dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

2020の2月

「オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主」

死者を見ること、それを受け入れることの断絶。

イェルチンがこの役、というのが今観ると泣けてくるというか、慰めになるというか。

 

 

「エアポート75」

あんまり派手な絵は無いのにしっかりどっしりしている。

 

「ナビゲイター」

アランシルベストリとはまた豪華な。

鉄道の線路を往復するリフレインが好きなのだけど、これってフェチなのかしらやっぱり。

なんというか、いわゆる一夏の思い出みたいな、ふとしたときに思い返すようなそんな名残のある映画でしたな。

 

「特捜部Q 檻の中の女」

音がきついです。なんかドラマっぽい。

 

「アビス 完全版」

だいぶ昔に通常版を観ただけだったので記憶がかなりあいまいだったんですけど、ここまで露骨に「2001年~」オマージュがあったっけ、と。

しかしこうやって見るとキャメロンってSF作家というよりもかなり男女のロマンスを重視する監督なんじゃないかしら、と思えてくる。

ターミネーターにせよアビスにせよアバターにせよ、そもそもタイタニックなんてど派手な絵面以外はそういう男女のロマンスというかイチャイチャでもたせてるようなものですし。

そう考えると、この人って結構フェミニズムと親和性がありそうな気がするんだけど、どうなのだろう。

しかし波の表現がいい。

 

戦場のピアニスト

きっつい。BGMがほとんど響かず、ときたま聞こえてくる音楽は戦火の音に瞬く間にかき消される。かと言って徹底してBGMを排しているのかというと、そういうわけでもない。それは劇中で流れる音楽のあわいに流れる些細な音でしかない。けれど、それは多分ノードなのだろう。シュピルマンの生を繋ぐための。

彼の依って立つ音楽なるものは鉛と火薬が奏でる巨大で強大なノイズによて容易くかき消される。なにせ、そのシーンからこの映画は始まるのだから。

「戦場」の「ピアニスト」。これほど合致しないものもそうないだろう。それは戦場においてピアニストという存在の無力を徹底する。シュピルマンは何一つとしてこの映画で活躍することはない。ただひたすら状況に翻弄され続け流されては救われていくだけだ。いや、正確にはラストシーンも含めて二か所あるのだけれど、あれは音楽の力がもたらしたものなのか、それとも諦めがもたらしたものなのかが実は巧妙に分かりづらく描かれていたりするのではないかと疑っている。

彼の無力はいとも容易く射殺されていくユダヤの人民たちの質量感や地平線まで続く廃墟のアーチの無限と錯覚する遠大な荒涼さによって裏打ちされてしまう。

 

すぐそこに首をもたげて横たわる「死」。生活と地続きのいつ訪れてもおかしくない「死」。ユダヤの民がこれほどまでに恐ろしい状況下にあったことを、この映画は強制収容所などといった巨大化した固有名詞を引用することなく、日常の中に死を潜ませる。それはほとんど「さよなら、人類」における強制収容所の悪夢のシーンを想起してしまうほどだった。

 

ことさら強調することなくに描かれる「死」。そこから生還した末に描かれる盤を打鍵する指の動き。

不動の「死」に対し流動し続ける「生」。

描かれる「死」があまりにも重すぎて「生」が押し負けていると思いますよこれ。

 

バッド・ルーテナント

そういえばヘルツォークの映画をまともに通して観るのこれが初めてだった。

これ一応フィクションですけど「日本で一番悪い奴ら」のような実録ものが日本にあるのにアメリカでああいうことがない、なんていうことはないわけで。

ニコラス・KGの過剰演技と相まって(どうでもいいですが和製ニコラスといえば藤原竜也が思い浮かぶ)爆笑ものでした。

私からすればあれはほとんど非日常の領域だし、警官とか軍人とかいった暴力(とりわけこの映画では。というかアメリカ?)と近接している職種の方々にとっても、あれはほとんど非日常なのではないかと思うのだけれど、ことこの映画のテレンスを見ていると日常と非日常の垣根が融解・・・というかインビジブルになっているのではないかと思う。

それはドラッグによる精神作用でもあるだろうし、きわめてマッチョイムズの蔓延するあの世界に適応せんがための精神的な負荷のせいでもあるだろう。というか、だからこそのドラッグなのかもしれないけれど。

さきほど例に出した「日本で~」の綾野剛にしたって、その一線を踏み越えることには自覚的だったし、まあなんでもいいけど「トレーニング・デイ」にしたってあれはイーサン・ホークという他者の視線を取り入れることでデンゼル・ワシントンがいかに非日常的存在であるかということを自覚させる作用があった。

んが、この映画ではそういった垣根を意識させるようなものが一見するとほとんどないように見える。

ともかく、悪徳を実践する中で、あらゆるボーダーが彼の中で見えなくなってきているのではないか。

署に賭博で儲けた金を持ってこられるシーンなど、それがテレンスの意思によるものではないにしてもほとんど狼狽などもせずに受け取るあたりなど目を疑う。

そこにくると、この映画で印象的に使われる爬虫類と魚類たちは何なのか。やすっぽいハンディカムで撮ったようなイグアナしかり冒頭の蛇もしかり。まあキリスト教的に言えば爬虫類というか蛇なんていうのは悪の暗喩であるし、魚はキリスト教にとって重要なシンボルであるわけだから、あのラストを見ればわかるように善なるものとして見れなくもない。

