dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

6月

「ピーター・ラビット」

公開当時の評判がよく分かった。吹き替えで観たんですけど千葉くんのピーターも小生意気(ってレベルじゃないけど)さが出ていてかなりはまり役ではなかろうか。繁の方の千葉さんも鶏のやかましいイメージにピッタリで笑ってしまいました。ああいうタイプの笑わせに来る感じはそんなに好きじゃないんだけど台詞と言い回しで普通に笑ってしまった。

ひたすらアクションアクションな上に(人間目線での)不条理系スラップスティックコメディで面白い。他者との折り合い云々とかそういう部分で語る余地もありそうですが、そういうのはどうでもいいくらい楽しい。

ワイルドバンチ歩きもあるしこれは確かに血が出ない(ブラッドベリ―で代替)だけでアクション映画ですわこれ。

マクレガーがドアノブに手をかけて吹っ飛ぶシーン、わざわざワンカットで見せてくるこだわりっぷりは勢いも相まって大爆笑してしまいました。奇声発してるし。ラストの方でも天丼するし、最近で一番笑った映画かもしれない。

これに腹を立てるというのもまあわからなくはないですけど、それはそれでちょっとエゴが大きいせいではないかとも思います。そういうの抜きにして純粋にアクションを楽しむ映画ですしおすし。

 

余談ですが鹿のくだりはイギリスにある「蛇に睨まれた蛙」的な諺らしいですね。

 

 

勝手にしやがれ

 大学の講義で中途半端に観て以来だったので改めて見直す。

なんというか所々で観られるジャンプカットやら手持ちカメラの長回しを白黒の映画で観ているとがすごく不思議に映る。それはまあ、当時としては映画の文法から逸脱したものだったからなのでしょうね。まあ、昔の映画をそんなに観ているわけではないのではっきりとしたことは書けませんが。

しかしポワカールのしょうもない小悪党ぷりは観ていて清々しさすらある。ああいう男いるよね~。ベッドでのピロートークの長さとか、本当普通に観てたら尺としておかしい気もするんですけど、あのポワカールのキモい(あれで篭絡される女性というのがわからない)ナンパ師みたいなワードセンスのおかげで聞いていられるという。

 

「トライアングル」

 ループものとしては何気に良作では、これ。

重要なのは夢と繋がっているところでしょうか。繋がってましたよね、確か・・・?

冒頭を少し睡魔と格闘しながら見てたのではっきり覚えてないんですけど。

夢と現の境目を曖昧に、というか「ファイナルデスティネーション」的なワンクッションとしての夢を置くことで、現実感を薄めてくれている。

記憶が正しければ、船の中には3パターンのジェスが存在していて、その三人でループを構成しているからトライアングルなのかなーと(バミューダ的な意味合いもあるかも)。一人目というか三人目のジェスを船から落としたジェスがパターンを変えようとしたものの、それ自体がループに組み込まれているという罠。

そもそもジェスは船に乗らない(というか離れる)こと、つまり船がループを構成しているためにそれがループに陥らないための条件だと考えていたわけですが、無線のくだりもそうですし、第一あんな超常的な風景が顕現している時点で(あの空を覆っていく雲のシーン良いですよね)船の外からすでにループは始まっていたといえる。

つまり、どう足掻いたところでループの中に取り込まれているという時点で、抜け出すルールなんてものはない。どうもリスポーン地点(事故ったところ)で記憶と肉体がリセット(というか再出現)されてるみたいだし。要するにゲームというより単なるシステムなんですよね。

シーシュポスの神話の話が出てくるのは、あの話は岩を延々と運ばされるというループを示しているのと同時に不条理についての話でもあったわけで(ああいう示唆的なことを明言しちゃうとちょっと不条理性が逆に薄れるから、本当にさらっと描くくらいがちょうどいいとは思いますが)、その不条理とはループにはまってしまったことではなくループに抗うことができない上記のような絶対的な不条理システムにジェスが組み込まれているというところにある。「異邦人」も「シーシュポスの神話」も一応は読んだけど、正直理解はしていないのでわかったようなことは書きませんが。

