dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

【ハートフル】この世のすべてはあなたを追い詰めるためにある【ボッコ】

けれど救いはないわけではないのかもしれない。というバランス。

白石監督(和彌の方ね)の新作「凪待ち」の試写会に行ってきました。

ネタバレを気にするようなタイプではありませんが、一応公開前の作品につきネタバレ食らいたくない人は読まんといてくらはい。

 

 

白石監督の映画って割と話題になる作品が多い気がするんですが、私は「日本で一番悪い奴ら」しか観たことないっていう。「孤狼の血」も結局見逃しちゃったし。

でもまあ「日本で~」も面白かったしほかの作品も評価は高いしシネコンウォーカーで松久敦さんも推してたし楽しめるだろう、ってことで心置きなく観賞できましたよ。

しかし今年公開(予定)作品が3本もある上によく考えたら去年も3本撮ってるんですよね。しかもバジェットの差がかなりありそうで、なんというか自由闊達に映画作りしている感じがある。

 

本編の上映前に監督本人からのティーチインがあったので、それについて箇条書きで覚書。意訳あり。

・一か月石巻と女川町でのロケ

・いつもは加害者を描いていたが、今回は被害者を描いた。被害者を描くのは苦しかった。ただ、そうやって描くことで問題を浮き彫りにすることができた気がする。

・自分の中で「家族とは?」といった疑問があった。今までも、アウトローを描くと疑似家族を描いていたようなものだったけど、ちゃんと家族としての家族を描きたかった。自分の家族にもちょっと問題みたいなものがあって、弟が失踪したこととかあってそれを振り返ることができるようになったからとかなんとか。

・今まで転落した人は描いていたが、そこから這い上がるひとを描きたかった。

・それで用意した脚本が香取くんに合うんじゃないかと

・競輪は香取君がガチ勢で、ほかの映画のときにも競輪ネタを監督に押すくらいだったので、今回使ってみた。

香取君加藤さんは多分ギャンブル依存症(監督曰く)

・衣装合わせのときからアイドルオーラ消してきていた。

・いつものような暴力を抑えたかったが、ちょいちょい脚本にない部分とかにも暴力を盛り込んでしまった。でも香取君はちゃんと受けてくれた。

・今回は全員良い人にしようとした

・現地の話を取り入れた(フィリピン女性の再婚相手のところとか)

・過去は直接描かず台詞などで匂わせる程度にして、そういう重みは役者の人間力に担わせた。

・3.11の被災地にしたのは、やっぱり思うところがあったから。

といった具合でした。

あんな暴力的な映画を作ってる割に声とかは割と小さかったり、こじんまりしていてちょっとギャップがありましたね。

 

以下あらすじ

毎日ふらふらと無為に過ごしていた郁男は、恋人の亜弓とその娘・美波と共に彼女の故郷、石巻で再出発しようとする。

少しずつ平穏を取り戻しつつあるかのように見えた暮らしだったが、小さな綻びが積み重なり、やがて取り返しのつかないことが起きてしまう――。

ある夜、亜弓から激しくののしられた郁男は、亜弓を車から下ろしてしまう。そのあと、亜弓は何者かに殺害された。

恋人を殺された挙句、同僚からも疑われる郁男。次々と襲い掛かる絶望的な状況から、郁男は次第に自暴自棄になっていく――。

 

なんとなくここ1,2年の邦画の傑作の中に家族の様相(機能不全あるいは手前だったり)を描く映画が多かったですけど、この映画もそういう映画なんですよね。しかし是枝監督と白石監督でリリー・フランキーの扱い方の差にちょっと笑ってしまうんですが。

ところで、こうして公式のあらすじを読み返してみたら、亜弓(西田尚美 演)さんが死ぬことわかってたんですね。

いや、確かに不穏な臭いはチラつかせていましたし、ある意味で亜弓の「美波が変質者に殺されたりしたらどうするの」的なセリフとそれを真面目に取り合わない郁男(香取慎吾 演)のやり取りが呼び水となっていたのだなぁと今は思う。

