dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

ファムファタール宮沢

 「紙の月」観ましたー。吉田大八監督の作品は毎度音楽の演出が面白いなーと思っていたのですが、今作でも健在でした。宮沢りえが悪事を働こうとしているときにかかる音楽のアンビエントなノイジー感とか。

 あと出演してる人が全員びった。宮沢りえは言わずもがな、大島優子の軽薄な女感とか小林聡美のお局正論ジャスティスウーマン(暗黒面の素養あり)とかメインの女性はもちろんのこと、池松壮亮(この人セックスばっかしてんなー)とか石橋蓮司の「お前実はそうだんたかい」とか田辺誠一の「こいつわかってないな・・・」感とかねー。特に池松くんの不機嫌演技がいつ見ても演技っぽくなさすぎて笑うのですが。

 あと演出がうまいんですよね。宮沢りえの心情表現として音楽をちょっとメロい感じにしたりとか、一線を越える表現としてのホームの使い方とかとか。あとスローモーションの使い方もここぞってところでしか使っていないのも効果的です。いや、ザック・スナイダーを批判しているわけではないのですが、アクション意外でもちゃんとスローって効果を発揮するのだとあらためて思ったんですよね。

 犯罪描写が細かいのもいいですねー。どうでもいいですけど宮沢りえのベッドシーンって特定の年代の人にとってはかなりありがたいものなのでは。それとも遅すぎかしら。あ、サンタフェがあったか。

汚い1ダース

 原題「dirty dozen(ダーティ・ダズン)」の直訳。実際、劇中でもそう言われていましたが。邦題は「特攻大作戦」なんですが、言うほど特攻ではないというか、軽いネタバレといえばネタバレなタイトルではある。まあ銃器が出てくる映画で誰も死なないなんてことは基本的にないのでネタバレもクソもないっちゃないんですが。

 「スーサイド・スクワッド」の成功例と言えばわかりやすいでしょうか。悪人チームものとして欠点がまるでないとは言いませんが、そもそも12人を捌ききるのが困難なわけで、それを考えれば十二分な出来栄えと言えましょう。しかしまあ、そう考えるとやっぱり7人くらいがちょうどいい塩梅なのかもしれんですな。

 チームを率いるライズマン少佐をリー・マーヴィンが演じているのですが、カンバーバッチとちょっと似たタイプの顔でそこはかとない知性を窺わせつつ力強い役を見事に演じきっています。ほかにダーティー・ダズンのメンバーにはお馴染みチャールズ・ブロンソンや、彼らほど出ずっぱりではありませんが超高層プロフェッショナル以来顔を覚えたジョージ・ケネディと「ポセイドン・アドベンチャー」「ワイルド・バンチ」のアーネスト・ボーグナインがすごく楽しそうで萌ゆる。

 2時間半と最近の映画と比較するとやや長尺ではありますが、綺麗に3幕に分かれているのでかなり見やすいつくりになってます。最初の一時間を実刑を食らった兵士たちとの顔合わせおよび訓練に使い、さらに演習における訓練の成果を発揮しつつ結束力の向上を披露し、最後に高官暗殺任務という構成。

 頭の方でダズンたちを人物紹介しつつクレジットのために人物を画面右に配置したりする遊び心など観ていて純粋に楽しめますし手際がよいです。

 ほかにも髭剃りでお湯が使えないうんぬんかんぬんのくだりでチームの結束力が高まったことを示しつつ、直後に髭の伸び方で時間が経過したことを表現していたりとうまい具合にやってます。

 あとまあ娼婦をそこまでねっとりアップで撮る必要あるのかとか、大佐に問われて「ナンバー2(囚人番号とうんこの二重の意味があるんだろう)」と答えるところとかしっかり笑えます。