これって観客はゲームシステムをメタ的に捉えられているから、もしかすると「どうしてジェスはみんなを説得したりしないん?」と思うかもしれませんが、上記のように絶対的なシステムに隷属するしかない以上、そもそも論としてそういう行動は取れないわけです。ADVのゲームで出てくる選択肢以外の行動がとれないのと同じで。

というか、2パターン目のジェスが行動を変えようとして変わったと思ったらそれもループの一環だったと判明するわけで。そこで彼女は未来の彼女の言うことを鵜呑みにするしかない以上は仲間を殺す行動に走るのも仕方ないし、息子の死の記憶もおそらくは曖昧ながらも継承(強くてニューゲーム的に)しているだろうから息子に狂って息子のために仲間を殺すこともいとわない行動に出るのもおかしくはない、という概観的にシステムを俯瞰せずとも一応のパーソナルな理由もあるわけで。

 

船の存在やあの幽霊船然とした船も、夢がブリッジしてくれているおかげで違和感なく受け入れられる。

死体山積みなところとか、良いシーンもたくさんある良作なり。あとヘムズワースがいました、ソーじゃない方の。

 

 

「グレイヴ・エンカウンターズ1と2」

ファウンドフッテージモキュメンタリー。アルバトロスだと思ってなめてかかってたら中々面白かった。

怖いっていうよりはわちゃわちゃする感覚を笑って観ていたというのが正しいんですが、もしかすると吹き替えのせいかな。

女性の霊とファーストコンタクトした際に「テープに撮ったぞ」とかのたまう余裕とか、変な魔法攻撃くらったみたいに吹っ飛ぶのとか、笑っちゃうんですよね。

白石監督みたいな演出だなぁと言ってしまえばそれまでなんですけど。

主人公たちをあの精神病院の霊と立場を逆転させるというか追体験させるというか、そういう機能を果たしている側面はあるかも。

 2も別につまらなくはないけれど、記憶には残らないタイプ。

 

リプリー

マット・デイモンジュード・ロウの濃密な絡みが観れるのかと全裸待機してたら思わぬ方向に話がシフトしていってビビりました。

名前の使い分けによって状況をかいくぐっていくというのはミステリーとかサスペンスとかクライムものにはかなり疎いので新鮮でござんした。

何気にパルトローとシーモアホフマンも出ているという。しかし80~90年代までのシーモア・ホフマンは割と嫌なタイプの人間を演じていたんですねぇ。

あと明確に因果応報的な結末にならないのも新鮮でした。いや、ようやく出会えた人を自分で手をかけなければならないって時点でバッドエンドではあるんですが。

 

「アイスブレイカーズ 超巨大氷山崩落」

B級精神の横溢するタイトルからの実話ベースの話という触れ込みで観たんですけど、別に面白くはない。

ていうかタイトル詐欺も甚だしいのですが、冒頭からハプニングを起こしてくれるもんだから結構期待してたらディザスター映画ではなかったというオチ。

すごい間延びするっていうか、不必要と思われる展開ががが。

コミュニケーションは大切にね。

犬は可愛い。

 

「はじまりのうた」

ヘイリー・スタインフェルドって真っ当な美人というよりもややブサ可愛方面のキュートさなのではないかと思ったり。割と太ましい。だからカーリーにぴったりではあるんですけど。

なんか既視感があるというかどこかでこの映画と似た雰囲気を感じたなーと思ったらジョン・カーニー監督ですか。

全体的にオサレなCMみたいなカットが多くて「うーん」と思ったりもしつつ、しかしやはり音楽のもたらす力にほんわかぱっぱするのでありんす。

プレイリストを見せ合うところとか、音楽を使った胸キュン描写は本当に上手いですね、ジョン・カーニー。

あと音に対する音の描写というか、クラブ?の中にいるのにイヤホンから流れる音に合わせて踊る二人のシーンは「シング・ストリート」において自分を取り囲む劣悪な家庭環境が発するノイズ(音)をかき消すためにヘッドフォンで音楽を聴くのと同じで(ニュアンスは違うけれど)、一貫しているというかなんといういか。

