dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

ピーターパン以上のピーターパンとしてのフェリス

そういえばホームカミングや一作目のデッドプールでパロられていたなーというのを「フェリスはある朝突然に」を観ていて思ったのですが、ホームカミングは青春というか学生モノ映画として、デッドプールは第四の壁を壊す繋がりでってことなんでしょうかね。

ここ数年というか去年今年あたりから、どことなくジョン・ヒューズ作品を意識したものが多い気がする。それがどの作品とかだからどうとか書くつもりはまったくないんですけれど。

大人vs子供を面白おかしく描きつつ、モラトリアムを生きる少年を描いているのだけれど、面白いのは成長(大人の匂い)を物語的にはほとんど提示していないところなんですよね。

結婚をするという話にしたって、あれは大人になることというよりはむしろ子どもの妄言に半ば近く、そしてそれを本気で成そうとしている無謀さとそれでも「フェリスならばどうにかやりきってしまいそうだ」という青春期特有の有り余るエネルギーがこの映画を埋め尽くしている。

そこに対置されるようにあるキャメロンやジーニーら陰キャ的キャラクターすらも、フェリスに当てられていく。その絶対的な陽なエネルギー。馬鹿さと言ってもいい、それは、しかしどちらかというと今は(も)キャメロン寄りな自分からすると、キャメロン以上に陰っている今の自分からすると、そのバカさっぷりは羨ましくもありノスタルジックでもあり、何より疎ましいものであったりもするのだ。

ぶっちゃけ、あそこまでカリカチュアされていないにしても高校時代の自分もフェリス的な部分はありましたから、だからこそ余計にその陽気さ(決して無神経なわけではないというのがまた腹立たしい)に滅殺されてしまいそうになる自分がいる。

 

しかし、本来ならばフェリスに激おこプンプン丸なわたしは、しかし同時に彼に対して物悲しさを覚えてもいた。この映画は、そういう少し奇妙なバランスで成立しているのではないかと思うのです。

仮病=欺瞞・幼稚さに満ちたベッドからはじまり欺瞞に満ちたベッドに戻ってきて終わる。結局のところ、フェリスは大人への階段を上ったりなどはしない。彼にとって劇中での一日はそれまでの8日の仮病休暇と相違ないのだろう。何一つ、彼は成長しない。成長などしなくとも、うまく回ってしまうように世界があるのだ。フェリスの陽のエネルギーによるジーニーの成長すらも、結局のところは彼の成長を阻害するように働いてしまう。それはラスト近くで、ジーニーによってルーニー校長から守ってもらわれてしまうことからも明白だし、フェリスの働きかけによるキャメロンの行動にしたって、車のくだりからもわかるようにフェリスが反省しようとするとキャメロンの成長=父親への対峙の意思がそれを阻害する。

それは物語の間何一つフェリスへの対応が変わることのない良心も動揺だし、絆されてしまうスローンも同様だろう。

そう考えると、彼はむしろ悲しい存在なのかもしれない。

頭脳は子どものまま体は大人へと成長していく無常観。それを体現するのがマシュー・ブロデリックの顔と足だ。彼の顔にはうっすらとヒゲが生え始めているしすねにもうっすら毛が生えている。それがジョン・ヒューズの意図したところなのかはわからないけれど、自分が以前より考えていた大人/子どもの表現としての体毛の存在を見せつけてくれたような気がする。特にすね毛は、フェティシズム以上に実はメタファーとして機能しうると思うのですが、知ってか知らずかジョン・ヒューズはマシューの濡れ場を作ることで見せ付けてくれる。

特に顔は、やはりそのうすい髭が大人への成長をし始めていることを示している。なのに、彼の精神面は決して大人へと至ることがない。それどうしようもなくやるせないのだろう。

そういう意味では、フェリスはその存在がクルモンに近い。

 

これ、作劇的にはなにげにすごいことやっているような気がするんですが。

映画じゃないけど西島秀俊が萌えたので

雑記の方にしようとも思ったのですが、一応「テレビ映画」的な枠として軽く書くのもアリかと思いまして、こっちにちょろっと書くことに。

 

