dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

ハネムーン・キラーズと地獄愛

「ありがとう、トニ・エルドマン」の後にこの二作を観た。同じ事件を題材にした映画ということで、まあリバイバル上映という形なのですが、同じ話でも描き方によってここまで違うものなのかと。年代が大きく違うので、そういう意味では差異が大きいというのは当然といえば当然なのですが。

 おそらく、ハネムーン・キラーズの方が実際の事件に寄せてきているのでしょうが、それゆえに色々とキツい(といってもかなり脚色されているのは確かですが、マーサの職業とか体型とかは似せている)。まずマーサ・ベックを演じるシャーリー・ストーラーの重さ(二重)とか。パンフ見てから知ったことなんですが、マーサは事故の後遺症で異常性欲になっていたとか、レイが黒魔術やっていたとか「ハネムーン~」では直接描写されていなかった気がする(地獄愛では後者について露骨に描写していたけれど)。別にそれそのものは話に直接関係ないし、安易な根拠というか論拠を提供することでむしろ狂気性が薄れるということもあるので、これが意図したものだったら良い采配だと思います。

 話としては狂ったデブ女とと狂ったハゲかけ男の愛の物語なんですが、よく考えたら作品の描き方からして狂ってたんだなぁと、今にして思う。普通は愛ゆえに人を殺したカップルが次に取る行動って逃避行なり証拠隠滅なり偽装なり方面にストーリーが向かうはず。だのに、こいつらときたら人を殺したあとも平然と詐欺行為を働く始末。あまつさえ自分らが殺した女性の死体を放置してセックスする始末。状況的には二進も三進もいかなくなっているのに。まあ愛ゆえにって言葉の持つ美醜の両義性の醜が全面に出てる作品なんで、普遍的な愛の甘美さとかはないです。むしろ歪な愛の形を押しつけられる映画なり。

 はっきり言ってマーサに魅了される点なんて普通の人間なら見いだせない。老介護しなければいけないし、デブだし嫉妬深いし、そのせいでレイの仕事を台無しにするし。見ているこっちはマーサの行動にイライラしますし、仕事を台無しにされあまつさえ殺人にまで発展させた彼女にレイも激怒します。それでも、レイはマーサを捨てませんし付き添わせます。全く分からない。その「分からなさ」こそが2人だけが通じ合える愛なのだろう。そんな歪な愛を理解できないことに普通の人は安心する。でも、共感を寄せ付けないこの映画が大衆に受けるはずがない。だからこそカルト映画たりえたのだろうし、創作者として異端さを有していたトリュフォーは共感したのだ。わたしはといえば、悔しかった。心の底から共感できず、理性としてしか2人に納得できない大衆的な感性に。所詮わたしは、何もなすことのできない異端への憧憬者でしかないことに。

 

演出的にも中々面白い部分があった。レイの子を身ごもった女が殺されるシーンの、目線と音だけでレイの行動を描き死の足音を響かせる。個人的には黄金バットのペギーを思い出しました。他にもカットのテンポが独特というか急いてるというか、「あ、そこは描写しないをだ」と思ったり。 

まーあとは深読みできる部分として、七つの大罪を2人が犯しているのではないかと思ったりした。七つの大罪とは死に至る罪のことで、実際に2人は死刑になる。セブンでは1人あたり1つの罪を割り振っていたけど、ハネムーンキラーズでは2人が全てを侵している気が。

 チョコやスナックの描写から暴食、色欲はいわずもがな、人を苦しめてまで金を求める強欲さ、それと繋がる憤怒、怠惰も傲慢も嫉妬もある。 

それらを愛という卑近なフィルターでもって描いてもいるんじゃないか。

 

次は地獄愛。「ハネムーン~」と同じ事件を題材にした映画ですが、こちらは2014年ということで近作であります。いきなり脇にそれるんですがこの二作のパンフの情報量の少なさってベルギー映画だからなのか?「ハネムーン~」とか、柳下毅一郎がどうにか文字数稼いでるが、それが逆に情報量の少なさを露骨に示しているし、「地獄愛」に関しては値段に対する情報量が少なすぎる。もうちょっとどうにかならんかったんかいな。

と、愚痴はこのへんにして地獄愛の感想をば。

 三連続の三本目ってこともあってか割と疲れ気味に観ていたんですが、割と楽しめた。露骨に寒色なライティング(って言っていいのかしら)とか、あまりに露骨すぎて額に笑ってしまうのですが、グロリアのような異常者()を映すにはこれくらいやりすぎている方が正しいとさえ思えてくるから不思議。

 それにしてもグロリア役のロラ・ドゥエニャスの顔がすんばらしい。黒目がちな双眸とか口のシワとかすっげー魔女っぽくてよろしい。ちょっとだけスカーレット・ヨハンソンぽい顔立ちでもあるという。まったく似てないんですけど、似てる。そんでもって映画の冒頭からこの魔女の目がこっちを凝視してくるんですよねぇ。ちょっと本気でやめてほしかったです、はい。マジカルガールがラストに持ってきたのとは逆ですな。一種のファム・ファタールといってもいいかもしれませんが、どちらかというと自身のファム・ファタール性によって自らを縛っているようにも見えるんですよね、客観的には。とはいえハネムーンと同じで結局は二人の愛に収斂していくわけなので、どうでもいいわけですよ客観性というか冷静な視線なんてものは。

 一方のミシェルについて。別にこの人に関してはグロリアほどの魅力があるわけでもないんですよね。それだけミシェルが強烈すぎるんですが。

 ハネムーンとは逆に彼が黒魔術をやっている部分が強く描写されているんですが、そこに頭痛の要素が加わっているんですよ。頭痛が起こるタイミングなんか注意してると割とパンピー的なのかなーとか、子どもは逃がしたり殺すのを躊躇したりする部分を見ると正常な部分とかあるのかと思ったんですが、最終的に行き着く先を考えるとミシェルもミシェルでやっぱおかしい。

 多分、この作品においてこの二人は幼子として描かれているんじゃなかろうか。欲望のまま動く二人はよく言えば純粋で悪く言えば赤子のそれ。その描写が顕著なのはダダをこねるグロリアとそれをいないないバーのようにあやすミシェル。そしてグロリアの足の指を乳飲み子のように吸い付きむしゃぶるミシェル。

 ともかくグロリアでしょ、うん。男ができるやいなや子どもを友人に預けて出て行くグロリア萌え~。急に歌いだして死体解剖はじめるグロリア萌え~。

 グロリア萌え映画、それが地獄愛。

 

そうそう、モザイク問題なんですが、なんで年齢指定しておきながらモザイクかけてんのかわからんどす。トニ・エルドマンではマンコはモザイクなしでチンコにモザイクかかっていましたがそれもよくわからない。金払ってんだからちゃんと見せてほしいですよ。