dadalizerの映画雑文

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ワンダーウーマン、処女を切る

 そういう話でした(そういう話だったのか?)。ワンダーウーマン

 処女っていうか、「恋」を含む「愛」を知ることでダイアナが神として完成するという話。それと同時に、人間になる話でもあると。エンディングに「to be human」流してるんだから考えるまでもないことですが。

 人間に対する一面的な思い込みではなく、人間の醜い部分をも知り清濁併せ呑むのことで弁証法的にアウフヘーベンして神へと昇華したわけです。未熟な神様が第一次世界大戦を通じて(そこまで戦争感ないけど)立派な神様になる。

 ぶっちゃけそれ以上の話ではなさそうなんですが、ワンダーウーマンがここまで取りざたされるのはやっぱりワンダーな「ウーマン」だからなのでしょうか。仮にこの作品が「ワンダーマン」だとしたら、ここまで評価されただろうか。と考えるとそうは思えない。もちろん、映画にかぎらず大衆芸術は世相と密接に結びついているわけではあるんですが、性差で反響が変わるということそのものが性に対する偏見が残ってるということの裏返しでもあるんじゃないかなーと。

 面白いけど、そこまで突出して面白いかというと、個人的には「300」くらいの印象です。いや、つまり面白いもの観たなーとかアクションシーンなんかで鳥肌を立てたりしたんですけど、みんなほどの熱量は自分の中にはなかった。

 ていうか、アレスが出てきたあたりで「やっちまったな」感がすごかった。すごい言い訳じみた「武器のインスピレーションはしたけど、戦争をおっぱじめたのは人間自身だから」ってアンタ。殺人教唆したけど殺人はしてないよってくらい弁明になってないじゃないですか。実は神様が裏で人間の争いの糸を引いていたっていうのは、はっきり言って逆に安っぽいっていうか、B級感が出るじゃないですか。でもまあこれはジャパニメーションに馴染んでしまった私自身の問題のような気もするんですが。

 神様のビジュアルが安直なのはどうかなぁ。アクションが単調になってしまうのもアレですよねー。ダイアナvsドイツ軍のときはアングルとかデジタルカメラでの一周回すカメラワークとか、そういうのを含めて無双を見れて楽しいんですけど、アレスと戦い始めると途端にサッカーボールを壁蹴りしてるような単純動作になるのが。これはほかの作品にも言えることなんですけど、跳躍もとい超躍ってどうしてああも動きが嘘くさくなるんでしょうかね。

 

 あとmcu的なおまけがないのも不満だったり。ユニバース構築するんだったらおまけつけてよ、ダークユニバースもそうだけど。クソ長いクレジットを最後まで見させられるこっちの身にもなってくれって話ですよ。