昨日のNHK BSプレミアムでドラマがやってたんですよ。「マリオ~AIのゆくえ~」っていう90分のドラマですね。

マリオ~AIのゆくえ~ | NHK スーパープレミアム スペシャルドラマ

さすがに国民から金を巻き上…徴収しているだけあってそれなりに金をかけられているのだろうという気はする。最近流行りの?通称アマゾンズフィルター(あそこまで露骨ではありませんが)的な彩度を落としている絵ヅラとか、色々とルック構築がんばっているな、と思うところはありますよ。それにドラマみたいな過剰な説明とかはないですし(全くないとは言いませんが)。「ブラッディ・マンデイ」の改良というか。

血糊のCGの粗も色調のおかげで割と誤魔化し聞いていたような気もしますし。ていうか撮影場所を暗いところにしたのはそのへんの理由もありそうですが。

内容自体はまあ、サイボーグのお話なんですけど、色々と粗末な部分は目立つかな、と。まず既視感のあるクリシェのツギハギな展開ががが。

せっかくAIを人間の体に入れたんだから、もっと面白い話の展開の仕方はあったと思うんですが、少年との友情的なもっともありがちで陳腐化した方向を指向してしまったのであった。予算の関係で大きすぎることはできないとかあるのでしょうし、企画自体がそもそも映画ではなくテレビの企画なのでっていうのもあるでしょうから。

今やるにはさすがにキツイですかね。

あとNHKの割に倫理観的問題を投げっぱなしジャーマンなのはさすがにまずいのでは。いくらなんでもマリオは生きてたから西島秀俊のボディは死んだけど無問題な終わり方はどう見てもサイコパスで本当にありがとうございました。

そしていなかったことのようにされる再婚相手・・・。

なんかこう、実写版ガッチャマン的な洋画リスペクト感が拭えぬ。

でもちゃっかりわたしは楽しめたのです。アクションは結構見れたし(「ジョン・ウィック」か何かでやってた相手のジャケットを使って攻撃するマーシャルアーツ的なのとか)、細かい演出でグッとくるところはありましたしね。マリオ討伐のために派遣された特殊部隊の隊長(この人のキャラクターもAI導入に反対しているという説明の科白で説明されるだけでそこまで意固地にコロコロしようとする理由はわからんのですが)銃を取るカットの直後に非人間()であるマリオが銃を解除する対比とかね。

まあ、このドラマの魅力の大半はぶっちゃけ西島秀俊でしょうな。「ニンゲン合格」のときから本当にこの人は機械的というか無機質な(それでいてポンコツな)役柄をさせられることが多いんですが、今回のドラマではよりそのポンコツっぷりが強調されていて可愛いんですよね。

あざといというか。これまでの無機質で人間らしくないがゆえに人間らしい人間と接することで生じるズレ=ポンコツっぷりは意外と抑え目だった気がするんですけど、今回はかなりあざとい。

真っ白な服でハシゴ登ってるところとか、コーラもらって感謝するところとか。うさぎ殺そうとするところか。

あとジャージね。なにげに西島さんが赤ジャージ着るのって初では? や、そんなにこの人を熱心に追っているわけではないので知りませんが。あのまま室内家電のCMに出られそうな感じとか萌えますよね。

そういうわけで、西島秀俊に萌えたい人は見てもいいけど、あんまりSF路線として見るのはおすすめしないし、オンデマンドは確か会員にならないといけなかった気がするのでたしかみてみろ!

 

どうでもいいんですが、ヤフーで西島秀俊まで入力するとサジェストに「嫁 ブサイク」と出るのですが、本当にネットってノイジーマイノリティが汚染していくのだなぁという気が。 

あと、いじめられていた男の子が高校時代の同級生OKMRさんに酷似していて変な気分になってしまった。

9月に観たの忘れてた

「私の愛情の対象」

映画天国でLGBT特集の一環でやっていたんですけど、Gばっかりなのはいかがなものかと思いつつとりあえず観る。

「ざしぇいぷおぶぼいす」よりは当人の意思が表明されているぶんはるかにマシではある(同一視してしまうのはアレですが)ですが、なんか色々はぐらかされている気がする。

 

 