 それでもまだ12人をしっかり見せるには足りず、予算の都合か尺の都合か訓練シーンもそれぞれの人物の性格などを示すための機能は持っていても実際に訓練しているシーンはほとんどなく、やや説得力にかける部分は否めないかもしれません。まあ地獄の黙示録みたいなことになってもそれはそれで問題ありますし、カラッと楽しめる戦争映画という意味でこれは結構貴重だと思いますし。戦争を扱うと途端に重苦しくなってしまう中で、これはかなり陰鬱な空気をとっぱらっていますし。それゆえか、あっさりメンバーが画面外で死ぬというさばき方がされるのですが。

 個人的には1クールのドラマにしたら面白いだろうなーとは思うんですが。もしくは二部作か三部作にするとかインターミッションを挟む形式にすることでもっと詳しく描けたりしそうです。

 と思ったら20年近く後になってテレビ映画として続編(ダーティ・ヒーロー/地獄の勇者たち)が出ていたみたいですね。それどころか4まで出ているし。一応キャストにはマーヴィンとボーグナインも出ていますが・・・どうなんだろうか。

西部開拓史とハドソン姉妹

 ある意味で両方とも家族映画ですが、「西部開拓史」はまあハドソン姉妹もとい「ジェーンに何が起こったか」とはまったく作品性が違うんですけれども、個人的には後者の方が好きでした。ていうか強烈すぎる。

「西部開拓史」は何人かの監督が5幕に分かれた一本の作品の1幕をそれぞれ担当しているのですが、その中にはあの「駅馬車」のジョン・フォードもいます。まあ3/5がヘンリー・ハサウェイなんですが。しかしどうして最後のアクションをジョン・フォードにやらせなかったんだろうか。や、ハサウェイさんのも十分すごかったんですけど。

 大きな歴史の流れの中の一つの家族の物語ということで面白くああったんですが、ちょっと立て続けに観た「ジェーン~」のインパクトが強くて・・・。

 

ということで「ジェーン~」。

いやーすごい映画だこれ。ベティ・デイビス演じるジェーン・ハドソンが本当に不快でちょっと本気でイライラしましたもの。ちょっと演技が本当に来ます、とさかに。まあブランチ・ハドソン(ジョン・クロフォード)の愚鈍さというものもそれに拍車をかけているんですが、ある意味でこの愚鈍さというものは負い目だったんかなーと最後まで見ると思ったりする。

これ、ブランチが半身不随になったきっかけでる事故の真相(ちょっとアレですが)が明確になるまではジェーンが本当に嫌な奴として描かれているんですが、よくよく見てみるとブランチにもちょーっと怪しい部分があったりするんですよね。といっても、露骨でもないしわたくしの思いすごしとしか言えない部分でもあるんですが。

いや、でもブランチに哀愁を感じさせるような作りにもなっている(部屋の電球が過去の栄華を表すような小さなスポットライトのように見えたり)、ジェーン人形のくだりとか色々。ていうか、あれって一つの介護生活であるわけですから、そう見るとストレスが溜まるのもわからなくはないんですよね。

いやーでも餓鬼さながらにブランチの部屋でチョコを貪りくうところとか(状況的に仕方ないとは言え)鏡に彼女を写して相対化させるよう表現をしていたりするし。やっぱりブランチを純粋ないい人として見せてはいない気もしなくもない。

あとラストの衆目の描き方。ジェーンを見る人々の目と、それを受け止め喜び踊りだすジェーン。

この哀愁は、どうにも捨てがたい。

 

 

 

鏡もそうですし

 

ニューヨークのギャングで見るアメリカ国

GyaOってガッシュの呪文にありそうですよね。ギャオウ・〇〇ガみたいに。

それはともかく「ギャング・オブ・ニューヨーク

スコセッシ+ギャング(やマフィア)という組み合わせはほとんど毎回、同じような話であるような気がする。というか、そうでない作品でさえ「何を信じるのか」ということが根っこにあって、殉教の形を模索しているような気さえする。

