dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

あれはメカゴジラというよりキングゴジュラス(verバイオゾイド(そんなのないけど))では

あれはメカゴジラというよりキングゴジュラス(verバイオゾイド(そんなのないけど))では・・・しかし立ち方とかはゴジラスギガっぽいし、顔はギャレゴジっぽくもある。よく考えたらどれもモチーフは同じだしキンゴジュにいたっては元ネタがゴジラみたいなものだし似てるのも当然なのでしょうか。とか思ってたら秘宝の寄稿で手塚昌明が同じようなこと書いていて笑った。西川伸司(3式機龍のデザイナー)は生賴範義ポスターverのメカゴジラをベースにしているのではということを仰っていましたが。
ガンダムはそのままなのにメカゴジラはどうしてあんなにアレンジきかせたのだろうか。

割と遅めの回ということもあってか、IMAX3Dにもかかわらず(だからかな?)半分も席は埋まってなかったかな。まあ入れ替わりで出てくる客の多いこと多いこと。みんな「アベンジャーズ」観てきたんでしょうね。
こういうお祭り要素の強い映画っていうのは初日の初回に行って「うおおおおおお」となるのがもっとも愉快な楽しみ方であるということを「シン・ゴジラ」のときに痛感いたしましたが、今回は出遅れましたハイ。思えば、「シン・ゴジラ」を5回も劇場に観に行ったのはそういった熱気に浮かされていたというのもあるのかもしれない。BDを買ったけどメイキングを観て本編は一回も通して観てないし。ミリオタの庵野秀明が大きく顔を出している映画なので、大画面+大音量が一番正しい見方であって、家の画面で見るのとは結構体験として違うものがありますですからね。IMAXの後に普通の上映形式で観たら「あれ、こんなんだっけ」という肩透かしを食らったし。内容はもうわかっていたから、というのもあるのだろうけれど。

前置きが長くなりましたが、「レディ・プレイヤー・1」
なんかもう映画秘宝でFBBが言っていることがほとんどわたしの感想のすべてなんで書くのもアレな気がするのですが。

 とりあえず最初に吐露してしまうと、めちゃくちゃ盛り上がっている人には申し訳ないのだけれど、そこまで乗れな買ったかなーと。お祭りに乗り遅れた僻みとかそういうのではなく、純粋に乗れなかった。
というのも、この映画、実のところスピルバーグはこれといって思い入れがあったというわけではなさそうだからで、この映画にはむしろそういった思い入れが欠かせないはずだから。ぶっちゃけいつものスピルバーグ映画である。つまり、映画として面白くてまとめてあって、どこか異質な感じがある。そして、それゆえに乗れなかったのだと思う。仏作って魂入れずではないけれど、これ、原作は未読だけどおそらくは映画よりもかなり自分は乗れるんじゃないかと確信に近い自信を抱いている。それは尺の都合だとか権利上映画には登場させられなかったイースター・エッグがあるから、ということではなく、(聞きかじっただけだけれど)原作はオタクのオタクによるオタクのためのオタクの愛による(むしろそれだけでできているはず。基本プロットが映画と変わらないのなら、SF的な楽しさや新鮮さといったものははっきり言って皆無に近いから)小説だという印象を受けるからだ。