史上最大の作戦

原題がthe longest dayというのを初めて知る。「日本の一番長い日」はやっぱりここから来てるのかしら。

まず疲れる。3時間は疲れる。しかも内容は本当にずっと戦争をを描き続けるのでカロリーも高い。だので、正直後半はあまり覚えていない。ここ最近体調すごく悪いし、見るタイミングを誤ったキガス。

プライベート・ライアン」「ダンケルク」とか、後の戦争映画をこの一本で総括しているような感じで中々。

なんか自分でも奇妙なんですけど、この映画のおかげで「ダンケルク」の評価が上がったという。

 

サム・ペキンパー 情熱と美学」

ペキンパー映画については「ボディスナッチャー」「ワイルドバンチ」くらいしか観たことないですが、両方とも面白い映画でしたから印象には残っていますが、彼の人となりがどんなものかは知りませんでした。まあ大概はそうでしょうが。

ただ、情報そのものとしてはペキンパーのウィキを読めば事足りてしまう、とは言えるでしょう。関係者の話は面白いですし、このドキュメンタリー観て「わらの犬」は観たくなりましたし、ペキンパー作品を観たことがある人が観ればほかの作品にも興味が出るかもしれません。

 

 

バリー・リンドン

キューブリックの映画ということで身構えてみてた(上映時間も3時間超えてるし)んですけど、思ったよりストレートに楽しめました。

ところどころ、本当に絵画をそのまま映したかのようにズームアウトしていくショットがいくつかあったり、かと思えば手持ちっぽく荒ぶる(ってほどじゃないけど)カメラワークがあったり(バリーがブリンドンを殴るシーンとか)

しかし美術どうなってんです、これ。

話は1部がバリーの放浪と成功、2部が没落といった感じなんですが、なんというか盛者必衰というか。

あとどこかで聞いたことのあるBGMが実はこの映画で使われていたパターンが特にキューブリックには多い気がするのですが(ほかだと「12モンキーズ」とかであったかな)、そんなとこでも偉大さを思い知る。

 

 

「嘘の天才~史上最大の金融詐欺~」

スタチャで無料放送してたのを録画していたのを。

ソフト化してないらしいのですが、デニーロ主演なのに珍しいというか。

2008年に人類史上最高額の金融詐欺罪で逮捕されたウォール街の証券投資会社会長バーニー・マドフの富と名声からの失墜を描く犯罪ドラマ。ロバート・デ・ニーロ主演。
元NYタイムズ紙記者が著したノンフィクションを元に、世界の金融界を揺るがした巨額金融詐欺事件の全貌をHBO(R)FILMSが映像化。証券投資会社会長を務めウォール街で最も信頼されていた男バーニー・マドフ。社会的信頼の高い彼が、顧客である多くの著名企業やハリウッド関係者を騙し資金総額約650億ドルを破綻させた。この極悪詐欺師の劇的な失墜を、ロバート・デ・ニーロ主演、ミシェル・ファイファー共演で贈る。

2008年12月、証券投資会社会長バーニーは妻ルース、そして2人の息子に驚愕の事実を明かす。彼は過去15年間に渡り、有数の顧客を騙して嘘の取引を行い、約650億ドルを破綻させたというのだ。その後、FBIによって彼が詐欺の罪で逮捕されたというニュースはたちまち世界中の金融界を揺るがし、家族を混乱の渦に巻き込んでいく。ある夜バーニーは、周囲からの批判に耐えかねないと嘆く妻ルーシーと共に自殺を図り…。

という話。

まあ家族の破綻を描く話なんですが、それを内部の目線から描くことで外部(詐欺の被害者を含む)との事件の受け取り方の違いを見せてくれる。

しかし終始デ・ニーロが食えないというか読めない人間で、なんとなくサイコパス感があって怖い。

脱・殺人マシーン。サイコと理性と感情と~個人的なシンクロニシティを添えて~

あのね、日本の予告編で同胞が敵であることをバラしちゃったら予想できちゃうでしょうが。ほんといい加減にしてほしいですね。

ということで「イコライザー2」観てきました。

個人的にはフークワ作品では「トレーニング・デイ」に勝るとも劣らないトップレベルに好きな作品でした。正直なところ一作目に関しては好きは好きだけれど午後ローでバッティングしただけということもあって、やはり劇場で観るのと寝っころがりながら観るのとでは印象が違いましてですね(よく考えたらトレーニング・デイもバッティングだけんど)、やっぱり劇場で観ると集中できるからですかね。