せっかくの映画出演なのにディスられるアダム・レヴィ―ンに吹き出したり。

ジョン・カーニーの映画は路上音楽というところで通底しているものがあって、それは要するに産業としての音楽へのカウンターとしてありつつも、マーク・ラファロのことを考えるとスタンスは割と中庸なのかもしれない。しかしキーラ・ナイトレイのバンドこそが路上での録音など行っていて、それに対して彼女たちと相対(敵対ではなく)しているアダム・レヴィ―ンのアルバム名が「オン・ザ・ロード」というのがもうアダム・レヴィ―ンの不憫なことよ。ラストも含めて。

まあ誰に向けている歌か、というのを一瞬で判断するあたりの凄まじい恥ずかしさ(ナタリー・ポートマンディオールのCM見てるような)があったりするんですけど。

でもいい映画ですこれ。エンドロールまできっちり楽しませてくれるし。

しかしラファロにけんゆーさんって組み合わせ珍しいような。

 

「ボン・ボヤージュ 家族旅行は大暴走」

楽しい映画、という意味では「ピーター・ラビット」と同じくらい笑いました。

登場人物が軒並み問題を抱えている人ばかりで、行動という行動が悪手になってどんどん事態が悪化していくコメディ映画なんですけど、あの車の撮影って結構危ないはず。下手なアクション映画よりもカーアクションがあるという、なんかこうバスター・キートンとかあの辺に先祖返りしている感すらある。

マイケル・ベイのテンションで「パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト」風味というか。

いや本当に。ボウガンの矢が特に悪いことをしているわけではない人(やや語弊はありますが)の足に刺さったり、車内でゲロを吐く人がいたり、その辺を惜しげもなく見せてくるあたりは邦画では見られませんからね。そもそもあのカーチェイス撮るのも不可能でござんしょ。

フランス製の映画というとどうしてもアート寄りを想像しがちですが、こういうコメディ映画もコンスタントに撮れる裾野の広さがあるというのはうらやましい限りでございますな。

 

「ぼくたちの家族」

町田くんの世界」を劇場予告で観て「おや、これはどっちに転ぶんだろう」と期待と不安入り混じる感覚で二の足を踏んでいたのですが、「ぼくたちの家族」を観るとイケるような気がしてきました。どうしよう、観ようか観まいか迷う(6月11日現在)

序盤の色彩の暗さ(あれほとんど室内撮影のときって照明使ってないんじゃないですかね?)は「おいおいアマゾンズか」と思うくらい彩度が抑えられていたり、些細ながらカメラを揺らしていたり、やや遠目からのアングルだったり、その辺はむしろ露骨というかオーソドックスな観心地すら感じるのですが、細部に拘っているのは好印象。

中華料理屋での親父の振る舞いとそれを宥める妻夫木君の居心地の悪さは笑えるくらい身に覚えがありますし、母親の病状を察している二人に対して能天気で無思慮な振る舞いで料理やに入ってくる池松くんとか、あの辺の観てて居た堪れない描写の実在感は良い。

キャラクターが一面的でないのが世に蔓延るこの手の映画と違うところで、それがこの映画の魅力であるといっていいでせう。ある人物に対するある人物の好悪のスペクトラムな思いを、物語の展開の中で描いていっている。
たとえば池松くんが当初は黒川芽以に「妊娠3ヶ月なんだから来れるでしょ」というややキツい(正論と言えば正論なんですが)評価を下していて、彼女と妻夫木くんのやりとりの中で「ああ、そういうこと言われても仕方ない女かも」と思わせつつ(なんたって一人称が自分の名前で、「こんな体じゃいけないと思う→でももしものことがあればみゆきちゃんと行くから」という弁明。のちの展開を見るに偽りではなかったわけですが)、しかし「自分の家族」を守るということで考えれば全く責められることではないというバランス感覚。
実際、彼女はそういう義母に対して冷酷なわけではないという描写もあります。お金のところで急に敬語になったりするのとか、確実に性格ブスな一面はあるでしょうけどね!(誉め言葉)
しいて言えば、そこまで意固地に妻夫木君側の家族を批判して「私は自分の子にお金のことで苦労させたくない」と台詞として言明させるのであれば、ほんとに少しでいいのでお金で苦労した経験みたいなものを描いた方が説得力はあったのでは、と思わなくもない。というのも、彼女側の家族は1シーンしかなく、そこでは特に問題があるようには描かれていないからなんですよね。それを入れたら入れたで臭くなりそうではあるので難しいところではあるんですけど。

