dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

秩序は人間の尊厳を脅かすのか

時計じかけのオレンジ」と似たようなテーマといってもいいかもしれない。あそこまで露骨(というか露悪?)ではないにせよ。
コミュニティ内の平和と秩序を優先することとそのコミュニティを形成する個人(要素)の自由とのコンフリクト。まあ平和と秩序といっても表面的なものでしかなく、そもそもそれが完全に達成されること自体が仕組みとしてありえないわけで、社会システム論的な命題を要素としての個人を優先した映画というべきか。

まったく事前知識なく観たんですが、作りが割としっかりしているというか気が利いていました。マックが最初の方に行うある未達成の行為をチーフが継承して行うのとか。実は境遇からして二人は同じだったというのが中間で明かされてからの「最後のガラスをぶち破れ~」ですからね。
 にしてもジャック・ニコルソンですよ。この人は本当になんか気が狂ってそうな感じがして怖い。本作の舞台は精神病院なわけですが、ニコルソンが演じるマックは狂人を装って精神病院に送致されることで刑務所の強制労働を逃れようとしている、いわば健常者なわけです。が、ほかの精神病患者の役と並んでも遜色ない。といっても、ほかに比べると明らかに自我がはっきりしていますし話が通じる(それでも隠しきれないヤバさ)ぶんそこまで病的な振る舞いがあるわけではないんですが。遜色ないというか、馴染んでいるというべきでしょうか。

社会的規範にならえば悪とされるマックですが、しかしそれが精神病者たちにとっては救いの手であるという葛藤。矛盾ではなく、あくまで葛藤だとわたしは思いますが、そういうのを感じさせないくらいこの映画はマックを生き生きと描いている。
だからこそ柵を乗り越えてみんなを釣りに連れて行くシーン・釣りをするシーンはとてつもない開放感がある。
この直前のバスのシーンでマックが連れてきたキャンディがバスに乗った精神病者たちを見て「YOU ARE ALL CRAZY?」と言うわけですが、ここを「みんなお仲間?」と訳す字幕のセンスも中々イケている。
ただ、後半になっていけばいくほど辺の秩序と個人のバランスが絶妙に均衡してくるように思える。そもそも、婦長を明確に悪としては描いていないところからも、ミロス・フォアマン監督は単純な二項対立の図式ではあっても簡潔な善悪として分けているようには思えないのですよね。

確かに婦長の強権的な振る舞いによってマックが可愛がっていたビリーが自殺するとはいえ、そこにはマックの行動の結果が大きく起因している。それに、少なからず悪い結果になることは予期できたはずだし。それを棚に上げて婦長を絞め殺そうとする(ニコルソンだからこそこの辺に説得力がある)わけで、その憤りに共感は出来ても体制下に生きる我々にはマックに対する疑念や恐怖といったものを少なからず抱いてしまう。

だから、ロボトミーには悲しさや落胆みたいなものと同時に「そりゃそうなるよね」とも思ってしまう。それを最後の最後にそれまで自発的に行動することなく、いざというときに慄いてしまっていたチーフが「最後のガラスをぶち破れ~」となるからテイバーと観客の心は一体となり叫ぶのですよ。

 

雑ソウ記のほうで書いたのは、このニコルソンの行為すら精神病院側が許容(ことによっては歓迎すら)してしまう気持ち悪さにあると言っていいかもしれないなーと書きながら思った。

 

ま、現実問題としてどちらが悪いとか良いとかではなく、バランスの問題だとは思いますが。大空レイジが言うところの「右でも左でもなく真ん中が一番良い(意訳)。どら焼きだってサンドウィッチだって真ん中が一番おいしいだろう(直訳)」理論はつまるところ中庸ですし、個人的にはこれに賛同。もっとも、アバさんは「中庸は現実の前に無力なんだよ」と仰っていましたが。

あとDVD特典のギャラリーで映画化にあたってのダグラス親子の偶然とか、ロケ場所の病院の話とかキャストが事前に3ヶ月ロケの病院で生活したとか、そういう話があって結構面白かったです。

 

それと先月の13日に監督が亡くなっていたようですね。だからなんだという話なんですが、つい数日前まで生きていた人の映画を観たというのが妙な気分であります。

 

R.I.P