トマトの方だとそこまでじゃないらしいですけど。まあ「リプレイスメント・キラー」とかいう印象に残らなすぎて逆に印象に残ってしまう凡作以下のものを撮っている過去もあるので、手放しに褒めてはいけないというのは確かにあるんですが。

 よくある話ではありますが、アウターヘイブンと同じような問題定期もあったりしたのが良かった。そこは別に問題として取り扱われるわけではないんですけれどもね。

 

イコライザー」シリーズがほかのアクションと異なるのは、日常シーンがかなり多めに尺を咲かれていることでしょう。日常とは「つまりアパートで本を読んで穏やかな生活を送るタクシードライバー」の生活。もっとも、マッコールからしてみればそれは逆説的に非日常なのかもしれませんが、ともかく表の社会で「平凡」な生活ができているのです。前半は乗せる客の顔を楽しむ日常系(?)だったり、でも冒頭から列車でイコライズしていたり、なんだか妙ちきりんなバランスではあります。

はっきり言ってしまえば、本筋に絡まない日常描写が多いのです。もちろん、マックの日常を描いているからこそその対比としての局の仲間との因縁が映えると言えないことはないでしょうが、姉を探しているおじいちゃんにしても、あれは別に削っても物語の進行上は問題ない。ただ、あのおじいさんとのやりとりが映画のはじめの方にあって、終わりの方で解決するということで日常を起点として戦いがあってからの日常への帰還という全体としての構造からは機能しているともいえるので、まったく必要ないかというとそれはそれで違う気もする。

なんとなく、あのつなげ方が「ザ・コンサルタント」ぽくもあったり。

日常の中に侵入してくる非日常(三宅SD的に言えば精算されずにいた過去からの逆襲とでもいうか)というか、積極的にマックが介入しにいったりもしていて(まあそれがかれにとっての日常を守ることではあるのですが)、この人の行動の撃鉄を起こすレベルが微妙に判断しづらいな、と観ているときは思っていた。

 

ただ、それはマックを善人として見ているからそう感じてしまうのであって、かなりの自己中心的な人物として捉えると割とすんなり受け入れられたりするのだ。

親切な自己チュー、という表現が個人的には一番しっくりくる。そう。マックという男は親切(おせっかいと言ってもいいかもしれない)なのだ。それは落書きのくだりや前作の諸々のシーンを思い出せばなんとなくわかるでしょう。そして、彼が親切な理由は性善説的なこともあるにはあるのでしょうが、それだけでなくおそらくは自分の日常を壊されることを嫌うがゆえに、だとも思うのですよね。

几帳面さ、という部分も要するに自分の世界の構築(おそらくは、感情を律するためでもあるのだろう)にほかならず、マイルズが悪に落ちることを阻止することと机の上に置いた本の位置を修正することは彼の中ではレベルは同じなのかもしれない(伴う労力はもちろん桁違いですが)。

何が言いたいかというと、マックは決してヒーローではなく、まして心の底から他者や世界を救おうなどとは思っておらず、「自分の世界を乱すものが視界に入ったら正しますよ」という人なのだ。

だから人並みに悩んだりはしない。だから、ともするとサイコ(ネット上で使われているスラングとしての意味合いで)に見えてしまう。 

だってね、いくら敵が同胞を殺したとは言え、その敵(それも同胞ですが)の小さい娘子を笑顔で人質に取るわけですよ。あそこで映るデンゼル・ワシントンの白い歯がさらに危険人物感が増している。しかも全部始末が終わったあと、あの家族について一切言及ないですからね。いや、あんたが手を下したことで娘二人を抱えた未亡人ができあがってますがな、と。

