているという側面もあったりするのですが、「太秦ライムライト」は違う。

何が違うか。それはひとつに演出。

特に前半の魂の継承者たる伊賀さつきとの交流が描かれるまでの、時代に取り残された香美山の哀愁を出すために、徹底的に彼の背中を撮っている。そして、どこかおぼつかなさすら見いだせてしまいそうな福本清三の佇まいと相まって、この背中を見るだけで胸を締め付けられるような思いになった。

邦画にありがちなウェット(というかベタベタした心情描写)でダッサい演出が少なく全体的に落ち着いた空気に満ちている。それは福本清三の顔がそうさせている部分が大きい。香美山のセリフを極力排しているのは、監督を含めた制作陣が彼の顔だけでイケると踏んだからだろうし、それは正しい。クールな演出と顔に刻まれた無数のシワが紡ぎ出す老人のリリックは、大きな話の起伏やどんでん返しなどなくともそれだけで引き込まれていく。ただまあ、ウェットな演出がまったくないということではなく、全体的にクールに仕上げているからこそ、その些細なウェット描写が際立ってしまうという残念ポイントもなくもないのですが。

 

あの若手監督とかアイドル俳優とかプロデューサーのくだりは、あまりにカリカチュアされすぎていないかと思いつつ、でも実際にああいうことってあるのだろうなーと納得できてしまう芸能界の闇深さに思いを馳せたり。そんなこんなで伊賀さつきは出世街道をまっしぐら。一方で香美山は時代劇の激減に伴い仕事をなくし、お払い箱になった彼はカメラの前からパークのチャンバラショーに居場所を移していた。老いと長年の殺陣による肘の故障に悩まされ竹光(なのか模造刀なのかわからないけれど)すら握るのが難しくなってくる。同じ稽古場で木刀を降った仲間も斬られ役を引退してラーメン屋をひらいたりと、ともかく世知辛さを描く。

そんなおり、東京で売れた伊賀さつきが京都に戻り時代劇映画に出ることになり、彼女は是非とも香美山にも出て欲しいと頼む。しかし彼はすでに引退して農作をしていた。

で、自分はこの伊賀と香美山の一連のシーンが個人的に結構好きで、子供時代の香美山がシームレスに繋がっていって丘(?)の上で二人が夕日をバックに稽古をするところなんかは、そのシーンだけをとるとギャグっぽくもあるんですが積み重ねのおかげでジーンとくる。

 

とかま色々とぐだぐだと書いてきましたが、ひとつだけ本当にハッとするカットがあって、それが個人的にこの映画に胸を打たれたといっても過言ではない。

それは、香美山の稽古のシーン。背中から倒れていって「地面に水没」すると過去に直結するというあのカット。ここは本当に素晴らしいと思う。これだけでもこの映画を観る価値はある。

ほかにも、最後に松方弘樹に斬りかかるところの師弟だからこそ通じ合えた本番のアドリブとか、そこからのラストの切られるカットとか、福本清三の黒目がちな目と相まってともかく良かった。

あとやっぱり松方弘樹の殺陣がすごいです。晩年にいたってもそれを再確認できる貴重な一本でもあります。

実はこの映画を監督した落合賢氏には「タイガーマスク」という前科があったりするのですが、あっちは色々とゴタゴタもありそうですし、そのときの経験がこの映画にも生かされていそう(笑)ですから忘れてあげましょう。

北野映画とまではいかないけれど(あそこまでいっちゃうとリリックどころかエピックなので)、もっと徹底して抑えてくれていたりちょっと抜けたシーンがあったりしたので、その辺がなかったらなぁーと思ったりしましたが、かなり良い作品であることは言えると思いますです。

 

 

続いて「合葬」。こちらは「太秦ライムライト」ほどの感動を覚えたわけではないのだけれど、結構アイロニカルだったりして面白いと思いますよ。自分がアップじゃないときも顔芸を欠かさない柳楽くんとか見所もありますし。「銀魂」とかいう映画ではないのに映画館にかかっていた物体Xがありましたが、あれの柳樂くんはまあ、うん。嫌いではないですが。