企画が先にあって脚本もある程度出来上がった状態でスピに提案されたということからも、あくまで雇われ仕事であることはわかる。

しかしスピルバーグの映画で心が震えたことがあっただろうかと思い返してみると、最近の作品ではそういうのはあまりなかったような気がする。それこそ「E.T」や「魔宮の伝説」(「カラーパープル」と「ジュラシック・パーク」も入れていいかな)といった80年代の作品まで遡る必要がある。好きな映画にまで広げれば「宇宙戦争」とか「マイノリティ・リポート」とかありますが。たんなる懐古じゃんと言われそうですが、そうではないと断言できるのは、「E.T」を去年になってようやくちゃんと観たからです。
で、既述のとおりスピルバーグはあくまで雇われ仕事でこの映画をこれまでと同じように手早く撮り終えた。無論、そこはスピルバーグですからその才能でもって楽しいエンタメ作品に仕上げてきている。脚本的には色々と言いたいところもなくもないのだけれど、一冊(ていうか文庫だと2冊)の小説を1本の映画に収めるにはかなり削らなければいけない部分もあっただろうし、そこは仕方ない。
が、こと「レディ・プレイヤー・1」というコンテンツに関しては、才能よりも愛情が必要だったのではないかと思う。それこそ「パシフィック・リム」のような拘りに拘りぬく情熱が。
だからといってスピルバーグを責めるつもりは毛頭ない。「レディ・プレイヤー・1」の愛情の源泉やその対象が当のスピルバーグに向かっているというのもある程度はこの映画を撮る上で作用しているだろうし、町山が指摘しているように本人がそれらのコンテンツ・時代を作り出した以上は、どれだけのエゴを肥大化させたとしてもそれは結局のところ自己愛にしかなりえないわけで。様々なところのインタビューを読む限りだとスピルバーグはむしろ積極的に原作にあったスピルバーグへの言及点を別のに置き換えているようだし。
ただ、その点で言えば「シャイニング」パロのシーンだけは愛情度というか本気度がかなり違った。元々あそこのシークエンスは「ブレードランナー」を使う予定だったのが権利的な問題で変更することになったとはいえ、わざわざ「シャイニング」をぶち込んできたということはそれだけマジだったということでしょうから。あそこは本気でビビリました。
スピルバーグキューブリック愛は周知の事実(自分は知らなかったけれど)ですし。だから、「シャイニング」シークエンスはやけに面白かったのでしょう。

下衆の勘繰りですが、今回のスピルバーグの来日のコメントとかが明らかにリップサービスっぽいのとかも、なんというか「とりあえず日本の有名どころの名前出しておけばリスペクト感出せるだろう」という気がするのですな。だって、これまでスピルバーグって宮崎駿に言及したことありましたっけ。だいたいいつも黒澤か三船でしょう。そこで口にするのが「千と千尋~」というのもなんだか「アカデミー賞獲ってるジブリ映画だし」という気がしなくもない。
言うまでもなく、ゴジラや怪獣特撮(宇宙戦争での来日時なんかはそれがよくわかる)への愛情や特定の日本映画に対する思い入れはガチなのだけれど、今回に限ってはそういうのとは違う気がするのです。今回の映画は日本のコンテンツへのリスペクトが多分にありますから、ぶっちゃけマーケティングとしての意味合い以上のものはそこまでないのではないか、と。それでもアバターの見た目を三船敏郎にしたり、ちょいちょい遊び心を表現したりはしていたけれど。

あーあと乗れなかったというのは、この映画が「オタクが(オタクの)世界を救って彼女もゲットして金持ちになってヒャッハー」(完全に「トランスフォーマー」です本当にありがとうございました)なガワなのにメッセージ的には「それではいかんですよ」というオタク否定というかたしなめる映画でもあるから、なんですよね。しかもそのオタクを生産しているのがスピルバーグ本人というのもタチが悪い。ハニートラップよりよっぽどタチが悪い(笑)。
大人としてのスピルバーグなりの矜持なのでしょうが、そんなスピルバーグみとうはなかった!
まあ、あとは強者が当然のように勝つのとか彼女が美女だとか、オタク特有の葛藤がない(バートンかわいいよバートン)のも不満要素ではあるですな。

  散々っぱら文句のようなものを書き連ねてはきましたが、決してつまらない映画というわけではなく、むしろ超楽しい映画であることは変わりない。
ラストの大乱戦はやっぱり観ていて楽しいし、ゴジラのテーマアレンジは超上がるし鳥肌立ちましたし。ガンダム・・・は自分はそんなに知らないんであれですが、メカゴジラを応援しつつもアイアンジャイアントを応援したりと、まあともかく楽しいです。
リナ・ウェイスがゴールドバーグに似ているとか、そういうどうでもいい部分の感想はありますが、ともかく楽しい映画ではあります。
 
もし観るならIMAX3Dがオヌヌメです。アベンジャーズの公開でIMAXシアターを回す回数が減ってくるでしょうから、見たい人は早く劇場に行くが吉。