 

役者に関しては金髪少年含め脇も手堅くメインキャストもみんなよかったです。

 

まずファーストカットですよね。香取君がチャリンコを漕いでいるところから始まるんですけど、これがもう(まあ偶然でしょうが)「岬の兄妹」ばりに足を映すんですよ。

小汚い服を身にまとった足でね~。そのまま競輪場に賭博しにいくわけなんですけれども、競輪場に入っていくときにカメラがほぼ真横になるくらいに斜めになっていくんですよ。随所で同じように(ショットは違うけど)カメラを斜めにする演出があるんですが、それはほぼすべてが郁男の賭博行為の前兆のように使われているんですね。不穏なBGMと共に。この、何か一線を越えてしまうような演出の仕方は、個人的に「こどもつかい」の異界表現にも似たそれを感じる。

 

でね、この競輪場が川崎なんですよ。川崎ですよ、川崎。川崎から石巻に引っ越すわけですよ。なんですかこれは。

はっきり言って、この川崎のパートは思い切りカットすることもできなくもないんですよ。いや、実はここでのナベさんを描くことでこそ後半の展開とか対比として機能したりするわけなんでカットできない理由はあるんですけど、別に東京にしても作劇上の問題はない。じゃあなぜ川崎なのかというと、もちろんそれは川崎であることで郁男の瘋癲ぷりにかなりの説得力を与えることができるから。

川崎の治安の悪さは有名ですが、川崎に務めている知人から色々と話を聞くとそりゃもうすごいです。生活保護関連のこともそうですしスーツを着た知的障碍の人が横断歩道で倒れていたり精神病院の横にやくざの事務所があったりとかそれはもう治安の悪さや濁った空気感は「デビルマン クライベイビー」やブレードランナーのプレミアムパーティの開催地であることなどを引き合いに出すまでもなく周知のとおりです(あくまで川崎区ですが)。まあ、だからこそ電脳九龍城みたいな娯楽施設ができたりもするわけですが。

で、そこからの石巻ですよ。3.11の被災地ですよ。川崎からの石巻。もうこの時点で救安易な救済がないことはわかりますよね。石巻の海も、赤色だったりもやがかっていたり、津波によって新しい海が云々という台詞があったり、整備されていたり、色々な表情を見せてくれるんですよね。

 

それでまあ、郁男のギャンブル友達であるナベさんと川崎競輪場でギャンブルをしつつ、ハロワに行ったり元の職場の後輩に因縁つけられたり、その帰りに酒飲んだり、本当に社会的に後ろ指をさされがちな人間の一日のサイクルを実践するわけです、この二人。

ここでのナベさんと郁男のやりとりは、実は石巻において立場の逆転という対比がなされる。たとえばナベさんが郁男に対して「どうして俺なんかにやさしくしてくれるの?」と言ったり、郁男が餞別と言わんばかりにロードバイクをナベさんにあげたりするわけです。このセリフ、石巻において今度は郁男がリリー・フランキーに対して同じようなことを言ったり、同じく無償に助けてもらったりする。

そういう風に人の情(善性みたいなもの)を強調するわけです。と、書きつつ、実はリリーとナベさんに関してのハートフルなエモーションというのは完全に郁男を追い込むための布石であったりするんですけど。

そういうわかりやすいハートフルの裏側にある暗いものによってリリーやナベさんが郁男を追い詰めるのに対して、反社会の人が最後の最後に(亜弓の葬式の時点であの人が来ていたので、実は最初から彼らだけは一貫しているんですね)義理を通すという反転があるんですよね。

いや、まあね、結局ノミ屋の彼らは反社だし一度はルール破って郁男をぼこぼこにしているのでまったくもって擁護のしようがなく、家に金を渡しにきたといってもそれは至極当然のことでありまして、そんな劇場版ジャイアンみたいなことをしたからといって赦していいわけではないわけです。皆さん騙されてはいけませんぞ。