それを直接的に描いたのが「沈黙」であったのだろうから、スコセッシにとって「沈黙」が大なり小なり彼にとって思い入れのある作品であることも頷ける。

とかいいつつ、この「ギャング~」もウィキによるとこんなことが書いてある。

監督のマーティン・スコセッシは「構想に30年を要した」と語っている。

「沈黙」よりも構想長いじゃん!という安易な突っ込みの代わりにナウくんの科白を引用しましょう。

「構想13年って言っても13年間考えてたワケじゃないからな」

まあそういうこと。

しかしどこでロケしたんだこれーと思ったらスタジオのセットらしくてびっくらこいた。→ローマ郊外の大規模映画スタジオである「チネチッタ」に当時のニューヨークの町並みを完全再現して行われ、撮影期間270日、制作費約150億円を投じて制作された。

150億円って制作費回収だけでもかなり苦労すると思うんですけど、世界で190億以上だし日本でも30億稼いでたらしい。さすがスコセッシ。

 

ディカプリオは相変わらずですが、キャメロン・ディアスがこういう作品に出るイメージがあまりなかったので意外。軽い映画ばかりに出ていましたし。

あとリーアム・ニーソン。この人って父性的なキャラクターを演じることが多いですねーほんと。今作では出番は本当に少ないですけど、ディカプリオの葛藤を描くために重要な役どころではあるので、少ない時間の中で顔面や演技だけでそれを表象させなければいけないわけですから、それを考えると納得。

 

わたくしは日本史も世界史もぱっぱらぱなので日本の歴史だってろくすっぽ知らないのにアメリカの歴史なんて知りません。が、本編の流れから最後のカットを観てしまうと、どうしたってその歴史に思いを馳せたくなるというもの。

最後はより大きな力の中に飲み込まれていく、その無情さや「信じるもの」への問いかけはやっぱり思考を促されますし。

エンドクレジットの最後までアメリカを表す自然な(自然の)音の使い方も秀逸。9.11後間もないというのもなんとなく意味深だったり・・・まあこれはバイアスでしかないんですけど。

 検索かければ親切なサイトが歴史的背景なんかを解説しているので、それを参考に見直してみるとまた違った見方ができるでしょうな。まあ人種対立や宗派対立とかはわからなくとも、単純に人間ドラマとして面白いので退屈することはないでせうが。

 

疑問符だらけの映画

 土曜日に「ジュリーと恋と靴工場」を観てきたんですけど、タイトル以上のものは一切出てこないです、はい。

 疑問符だらけというのは、人物の行動や見せ方や衣装など演出全般が悉く「え、なんでそうなるんだ?」と観ている間中ノイズだらけになってしまったということ。単純に言えば退屈でした。ガッチャマン的な楽しみ方もできないような。

 ミュージカル映画なんて片手で数えられるくらいしか知らないので、実はちゃんとした手法に則っているのかもしれません。が、ミュージカルシーンですら単純に面白くないというのはさすがにいかがなものか。

 まず工場で女性社員が踊るわけですがカット割りすぎではなかろうか。「ラ・ラ・ラ・ンド」が実はいかに周到に色の配置をしていたのか、ということが相対的に浮かび上がってくるような、女性社員たちの衣装のちぐはぐさ。社員として近代化によるリストラの波濤へと立ち向かうというところで意思を同じくしているのですから、そういうのを一目見てわかるような衣装にすべきだったと思うんですよね。や、そのちぐはぐさに実は社員たちの団結力のなさや表層的で浮薄な絆でしかないということの暗喩であるのかも、と思って最後まで観ていましたが別段そんなこともなく。ていうか単純にダンスが・・・。その下手っぴぃさを笑うという類でもなさそうなんですよねぇ、だって。

 