で、紆余曲折を経て彼女が病室に来て5人ではなく6人が一堂に会してからの「ぼくたちの家族」というタイトルが出てくるあたりの「グラビティ」的な演出で終わる締まりの良さもいい感じ。


このタイプの映画にありがちですが、物語的に大きな起伏があるわけではない(病気発覚、借金発覚と台詞上ではあるもののそれによって生活が一変するとかそういうわけではない)ので、そこをどう見せるかというというのが監督の腕の見せ所だと思うのですが、この映画で言えば間違いなく役者の力に大部分を依拠しているといっていいでしょう。
や、もちろん人物を描くにあたって池松くんはスマホなのに妻夫木くんはガラケー(このあたりのひきこもってたが故の時間の停滞感というか)だったり、その二人の通話シーンから親父の電話シーンに繋ぐ家族の描き方とか、その辺はしっかりしているんですけど、それもこれもやはり役者の力だと思うんですよね。
それくらい役者がすばらしい。

長塚京三の頼りない父親の顔面力や原田美枝子のすっとぼけた演技(叫ばせるのはやりすぎではと思いつつ、認知症のうちの祖母は嫌なことがあると奇声を発したりするのである意味でリアルに見えるのですが)は言わずもがな、何といっても妻夫木くんと池松くん。

特に妻夫木くん。母親の病気が発覚した直後あたりの、あの髭の絶妙に剃り残しがある疲労感ある顔だったり、「全力で笑ったところがイメージできないよぉ」と思える元ひきこもりという設定に迫真さを持たせる表情だったり。あの卒アルの陽キャとは思えない陰々滅滅とした人物になっていてちょっと驚きました。一瞬、山中崇の顔に見えるときもあったり、ウォーターボーイズからこうなるのかと思うと感慨深い。

また池松くんって決して演技の幅が広いわけではないと思うんですけど、毎度のことながらキャラクターの実在感を持たせる喋り方とか間の取り方とか上手いです。朝の占いに感化されて黄色の服着たり番号札観ていい感じの表情したり、新しい病院での判断を聞いた直後に手すりをとんとんやって嬉しそうに廊下を歩ていたいり、ああいう描写も割と好ましい。

あんなちょい役で市川実日子を持ってくる采配。あの市川実日子、個人的には市川実日子史上(そんなにこの人のこと知らないけど)で一番好きかも。「シン・ゴジラ」のよりも。
あとユースケ・サンタマリアの上司もいい人でね~。外回り扱いにしといてやるって気遣いを見せつつ、妻夫木君に気負わせないように「その代わりキャバクラに付き合えよ」という行き届いた気遣いをしてくれたりね!


細かいところだとインフォームドコンセントどうなってんのよ、と思ったりしたんですけど、再序盤の山々に囲まれた風景を見る感じ(あの似たような屋根が立ち並ぶ住宅街のサバービア的な地獄を想起してしまうのは私だけでしょうか)、割と田舎っぽい場所でありそうですし、ああいう病院の医者というのもいるのかなぁ。山梨県上野原市と神奈川の相模原、あとは原作者の地元で撮影したということですから、なんとなく納得。
とはいえ、医者に対する描き方も一面的ではない描き方をしたかったのかなぁと後半の展開を観るに思う。
まあ、だからというか、病気も含めて「~のための」描き方みたいに見える部分がなくもない(「500ページの夢の束」的な障害としての障害というか)んですけれど、良い映画です、これ。

本編とは直接関係ないですけど、問題は山積みなので「これからが本当の地獄だ…」と考えられなくもないので、ハッピーエンドとは言い切れないかもです。

 

「ワンダー 君は太陽

登場人物、全員善人。

いや、善人なんてものも悪人なんてものも実際はいないんじゃないかとも思いますけど。

しかし危ない、劇場で観てたら間違いなく泣いてた。まあ泣ける映画が良い映画とかってわけではないんですが、まあ泣いてたはず。ちょっと出木杉な気もしなくはないけれど、あれくらいやってくれなきゃね。