ただ、救いであったはずの繋がりが一瞬にして反転し絶望に転化してしまうのと同じように(そして正反対に)、最低最悪の連中がやはり繋がり(みなまで言うのもあれですが、勝美の繋がり方ですよね)によって一縷の望みになったりするわけです。

人との繋がりを、白石監督は本作においてほとんどが郁男を追い詰めるためにしか機能させていないのですが、ただだからといって一面的であるかというとそういうわけではなくて、既述のような人たちもそうですし亜弓の元DV夫で美波の実父である村上竜次(音尾琢真 演)の描き方にしても屑っぽさもありつつ改心したように赤ん坊を眺めていたり。そういう一筋縄でいかない描かれ方をしているわけです。

亜弓にしても美波にしても、あの事件に至る過程やその後の関係性に軋轢が生じそうになったりするし。

印刷所の人間くらいでしょうかね、ほとんど良い面がない屑として描かれているのは(

ゲロの吐かせかたが迫真すぎてちょっと笑うくらいなんですけど)。それを言えばこぶつきの女性のヒモで金をくすねるような男なわけで郁男も郁男で屑と受け取れるわけですが、でも監督は郁男を屑としては描いていないでしょう。ギャンブルにしたってきっかけは郁男にはないし、亜弓の事件にしてもそれによって美波から糾弾される郁男の事情を観客はメタ的に把握しているわけで。

それゆえに、本人に落ち度がほとんどないがゆえにその追い込まれが理不尽なんですけれど。

 

だからこそ、亜弓の娘である美波や父である勝美と3人が並んで画面に収まるあのショット(香取君の泣き方とか恒松さんが服の袖掴むのとかね)にほんわかぱっぱするわけなんですよね。

 

そこからラストのエンドロールに合わせて、婚姻届けを沈ませた、どぶぞこを攫うような濁った海の映像が流れる。そういう安易な救いを提示しない終わり方で、郁男カワイソス。

どうでもいいけど、あの船のカギはどう見ても結婚指輪ですよね。そうですよね。亜弓はもういないけど。

 

 

そうそう。場面転換で気になったことがあった。場面転換の仕方が、強引というか一連のシークエンスの結果を端折ったような感じなんですよね。郁男がやーさんに囲まれた次のカットで何事もなかったかのように別のところにいたり、美波と亜弓が喧嘩しちゃったあとで亜弓が郁男の隣の椅子に座ると次の場面に移ってたりとか。本当なら、もっと描けるような気がするんですよね。

この辺は何かすごい感覚的なものなんですけど、どうだったのかなと。いくつか考えたことはあるんですけど、上手くまとまらないので書くのはよしときます。

 

 

 いやしかしですね、香取くん追い込むことに注力したせいでリリー・フランキーサイコパス()であることが露見したところで一気にホラーになりますがな。

亜弓を殺しておきながら何であんなことができるんだよ、という数々の恐怖がですね。もう本当にホラーの領域になってしまっています。抑えきれてねーじゃん白石監督!いつもの感じ出ちゃってんじゃん!

郁男が「俺なんか死んだ方がいいんだよ」という悲痛なナラティブとナベさんの事件(バット持ってたからもしやとは思ったけど)の直後に爆発しちゃうシーンの自暴自棄な感じとかにも私はちょっとウルっときたんですけどね、しかしナラティブを郁男から引き出し聞き受けたのがリリー・フランキーであるということを考えるとね、もう郁男のナラティブが云々とかそういう問題じゃなくて亜弓を殺しておいて平然とそんなことができるリリーのサイコっぷりが気になってしょうがなくなるわけですよ。

ちょっとこの辺は本当に本編のバランスを危うくさせかねない気がしますけど、大丈夫でしょうか。

 

 

 

白石監督はもうちょっとリリー・フランキーを統御しないといつか映画を食われてしまいますぞ。