ストライキしてたかと思えばなんか普通に梱包作業してるし、それを回収しにきたトラックマンたちとの半笑いでしか見れない押し引き(物理)。びっくりしたんですけど、花いちもんめみたいに向き合って並んだかと思えばそのままお互いに押し合うという。レイプのメタファーのような撮り方をしていたり、抑圧された女性像を描きたかったのかしれませんが、そここそミュージカルで音楽と踊りで見せないでどうするんですか。なんでそんなとこだけ夢の中の喧嘩みたいな珍妙な生々しさで描くのか。

 それに搾取側の社長の描き方も謎です。弱者から搾取して自分は私腹を肥やすというのであれば、敵対者として見ることもできるでしょうが、この社長、着用しているものすべてを中国産のものにすることでコストカットを図っているというのです。それってむしろ好印象でしょうよ。社員側はそれを知らないのでまだしも、観客にそんな場面を見せちゃったら対立関係描けんでしょう。まあ、社長は元からコメディリリーフなのでこれはそこまでアレなんですけど。

 あと肝心の主人公の行動がわからん。どうして最後にそうなるのか。

あと最初はチャリンコに載ってたと思うんだけど、なんか特に説明もなくいつの間にかバイクに乗っていたりするのもクエスチョンマーク。んなことどうでもいいんですけどね。単純に、映画が退屈なことに比べれば。

 社会問題という現実に即したもの映画の中で描きたいのなら、なおさらミュージカルシーンを飛び抜けたものにするべきだと思ふんですがね。

 

 こんなこと言うのも何様かと我ながら思いますが、あきらかに熱意もなければ工夫もない気がするのですよね。「ラ・ラ・ラ・ンド」のようにアイキャンディの詰まった色・音楽・踊り・恋・夢と陽気で(だけでもないんですが)独善的な世界を大胆に画面いっぱいに映し出したほどにはアイデアも熱意もなく、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のように胸が締め付けられるような苦痛の現実を徹底的に描き、そのカウンターとしてビョークの夢想を哀愁と喜びを見せてくれたほどの執念もなく、「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」のようにフリークス(この映画の場合は弱者でしょうか)たちを生暖かく見つめる視線もない。

 端的に言って、いろんなものが足りていないように思えます。

 単純に、退屈な映画でした。

 

執事の仕事と三船の凄みとプレス

 「日の名残り」と「羅生門」を観賞。あとピカデリーに行ってきた。これだけ自由に動き回れるのも今月いっぱいなんで、ともかく映画を観ておきたいので消化が早くなってきたでごわす。

 

 「日の名残り」は監督も作品もまったく知らなかったんですけどアンソニー・ホプキンスが主演ということで観ました。うん、ホプキンスがずっと画面に出ずっぱりなのでホプキンス萌えな方にはオススメ。なんたって執事のホプキンスですからね。どうでもいいんですけど、この人「マスク・オブ・ゾロ」のとき意外はずっとおじいちゃんってイメージなんですけど、二十年前からすでにおじいちゃんだったというのが結構驚きではあります。最後の騎士王のときとそこまで変わってないんだけど、今作のホプキンス爺様。

 さて、そんなホプキンス爺様が仕事に誇りを持つ執事を演じているわけですが、戦争の時代を描いている割に画面的にはドンパチはない。カズオ・イシグロという日系イギリス人作家の小説が原作になっているんですが、第一次大戦と第二次大戦と戦後の年代を回想の中で行ったり来たりする構成になっていて、タイミング悪いところで目をそらすと少し混乱する作りになってたり。

 アカデミー賞8部門にノミネートされているらしいまあ納得。特に美術と衣装デザインに関しては。あれは実際の豪邸をそのまま使ったらしく、その上今では一般公開されているとか。ロケもそうですけど何よりホプキンス爺様のメガネがいいんですよねぇ。

 そんな爺様は仕事一筋なんですが、果たしてそれっていいことなのかしら? 執事とはただ雇い主に忠誠を誓い何事よりも仕事を優先する。たとえば、その主が間違ったことをしているとわかっていても。たとえば、実父が死んでも。