正直オギーくんの顔はむしろこう、猫っぽくて中途半端に可愛い気もするのですがどうでしょう。わたしだけでしょうか。

モンタージュでいじめられてたり、写真撮影の時にスッとよけられたり、何気ない描写が辛い。SW好きにしか通じない、暗号化された厭味とかもね。とはいえ、あの作風で描ける「程度」というのは多分あったのだろうなという意識を感じなくもないのだけれど。

姉ちゃんがせっかくマミーと良い感じになったところでオギーのことで呼び出されれおしゃかになってしまったりするあたりも、なんだかあまり他人事と思えない。

あとはまあ変身論というかコスプレ論みたいなものを展開してヘルメットのくだりについては色々と言いたいこともなくもないのですが、あまりうまく広げられる気がしない割に文字数多くなりそうなのでカット。

仲がいいとこっちが思い込んでいた相手が、実は本人がいない(と思い込んでいる)ところで悪口言うところね。あれ、私にも身に覚えがあるので他人事ではないのでげすけど、どうやって心理的に折り合いをつければいいのかわからなくて困るんですよね。まあ、この映画には向こうの視点があるのでアレですが。あの描き方だとちょっと言い訳がましく見えるんですけどね、メタ的に。

ゲームを通じての謝罪、というものを肯定的に描いているのも個人的には溜飲が下がるというか。面と向かって、というのがどうしても難しい場面ってあるはずだし、ワンクッション置くことでそれを可能にさせるのであれば、テクノロジー万々歳だと思うし。

 

原作の続編?だとジュリアンやシャーロットに焦点を当てているというのを聞いたのですが、「ワンダー~」の複数のキャラクターの視点ということも含めて、なんというか時代の流れを感じますね。

もちろん、現実としてはそれは極めて重要なことではあるんですけど、描かることで抜け落ちてしまうものもあるので、その辺はバランス感覚なのかな。

 

すごいどうでもいいことなんですけど、キノフィルムズってこういうタイプの映画の配給するの好きですよね。私が当たったキノフィルムズ配給映画の試写会が「凪待ち」「500ページの夢の束」そんでもって「ワンダー 君は太陽」ですからね。いや、サンプル3つしかないんで単なる経験則でしかないんですけど。

 

 

あとオーウェン・ウィルソンの顎ね。あの人の顎ってなんか独特で、あの人が喋って顎を動かしているのを観るとなんかすごく不思議な気持ちになる。独特なチャームがある気がする。

 

「Fire(PoZaR)」

デヴィッド・リンチの短編映画。映画っていうか、映像?

渋谷のGYREで開催されていた「デヴィッド・リンチ精神的辺境の帝国」展にて公開されていたものなんですけど、ほかにも展示があったり吹き抜けのオブジェがすごかったり、展示物は少ないながら見ごたえはありました。あと、小屋の中で映像を観るということを含めての作品であるので、動画だけ観ても同じ印象を受けるかというとちょっと違うと思いますです。

ところで白状しますとリンチ作品は一つも観たことなかったりする。

なので観たまんまの印象を書くしかないのですけれど、あの撮影ってどうやってたんでしょうか。なんか、背景が常に動いていて、それをそのまま撮影しているような感じだったんですけど。というかアニメーションのFPSが4Kみたいだったりしたんですが、あの辺はなんというかリンチというよりもアニメーションを担当したNORIKO MIYAKAWAさんの色が強いのかな。というかIMDB観るとツインピークスやインランドエンパイアのアシスタントエディターやってたりするので、アニメーターってよりは知己の編集者さんって感じかな。

リンチのドローイングを動かしているだけと言えばそれだけなのですけれど、しかしあの絵のおどろおどろしさは中々どうして目を引き付けられる。

あの鹿っぽくもカラスっぽくもある集団の動きや、黒い雨のようなものが降りだすと燃え出す家(?)と木など、なんとなく同展示の写真に収められたものと合わせてみると都市というかインダストリアルなものへの思いみたいなものを感じる。

この作品について、ちょっとしたサイトがあったので(英語だから完全に理解してないけど)一応参考までに→(https://letterboxd.com/film/fire-2015/

 