さて、この「合葬」は原作漫画ありきの幕末ものなのですが、わたくしは自慢するわけではありませんが日本史・世界史が壊滅的に無知であり、明治維新とか徳川とかそのへんもあんまり、というかまったくわかっていない。もちろん、映画を見ていて大政奉還とかを多少なりとも知っていればそれほど問題はないのですが。

例のごとく原作未読で挑んだわけですが、それはそれで良かったのかもしれないと映画レビューサイトの感想をちらっと読んでいて思った。ただ、原作者が「百日紅」の杉浦日向子ってことでちょと食指が動くのですが。

 

基本的には三人の若者の話。時代に翻弄された、なんて書くとNHKじみてきてちょっとアレなのですが、決して間違っているわけではないでしょう。してその三人というのが秋津極(柳楽優弥)と福原悌二郎(岡山天音)と吉森柾之助(まさのすけ/瀬戸康史)なのですが、柳樂くんは言わずもがな岡山くんと瀬戸くんもよござんしたよ。ぶっちゃけると瀬戸くんはこういう時代ものだとかなり浮いてしまうんじゃないかと思ったんですけど(ていうか見ていて少し思ってはいたのだけど)、自分のないキョロ充的側面を持つキャラクターということもあって割と合っている。あと岡山くんの、逆顔面センターな顔とかも、学級員とかやっていそうで今回の役どころにも合っている。「パーフェクト・レボリューション」にも出ていましたね、彼。

 

とりあえずあらすじをば。

幕末。将軍徳川慶喜の身辺警護と江戸の秩序守護を目的とした武士組織・彰義隊は、大政奉還によってその存在理由を失った。だが、彰義隊の構成員である青年たちはこの流れを認めず、依然として暗雲立ち込める江戸に居座っていた。

そのひとりである秋津極は、友人福原悌二郎の妹で婚約者である砂世へ別離を言い渡す。それは悪評の立つ彰義隊に夫が腰を落ち着けることで、砂世が蒙る迷惑を案じてのことであったが、悌二郎は納得しなかった。だが極は自らの決心を覆そうとはせず、さらに養子縁組をした家より追い出された青年、吉森柾之助をも隊に引きずり込む。憤懣やるかたない悌二郎は極の上役である森篤之進に極の解任を求めるが、もはや異常なまでに膨れ上がった隊の歯止めになるのは悌二郎のような男だ、との森の言葉に乗せられ、彼もまた隊列に加わるのだった。

その間にも新政府の兵士と隊士の対立関係は悪化し、徳川家は彰義隊との関係を持たないと宣言、隊は江戸警護の任を解かれる。これに従おうとしない隊の若者たちと政府軍との衝突を案じて、穏健派幹部は希望者の脱退を許可すると決定、異議を唱えた森は隊士たちに粛清される。そして戦乱は避け得ない運命として彰義隊を呑み込み、ついに新政府軍との一大合戦、上野戦争が始まる。酸鼻を極める戦闘によって、青春を謳歌していたはずの若者たちはつぎつぎと地にくずおれてゆくのだった。

 

同じ場所にいながら、それぞれに異なる思想を持った三人の生き様・・・というよりは死に方を描きたかったのだろう。秋津極(柳楽優弥)は陶酔脳筋馬鹿で徳川の名のもとに戦を仕掛けようとし、福原悌二郎(岡山天音)はそんな阿呆な友人を止めるために長崎での勉学の経験を使って穏健派の森篤之進(オダギリジョー)を慕い、吉森柾之助(瀬戸康史)は家から追い出されたからとりあえず彰義隊に入る。

そして、それぞれが当初思っていなかったであろう最期を遂げる。

泰平を望み勉学によって調停を図ろうとした男は友を見捨てることができず真っ先に死に、放蕩三昧で威勢だけは良かった男の刀は友の首と自分しか切れず、苦しむ友すら切れなかったなまくらを抱えて生き延びた男。

皮肉が欲しいときは、これを見ましょう。