 とまあ、自我を排除して仕事に徹することで何かを失っているんじゃないかしら。ってこと。結婚すると言ったときのエマ・トンプソンの面倒くささって、たしかにかまちょと言ってしまえばそれまでだけれど、それはとりもなおさず彼との間に絆ができたことの証左でもあるわけで、「めんどくさい女だなー」とは言えない。この辺で、唯一ホプキンス爺様が露骨に感情を顕にするんですよね、ワイン落としちゃって「damn!」って。

 あとクリストファー・リーヴが出てた。新聞記者のくだりはクラーク・ケントネタかなーとちょっと笑った。

  地味に好きな映画かもこれ。

 

 さてさて羅生門。てっきり髪の毛の方かと思ったんですがなんかまったく知らない話だった。と思って調べたら芥川から「藪の中」も持ってきていたらしい。あれか、「魔王 juvenile remix」みたいな感じか。こっちは読んだことくてまったく気付かなかったんですが、後から青空文庫で読みましたです。ええ、短いしタダだし。科白に置き換えられたことでかなり印象が違う。特に多襄丸。三船敏郎のせいで完全にやばいやつになってますがな。

 しかしこれ、原作を知らない方が楽しめる気がする。全員が全員、迫真で真実(彼ら自身にとっての)を口にするものだから、誰が一体正しいのかわからないし、だれもが正しいとも思えてくるわどれもが疑わしくも思えてくる。そういう意味じゃ、人間の醜さを全面的に描いているだけじゃなく、ある種のミステリーっぽくも見える。

 とはいえ、かなりアレンジが加えられているし、ラストの方や原作にはなかった「実は…」という展開も実に皮肉が効いていてよろしい。白黒映画ということもあって影と光が映えるのも、普段はカラーで見ている分余計に強く感じる。草葉の影と陽の光で三船敏郎の顔が陰陽のようになっているのとかすごいかっこいい。もちろん、三船の顔面力ありきなんだけど。というか、あらためて三船の唯一無二性に気づかされた。この人眼力もそうなんだけど、瞬き全然しないんだよなー。それが余計、ヤバさに直結している。すごい純粋さと粗野な部分を持っていて、七人の侍の菊千代の片鱗がここですでに見えている。

 あとカメラワークも独特。今まではっきりとカメラワークでほかと違う感じのことをしているっていうのがわかったのは小津なんだけど、黒澤もあんまりほかでは見ないような撮り方をしている気がする。手前に人物の背中を配置しながら奥の方の人物に喋らせて、横にパンさせながらまた戻ってみたいな。

 しかし最後の最後の志村喬の表情とか、あれってやっぱり悪意なんだろうか。とか色々と考えてしまう。ぶっちゃけ、三人が嘘をつこうとして嘘をついているのかっていうのは、実は怪しいところだったりするんですけどね。いや、作品的には意図的に嘘をついているんですけど、ただ人間の脳は本当に思い出を美化していたり都合よく書き換えているということが実証されているので、その科学的な本質を文学的側面から暴いてしまっているという意味で「怪しい」ってことなんですけど。

 それとウィキの公開と制作の箇所が読んでていてすごい面白かった。まったく無関係のベトナム人が授賞式に出るってどういうことよ。あとまんま羅生門な映画会社の人間の話とか。

 というか、そんな難解な映画かしらこれ。むしろストレートにわかりやすいと思うんですけどねー。

 人の醜さを包み隠さず寓話として語ってるので、やや過剰な演技ではありますね。昔の日本映画って割とカリカチュアライズされているので某日系人は嫌いな演技なのかもしれませんね。

  

 

あと明後日公開のジェリーと恋と靴工場のプレスもらってきました。もらってきました、なんて書くとタダで配ってるように聞こえますが非売品ということらしいので劇場に行ってももらえないらしい。プレスっていうか厚みとか普通にパンフっぽいんですけど、明後日になれば普通に劇場で販売するんじゃないのかしら。違うのかな。