 

「張り込み」

 これすごい面白いんですけど。

冒頭の牢獄からの脱出シークエンスで一気に持っていかれた(なんか警備がちゃんとトラックの下を確認するのとか、「正気のを薬漬けにするのが医者のすることか」という発言とか、妙にリアリティがあったりする。この冒頭の脱獄シーンがスピーディな上にかなりシリアスムードなもんで(タイポグラフィーがほのかにブレードランナーっぽい)、このまま彼らを主人公に据えてシリアスな感じでいくのかと思ったんですが、全然そんなことはなかった。

すぐに彼らを追う刑事側に視点が移って、彼らが主役であることがわかるわけですが、冒頭のシーンに反して映画全体としてはどっちかというとコミカルなんですよね、この映画。

ジョン・バダム監督ってバディものが得意なんでしょうかね。いや、「ブルー・サンダー」しか彼の監督作は知らないので(有名どころは「ウォー・ゲーム」なのでしょうけど)何とも言えませんけど、あっちも割とそういう要素が強かった気がする。

 

これ、脚本が結構凝っているんですよね。実に自然に物語が有機的に絡み合っていくんですが、それが厭味ない笑いに繋がっていって本筋に絡んでいくという。

あとキャラクター造形が良いんですよね。クリス(リチャード・ドレイファス演)は彼女に振られたばかり(カーテン持ってかれてるのが笑える)で愛飢男状態なのに対して相棒のビル(エミリオ・エスぺデス演)はできた妻がいて、うまい具合に対比になっているし。

それがただ「キャラクター」というものにとどまるのではなく、そういうキャラクター性がちゃんと各々の行動原理だったり物語の進行に繋がっていくわけなんですよね。ビルは慎重でクビを恐れて踏みとどまる場面がある一方で、クリスはイケイケどんどんでどうどう行動に移していくタイプで、映画を牽引していってくれる。

あるいはいい感じに人好きのする厄介な張り込み仲間の同僚(フォレスト・ウィテカー!)チームとのやりとりなんかも、張り込みであるがゆえに単調で同じような場面が続くにもかかわらず退屈しない。ああいうユーモアやジョークを体制側であるはずの刑事の連中がやる、というのがまた良いんですよね、人間的で。トイレットペーパーはともかく冷蔵庫にうんこはやりすぎな気もしますが。

ちょっと「裏窓」感もあったりしますし、張り込みシーンは。

そしてマデリーン・ストーが可愛エロい。 エロさよりも可愛さが先に立つという、独特な味を出しているのがかなりポイント高い。しかしどこかで観たことある顔だなぁと思ったら「12モンキーズ」に出てたんですね。まあちょっとジュリアン・ムーアあたりの顔と似ている、というのもデジャブの要因だと思いますが。

 

あと魚の降ってくる中での殴り合いとか、丸太に溺死させられたりとか、ああいう面白いシーンが結構あったりするのもいいですよね。

なんというか、色々ひっくるめて割と「ダイ・ハード」的な面白みを感じたのですが、自分の感覚がおかしいのだろうか。

 

「張り込みプラス」

うえきの法則並みの続編タイトル。うえきの方が後なんだけど。しかしBSプレミアムはこういう憎いことをやってくれるから侮れない。

冒頭から大爆発で笑っちゃったんですけど、サービス精神が旺盛で非常によろしいことだと思います。

そこからのセルフオマージュもまあよござんす。

ただ、意外と話自体は結構違うんですよね。1作目は言うなればクリスがスタートラインに立って終わるわけですけど、2作目ではそのスタートが失敗してしまったところから始まる。というか、正確にはスタートしていなかった、という話なんですけど。

これって実は1作目で明言されていたクリスの女性関係が結婚に踏み切れない理由としての証左にもなっているんですよね。

で、しょっぱなからマリア破局してしまうわけですけれど、そのよりを戻すために2作目で何が描かれるのかと言えば疑似家族の形成なんですよね。

そうして疑似家族を体験し、その呪縛を経験したうえでマリアの元に戻ってくるという綺麗な着地をする。

細かい笑える部分も相変わらずあるので、綺麗な2作目としては「ターミネーター2」に匹敵するのでは。言いすぎか。

 