ですが、マックはそれを気に留めるような描写はない。ここが、徹頭徹尾私利私欲でしか動かない、サイコに見えてしまうという部分だと思うのですよ。

でも、実際は単に自己中心的なだけなのだ。冒頭での列車で女の子を救ったのだって、近所の本屋が閉店してしまいそう=生活の利便性が失われてしまうことへの対処であって、決して英雄的行為などではない。少なくとも動機としては。

というのが、このシリーズの面白いところだと思う。

決して聖人君子ではなく、超軼絶塵な殺人技能を持った一般人。それを突き詰めたら面白いものになってしまった、というのがこの映画なのではないか。

冷静な殺人マシーンに見えて、実はかなり感情的なマックの描写はところどころにありますしね。それこそ、本を手元の机にびしっと揃えて置くのが習慣づいているのに、スーザンの死を聞くと本を忘れておいていってしまうほど激情するシーンなんかに顕著ですし。

 

ただひとつ気になるのは、マックがマイルズに「人種差別を理由にするな」と説教かますところは同じ黒人同士であるからというところで誤魔化されているような気もしますが、アマルティア的な批判もできそうなのですよね。そもそも、フークワが黒人でなかったらこのシーン自体叩かれそうなものですが。

でもそこ以外はやっぱり好きな映画です。さっきも書きましたが、「トレーニング・デイ」に匹敵する好きさですたい。

 

あ、ちなみにシンクロニシティの部分は劇中でマックが読んでいる「僕と世界の間に」(世界と僕の間に、だっけ)という著作のことについてで、実はたまたまこの間本屋に寄った時に同じタイトルの本が目についてブックマークしていたんですよね。

その本はかなり最近のものでアメリカ本国でも2015年に出たばかりの本なのですが、内容はアメリカにあって黒人として生きることを父から息子へと説くものなんですね。タナハシ・コーツさんという人(タナハシの語感がちょっと日本語っぽいですが、綴りはta-nehisiなので多分関係ない)が書いたものらしいのですが、まあそういうシンクロニシティがあったということだけです、はい。

 

まあ、意図としてはマックとマイルズの関係を示唆しているのでしょう。説教のパートのセリフからも読み取れますが。

うん、それはフークワなりの黒人としての問題意識としてあるのかもですな。

SSFF2018ダヨ

最近は中々映画を見にけてなかったのですが、すでに予約していたしせっかくということでSSFF行ってきましたよ。

確か去年の記事もあった気がしますが、まあそれはいいか。

夕方から勉強会があったので今日一日でプログラム全部制覇とは行きませんでしたが、観たものの感想をシコシコ書いていきますぞ。

あ、あと過去作のを組み込んでいたりして重複するものがありました。

 

・「秋のアニバーサリープログラム1」

 

「ファミリー・ハピネス」

オーストラリアの短編。ベン・ウィショーが出てます。

なんか変な感じの短編。

男のアパートの目の前で、その男が好きなアーティストのボーカルがなぜか聖書的な小冊子を配っているところからはじまり、男の妹が夫とのいざこざでそのアパートにやってきて・・・。

しかしわざわざ痰唾を冊子に垂らすというのも中々いい性格しています。

いい年した兄妹がお揃い(まあ勢いで飛び出してきているので当然なのですが)のパジャマで同じベッドの上で寝るというのはなかなかにスリリングでは?

 

「78」

96年の受賞作みたいです。

途中からなんとなく予想できてはいたんですが、なんとなく世にも奇妙な感じ。

これはほんとに一発ネタなのでネタバレ注意喚起しときますか、一応。

 

少年がマンホールの上で「78、78」と連呼していて、それを見ていた男が危ないからと止めようとするのですが連呼するだけ。イライラして理由を問うのですが、少年は見せてあげようかと、マンホールの中へと招待する。

そしてマンホールの中に入っていた男を尻目にマンホールの蓋を占めて「79、79」と数え出す。

まあなんかのCMぽくはありますよね。

一発ネタではあるのですが、クレジットが流れる最中で映像はなくセリフだけで次の犠牲者?たるおばちゃんが少年に話しかけるのとかはかなり好きです。

 

 「サイレン」

これは去年だったか一昨年だったかのダブり。津川雅彦の追悼的な意味かと。

 ただ、今見返すと地域福祉というか、地域のつながりがこれだけ生きているというのもある意味貴重なのかもと思ったり。

 