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アラビアの異常な愛情

 「アラビアのロレンス」の4kレストアと「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」の録画を消化。

 「アラビア~」は吹き替えで見たんですが、演者もそうですが吹き替えメンツも豪華で(おそらく)洋画劇場最後の世代である自分にとってはもう辛抱たまらんですよね。ていうか吹き替え3バージョンくらいあるっぽいですね、これ。BS朝日で観たのですがウィッキーさんによるとテレビ東京版の吹き替えなのは、ディスクにもこっちが収録されているんでしょうかね。テレビ朝日版の吹き替えもあるし。今は亡き永井一郎滝口順平、そして主人公のロレンスには言わずと知れた山寺宏一。個人的にツボだったのがおマーシャリフを吹き替えた磯部勉。ちょっとロレンスとのブロマンスっぽい部分があるんですが山寺×磯部ってなかなか新鮮じゃありませんか。

  4kって具体的にどういうことなのかよくわからんのですが、レストアということ自体がそもそも「リマスター」の過程の一つらしく、フィルムの傷やら汚れやらゴミやらつなぎ目やら退色やらを1コマずつ修復することだそうな。なんか、気が遠くなる作業のような気がするんですが。「アラビア~」なんて227分ですからね。

 しかしそのおかげでまったく普通に観れるのがすごい。過去の作品って割とノイズが入っていたりするのもありますから、細部がわかるというのは普通にありがたいですな。そういえば去年だった今年だったか「七人の侍」のリマスターが上映されていたっけ。ぶっちゃけBSで見たやつは結構荒かったのでリマスターで観たいなぁ。

所々で原語のままだったのは完全版の吹き替えは収録してなかったってことなのかな。

 という枝葉末節(ってわけでもないんだけど)はともかく幹の部分に関して。

 撮影が良い。広大な風景の中に人物を配置するロングショットとか、地平線と人物の位置どりとか、最近だとインターステラーとかプロメテウスくらい派手なロケーション撮影じゃないかしら。デヴィッド・リーンの「戦場にかける橋」ではそこまで意識してなかったんだけど。

 勝手なイメージで痛快無比の冒険活劇的なものだと思っていたんですが、もっと全然ダークなお話だった。ダークっていうのもアレですが。そもそも、そのイメージというのもインディージョーンズとハムナプトラによるものなんですが。

 主人公の死から映画が始まるという、ある意味で末路をさきに見せている映画があったなーと思ったらジョン・ヒューストン監督ショーン・コネリー主演の「王になろうとした男」だった。

 ロレンスは実際の人をモデルにしたらしいのですが所々違うっぽい。階級とか。しかしあれだけのビッグバジェットでハッピーエンドじゃないって中々ないのではなかろうか。どうせなら劇場で観たかったかなーこれは。

 

 という散発的な感想。ということでキューブリック

 キューブリックは「2001年~」だけは観ていたんですけどねー途中で寝落ちしかけたんですよねー。最後の方とかよくわからなかったし。キューブリックが脚本にあったナレーション(?)を削ったということらしい。嫌味なヤローです。

 単純に話としてはこちらの方が好きかなー「2001年~」より。あっちより単純でわかりやすいし笑えるし。笑えるっていっても、あまりに滑稽で寒々しい上にキューバ危機のifでもあるのでぶっちゃけ笑えなくもあるんですが。やることなすこと全てが後手後手。手を打つもそれが最終的に破滅のきっかけになるのとかねぇ。

 あとストレンジラヴ博士の動きがそれっぽくて好印象。タイトルになっているくせにストレンジラヴの登場時間が短い。というのはどうでもいいのですが、同じ作品内で完全に別の人物を同一の役者に演じさせた理由はなんなんだろうか。と思って調べたらコロンビア側の要請だったらしい。