悪いことしましョ!(2000)」

前に冒頭部分だけちらりと観たことがあったなぁと観返しながら思い出す。

ハムナプトラ」の直後でブレンダン・フレイザーの全盛のときでしたか。なんかこの人ジム・キャリーと被るんですよね、出てる作品のタイプとか。

最近はあんま観ませんね、しかし。

この映画もなんだかいまいちパッとしない感じで、午後ローでながら見するくらいがむしろ正しい姿勢のような気もする。

全然キスしないところで笑って実はゲイってオチで二度笑いましたけど、それくらいですかね。

いや、別に悪い映画ではないですけどね。収まるところにピッタリ収まるというか、見事に紋切り型から逸脱しないというか。

 

「スノーデン」

さすがオリバー・ストーン

上官が実はデカい画面でのテレビ通話だった、という演出。欺けていたと思っていた相手が思っていた以上に巨大で厄介な相手だったという映像的演出に脱帽。ここでリンゼイのことも知っているということを示したり。

ルービックキューブで上手くデータを外部に持ち出してからのジョセフ・ゴードン・レビットの笑顔と影と強烈な光の演出。

最後の最後にスノーデンがスノーデンになる演出も憎い。 

ただこう、映画そのものが際立ちすぎて逆にテーマ性みたいなものが相対的に希釈されているような気もする。それは映画にとっては素晴らしいことなのだけれど、しかし作り手の本意からは離れてしまっているのでは。

いやね、まったくそんなものはこの映画の価値を損ねるようなものではまったくないんですけど。

 

デスノート(2017)」

一度書いたんですけど、間違って更新かけてしまって「デスノート」の部分だけ消えちゃったよ。もう一度書き直すの面倒なので一言で集約すると「糞ダサい」。

まあ、そのダサさを肴に盛り上がることができるという意味では「デビルマン」「ドラゴンボール エボリューション」と同じ系譜であるとは言える。

 

「テスト10」

B級映画としては中々楽しめる良作。

治験、というのも中々ない設定ではありますがこの手のジャンル映画の導入としてはかなり自然ですし、何気に序盤の会話が後の展開の伏線になっていたり(プラシーボ効果のくだり)、首ちょんぱシーンをしっかり見せてくれたりとサービス精神もある。

再生力のせいで銃弾が体内に残ったまま摘出できず死んでしまう、というのも中々面白いギミックではありますし。無限の住人とかで似たようなのがあった気もしますが。

まあ、特殊部隊のムーブとか全然プロっぽさがなかったりはするんですが、何気にジュリア・ロバーツの兄のエリック・ロバーツが出てたりする。

ラストのオチの雑さ(っていうかテキトーさ)とかも、いい具合にB級映画な佇まいなのもポイントが高い。

 

パディントン2

さすがモンティ・パイソンの国。ってこれもキノフィルムズ配給なんですね。

イギリスの風刺精神は流石。

それにしても、今見るとパディントンって明らかに移民のメタファーの上に、これちょっと発達っぽいところがありますね。其のうえ愛くるしい熊ですよ。属性持ちすぎですよもう。

牢屋のくだりは「ショーシャンク~」的であったり。ここの牢屋の色彩設計とデザインが結構秀逸で、特別暗いわけじゃないんですけど、どことなく閉塞感が漂っていて、そこに囚人たちが整列しながらぞろぞろと並んで歩いていく動きというのうが「(外圧によって)能動的に統御されている被抑圧者の動き」を体現していて、この動きと背景のセットによってすさまじいディストピア感が醸し出されている。

このディストピア感は絶対に意図しているでしょうね。パディントンの独房(?)のデザインなんかまんま「未来世紀ブラジル」の仕事部屋のようですらありますし(まあ、単なる逆輸入でしょうけど)、あるいはプリズンだけではなく台詞で示唆される競争社会の原理に対する批判や「モダンタイムス」パロなどなど。

ともかくゲイリー・ウィリアムソンが良い仕事してくれてます。

そしてカメオ出演するバンブルビーくん。

「ピーター・ラビット」もそうでしたけど、可愛さの皮を被ったブラックな作品でござんした。いやぁ面白い。