「頭の無い男」

そのまま。あの世界観、結構好きだったりします。あと背景が紀里谷監督的な、もっといえば「キャシャーン」的な背景CGの感じや色味が好きなんですよね。これも2004年なんですが、この時期のCGって大体こんなもんなのかな、個人だと。

好きな頭を挿げ替えられるというのはいい気がしますが、個人的には頭がない方がいいよなーと思う。あと、黒人の頭で鏡の前で笑ったのは人種的なもの・・:ではないか、フランスだし。最終的に首なしのまま女性とデートをするわけですが、その塩梅はかなり好きです。でも首から上がないのにどうやって喋ってるんだろうか。

セルティにCV沢城みゆきをあてがうくらいなので、もうそのへんは考えないのだろうか、みんな。でも首元まっくろくろすけだし、変に生々しいよりはファンタジックに振り切ってくれているのでそれはそれで好みではあったりしますが。

 

「コイン」

中国の短編。

ちょっとクサすぎるかなぁ。「ママおばさん」はちょっと涙腺にきましたど。

 

シェイクスピア・イン・トーキョー」

クライアントが東京メトロポリタンということであからさまな東京PRな短編。なにげに忽那汐里が出ていたりして、地味に豪華。

ダウン症の男性が、バリバリキャリアな兄に連れられて施設に云々という話なのですが、そのダウン症の男性がひとりでできるもんと東京を歩き回るんですな。

で、まあその撮り方がまあCMくさいのなんのって。あんなにもんじゃ焼きをキラキラと描いていたのは漫画ですけど「王様の耳はオコノミミ」くらいじゃなかろうか。あ、あれはお好み焼きか。

あと、MBAの勉強を鉄板焼きの店でするのはどうかと思いますよ、忽那さん。

でもまあシェイクスピアの引用をしまくるのとか、逆に潔くていいのではないでしょうか。千葉真一とかも出てるし、やけに豪華。

 

ちなみに、ここで本編とメイキングが見れますので気になったら見てもいいのでは。

東京都×SHORTSHORTSプロジェクト | ショートショート フィルムフェスティバル & アジア

ていうかどれもどこかで見れると思いますが。

 

・「2018年 受賞プログラム3」

 「痣」

なんか綺麗に収まっているような、そうでもないような。

まあ殺人犯を愛してた女はともかく、あの夫婦は一体なぜあそこまで冷え切っていたのか。奥さん役の人、AV女優の誰かに似ている。

 

「グリシャズガイドトゥキエフ

よくわからないんですけど、あんな筋トレできる公園があるなら行ってみたいかも、キエフ。最後に女の人がいるのはストーキングする側とされる側の逆転なのですか。押してダメなら引いてみたのですか

 

「いばらきショートフィルム大賞」

現実をデコレーションというフレーズを押してくるのが困った。どうでもいいけどデコレーションって英訳して伝えるとEMBなんちゃらという別の単語になる、というのがいかに和製英語が潜んでいるかという気づきに。

でも繋ぎ方とか時止演出とか、その最中に葉っぱを一枚だけつまんだりするあれって結構お金かかってそうな気がしますけど・・・。

 

「コトリのさえずり」

CGアニメ。

綱の上の雀と女性の一生。しかしあれだけ限定されたカメラアングルで抽象化されているとはいえわかりやすく伝えるのは中々しゅごい。戦争の描写があったりしましたし、あのおばあさまはそれなりの年齢なのでしょうな。

有刺鉄線はひっかけるとマジで血が出ますから(経験則)、あのへんのシーンはちょっとドキドキした。最初の小さなの足の時はやや体重の乗り方と土踏まずの食い込み具合とかちょっとアレかも(ディズニーの罪は重い)と思ったりしましたが、終盤の雪の描写はかなりいい感じじゃないでしょうか?

