dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

アラスカ=パーフェクトワールド

 イーストウッドと言えばウエスタンだったりダーティハリーだったり(性豪だったり)と血や暴力の匂いが充満する映画に出たり撮ったりしているイメージがあると思うんですが、「パーフェクトワールド」は毛色がそれらとは異なるように思える(どうでもいいんですけど来年に同名の邦画がやるらしく検索汚染が・・・)。いや、コメディよりの映画には前から出てはいましたけれど。

 

 脱獄犯と人質となった子どものロードムービーということで、「ROGAN」や「ペーパームーン」と同じ感じで自分の好みではあるんですが、なんだかそういう目線で素直に楽しんではいなかった自分がいる。それよりももっとこう、「トラジェティック・コメディ(悲劇的な喜劇)」としてメタ構造的に俯瞰して観ていた。映画的にはそういう作りにしていたわけではないんだろうけれど。もちろん、所々で感情を揺さぶられるシーンはあって、コスナーも大好きだし場面的にウルっとくる箇所もそれなりにあるんだけど、話の流れ全体ではやっぱりどこかこの映画に対して感情的になりきれない自分がいた。

 自分なりの理屈では「悲劇的」の部分はコスナー演じるブッチがフィリップに撃たれてから最期に至るまでのアイロニカルな部分(彼の過去も含め)で、「喜劇」とはその流れそのものにある。

 イーストウッドはともかく早く撮ることを第一に考えている節があって、「アメリカン・スナイパー」ではそのせいでCGの赤ちゃんが取り沙汰されたこともあった。これがどういうことかは推測の域を出ないのだけれど、個人的にこのイーストウッドのドグマがこの映画に感情移入をさせなかった要因なのではないかと思ったりする。

 つまり、効率的・理性的なイーストウッドの作家性が本来であればエモーショナルな作風である「パーフェクトワールド」において感情移入を許さない作りにしてしまったのだと。彼の監督作品ではないけれど、ダーティハリーにおけるハリーのしたたかさとは実のところ理性的に計算された暴力ではあるし、本質的にそういう怜悧な部分があるのだと思う。

 そして、それが故にあまりにも「腑に落ちすぎ」てしまっている映画がこの「パーフェクトワールド」なのではないかと思う。全てが論理的に組み立てられ定石通りに物語が進行していく様はある意味でとても綺麗な脚本でありながら箱庭的な気持ち悪さすら感じさせてくれる。人物の配置もおそらくは計算によるものだろう。ぶっちゃけこの事件に関してFBIという存在は削ってしまっても構わない。もちろん、最後の引き金を引く役割として重要ではあるのだけれど、それは何も同伴したFBIである必要はない。なぜならあの場にはFBI以外の警官も大勢いたからだ。それにもかかわらずなぜFBIという役割を負ったキャラクターを登場させたのか。それは多分、イーストウッド演じるレッドのコントロール外にある存在を配置させることで最後の悲劇に至るまでの流れを自然に見せるためだろう。その結果としてあまりに不自然になってしまっているのだけれど。だって、それまで何一つ物語に関わってこなかったFBIのスナイパーがここに至って引き金を引くというのはあまりに無機的だろう。

 これの意図するところは、レッドの善性を際立たせることでより一層計算的なエモーションを掻き立てるためなのではないか。

 BSでCMがめちゃくちゃ多くカットされた部分もかなりあるだろうから、もしかすると全編通して見るとまた違うのかもしれないけれど、少なくとも自分にはこの映画はとてもちぐはぐに見えた。つまらないとか面白いとか、そういうことではなく。

 

 まったく関係ないんですけどイーストウッドってもう87歳なんですね。去年の「ハドソン川の軌跡(まあこの邦題はサリー的にアレなのでしょうが)」も面白かったですが今年も「The 15:17 to Paris」が公開を控えていた入り、米寿に差し掛かった今尚健在のイーストウッドじいちゃんには是非長生きしてもらいたいところ。