あれだけでも観る価値あると思います。

 

「あと さん ねん」

イタリアって土葬なんですね。

普通に怖いですよね、あの博とかいう日本人。普通に家のものに触ってるし、あれ博視点(犬とのやりとりとか)がなかったらサイコホラーにいけたでしょ。ていうか、そっち方面に展開することもできたと思いますが。

ま、なあなあに終わった感じでした。

 

 

・「2018年受賞プログラム2」

 「SOME DAY」

川越のPRのためだけの短編。

正直、このプログラムはほかの作品が相対的に個人的に評価できるものが多かっただけに、見せしめのような気がしないでもない。

ぶっちゃけ半分寝てましたのであまり覚えてませんが、タイムスリップ設定使うならもっとちゃんとした衣装にすればいいのに、なぜブーツだったりミニスカっぽい浴衣のアレンジを加えてしまったのか。

部長っぽい人だけ演技が舞台っぽいせいであんまり出番ないのにやや浮いているのとか、川越の風景にファミマの看板を同居させてしまう風情のなさ(登場人物の時点ですでに風情もクソもありませんが)とか、結構笑えます。

あとどうでもいいことですが、主役のイケメンの高校生が誰かに似ているなーと思って気になってたんですが、どうも大学時代の同輩のOくんに似ているということに気づく。Oくんは必修科目すっぽかして北海道にまでJKとハメにいく性欲魔神だったのですが、彼は今どうしているのだろう。

 

「偽りの赤」

インドのカースト制度はなんとなく知っていましたが、既婚者でなければアパートを借りるのも一苦労、というのはマジなのでしょうか。

ちょっとググったところだと

「ムンバイの住宅事情の悪さはおそらくインド一番で、
インドの物価を考えるととにかく家賃が高く、近年の不
動産高騰は異常です。しかも、私のように独身、女性、
外国人と三拍子そろえばアパートのソサイアティーに入
居を拒否されることが多々で、アパート探しは困難を極
めます。ちなみにこの「ソサイアティー(Society)」と
いう言葉ですがインドでは多用されており、その定義は
かなり広範囲です。大まかに説明すると、宗教、カースト
出身などによってグループ分けされた人々の集団を指し
ます。同じアパート内に住む人々の集まりもソサイアテ
ィーといいます。そして、例えば、ジャイナ教信者のみ、
イスラム教信者のみ、ベジタリアンのみ、のように多く
のアパートが、程度の差はあれ、排他的な特徴をもっ
ています。
インドでは、多くの人は結婚するまで親元で暮らし、
結婚してからも自分の両親や配偶者の両親と暮らすこ
とがほとんどです。ある程度の年齢に達したら一人暮
らしをするという選択肢が世間に浸透していなければ、
それを許す物理的な環境も整っていません」

という文言がANAムンバイ支店 椎八重 万耶の「ムンバイの住宅事情」というPDFにありました。

 

あと赤い額のアレが塗っているのではなくつけているというのも地味に初めて知りましたし、頭髪の分け目のところを赤く塗るというのも知りませんでした。ビンドゥいうて原則として既婚で、なおかつ夫が存命中のヒンドゥー教徒の女性がつけるものである。とのこと。あれを洗い流す時の赤い液体が血のようで痛々しく、マスターベーションを阻害されて「旦那さんの~」と静寂をぶちこわされるというのも悲しい。

インドのフェミニズム的な視点を取り入れた短編。

今日見た中では二番目によかった気がする。

 

「マルグリット」

これが今日見た中でベスト。

婆×おば・・・お姉さんというのは百合界隈でも中々珍しいのではないでしょうか。

百合というか、レズでしょうか。シチュエーションが介護者と被介護者というのも。

足をさすってもらっている時のおばあちゃんの顔とか、だいしゅき顔とかがすごいいいんですよ、この役者さん。

演出も結構良くて、かつての思い人のアルバムを見ていて、彼女が結婚した写真を見てそこから先のページは開かずに閉じるのとか、すごい切なくて。

軽いものとはいえキスまでしますし、百合好きは見るべし。

 

「東京彗星」

東京に隕石落下するとか、そこまで詳しい位置と時間がわかるんかい、という突っ込みは野暮なのでしょうが気になる。

おじさんのHEROジャンパーは露骨すぎて笑いました。あと津波って大陸に落ちても怒るものなんですかね。

でも静かな東京ってあんまり見れないし、あと衝突直前のアナウンスとかのデカダンスというかあの感じが割とツボで、兄弟云々の話とか3.11の引用の面の皮の厚さとかはともかく、あのアナウンス場面だけで結構好きになれる。

 

 

とりあえずはこんな感じ。

もしかしたら月曜日にも観に行くかもしれませんが、行かないかもしれません。

観にいたら、この記事に追記する予定。

閉鎖系から開放系へ

ようやっと湯浅政明の「マインド・ゲーム」を観ました。「デビルマン」はまだ観てない。

なんでしょうね、この人のアニメ観てるとなんとなく原恵一を想起してしまうんですよね。多分、メインストリームとは異なる立場から、その流れに囚われることなく好き勝手に作っている(ってわけでもないでしょうが)自由さがダブルのかもしれない。新アニメなんかでは主流の線を綺麗に描き崩すことなく丁寧に描くのに対し、こちらの陣営(高畑勲もどちらかということこっち側だろうけど)はそういったことへの関心が少ないというか。別の部分にリソースを注ぎまくっているというか。

まあ一言で言って、「動」だろう。「マインド・ゲーム」における神のカット線の動きようったらないし、カットが変わるごとに姿かたちが変わり1カット内ですら常に流動する。その妙ちきりんな楽しさ。CGの使い方や実写をアニメの中に溶け込ませる遊び心。まあ、それ自体はこのアニメ以前にも観ていたことはあったのだけれど、長編アニメでこういうことをするのは確かに色々と大変そうではある。

 

 

話の内容としてはアンチセカイ系というか、まあエントリーのタイトル通りだと思いますです。まあ単純に面白いんですよね、メインストリームになれた目で見ていると色々とぶっとんでくれて。しかしコンテすごいことになってそうなんですけど、これ。

あとはやっぱり走るシーンですかね。「ピンポン」のOPやデビルマンもそうですけど、この人の走るシーンのバリエーションが凄まじく、なんか延々と見ていられる。

 

あと「パルピフィクション」的に冒頭の映像と最後の映像のモンタージュで最初は意味我かなかったシーンの意味がわかってきたりとか、そういう構造もハットさせられますし。 

どうでもいいんですが、鯨の体内でごちゃごちゃやるっていうのはどの辺の話が初出なのでしょうね。わたしの記憶だとDMC3かサタンのナヘマーなんですが、ルーツたどると神話とかにありそうな気がしますな。

 

あとエロいですよね、この人の描くエロって。粗製濫造されるポルノまがいというかポルノのまがい物のようなものではなく、本当に生々しいエロさがある。それだけでなく、面白い。ドラッギーに描いていたりする部分もあるし。

ピピン生存ルート

「MEG」観てきました。

インデペンデンスデイ」のサメ版ですな。ガジェットの感じも含めて。

まあね、今更こういう映画を観に行って「お話が云々」とか言うのはカップラーメンにキャビアが入っていないと喚くくらい愚の骨頂なわけで、そこに来るといかにして楽しむか・製作側の提供するものとシンクロできるかという部分がこの種の映画を見る際に求められるものなのかもしれない。

まさか自己犠牲展開を2度もやるとは思いませんでしたが、個人的にでかいスクリーンでマシ・オカを観るということだけでなんか変に得した気分になれたりするのです。しかし顔変わらないなぁ、この人。

あとはリー・ビンビンの化粧が厚いなぁとか、ステイサムのヒゲともみあげの境界線がわからなくて面白いなぁとかね。

しかし個人的にはピピンちゃんが生きていたどうでもいい目配せとか、結構好きだったりするのです。ああいう、こういう作品では本筋からは心底かけ離れたどうでもいい部分で変に気を遣ってくれたりすると嬉しいんですよね。「ちえり~」がその真逆だったので余計に。

個人的にはアイスデブ小僧を殺してくれたりしたら大満足だったんですが、まあ大きい鮫の明らかな怪獣映画を意識していて楽しめましたし。

 

しかし一番面白かったのは鑑賞後に見かけたシャークネードの4DXをこのシネコンでかけるというニッチをつついた広告だったりする。

なんかしょうもないですけど。