一人の人間が善悪を日常と非日常をボーダーレスに往来すること。そこには一切の間隙が存在しない無秩序な混沌が渦巻いている。

それは安らぎが彼の魂に安らぎが存在しないということ。そこまでさんざんハイテンションなテレンスが、ラストカットにおいてのみ静寂を得ること。

そのわずかながらの安寧=救いも、しかしニコラスの顔面や僅かな挙動が混沌への回帰を予感させる。

 

要するに躁なニコラスくんがラストで一瞬だけ落ち着いたという話です。

 

「X-メン ダークフェニックス」

いよいよジェシカ・チャスティンが人間をやめてしまった・・・。

これまで「モリ―ズ・ゲーム」や「ゼロ・ダーク・サーティ」において非人間化されてきた彼女が文字通り人間でなくなってしまった、という意味では記念碑的な映画でありましょう。

メイクのせいか、というか人間でないことを表しているのかどうかわかりませんが、非常に魅力の薄い顔でございまして、そこがまた非人間である彼女にとっては実は幸福な作用をもたらしているのではないかという気がしなくもないのですが。

まあ、それなりに楽しめはしました、はい。

 

ソウル・キッチン

雑貨屋みたいであのキッチンの空間がたまらなく好きなのでっすが、なんだか妙なテンションの映画でございます。

 

「スモールソルジャーズ」

うーん。こんな感じでしたっけ?

さいころに観たときはもっと超楽しい印象があったんですけど、なんか思っていたほどでもなかった。思い出補正なのだろうか。

ジョー・ダンテなので相変わらずブラックな感じだったり本気で怖い部分だったり、というのは一貫している。

しかしコマンドー連中ばかりにスポットが当たっていてほとんどフリークス連中に時間を割いていなかったりするのが、今見るとすごい奇妙なバランスに見える。

おもちゃ屋の店の名前といい、どことなく自己言及的でもあるんですよね、この映画。

 

ウイラード

なんですかこれ・・・いや本当に何なんですかねこの映画。

世にも奇妙な物語にありそうな、しかしここまで極端なバランスというのもそうはない気がするのですが。

しかしやっぱりなんだこれ。

なんか「銀河ヒッチハイクガイド」みたいなネズミの扱い方。

主人公の境遇を考えると、あれくらいの増長は許してやってほしくもないのだけれど。

あとボーグナインが久々に観れてよかった。あの人好きなんですよね、個人的に。

 

ザ・ファーム 法律事務所

面白い。いやほんと、これ面白いです。

こんなアクション性の薄い映画なのに走らされるトムクルーズ

音楽も良いし、ちょっと長いけどゲームものとしてはかなり面白い。

 

チェンジリング

なんか観た気になってたけどまったく観たことなかった・・・。

いやしかし凄いですねこの映画。

いろんな問題を孕んでいるのですが(アンジーの息子だけでなく、この映画内で描かれる児童「へ」の描写、公権力の腐敗とそのアンチとして浮上する臭いを放つ「オウム裁判」に似た問題、ミソジニーガスライティング・・・etc)、何よりアンジーの迫真の演技に魅せられる。手の震えのマジっぽさとか、放水シーンとかもそうですけど。

あとは「ダークサイド・ムーン」を昨日観返していたばかりだったのでマルコヴィッチのマジ顔のギャップに変に笑えてしまった。

まあイーストウッドなので相変わらず泣きはしないんですけど。

余談ですが頭に電気を流すあれ、私は実際の現場を一度観たことがあるのですが、もっと体が勢いよく「バツンっ!」って感じに軽く撥ねるんですよね。

あれを意識があってなにも脳の器質に問題がない人にやる、物理的というよりも心理的なダメージの方が。どうも部外者から見るとアサイラムって治療するよりもむしろ積極的にトラウマを植え付けにいっているようにしか見えないんですよね・・・最近の精神病院はもうちょい明るい雰囲気ではありますけど、地方に行ったらああいうのがごろごろあるのだろうなぁ・・・。

 

ファイト・クラブ

吹き替え初めて観たんですけど良いですねこっちも良いですね。

しかしこの映画を公開当時から称揚していた連中は現状を見てどう思っているのだろうか。

 

「ダラス・バイヤーズ・クラブ」

ウッドルーフは生きることに怠惰だったわけではなければ怠惰に生きていたわけでもない。ただ生(性)を貪っていたにすぎない。

だからこそあそこまで生き延びることができたのだろう。

 

メン・イン・ブラック インターナショナル」

妙に脚本がごたついているなーと思ったら製作段階でトラブルがあったんですね、これ。

日本公開時でのプロモーションではまったく感じさせないあたり日本の配給と広報はある意味で有能なのかもしれない。

MIBシリーズでは一番退屈でした。もったいない。

 

「アンノウン」

ジェイソンボーン系の映画では割と成功例ではなかろうか。あほっぽいところも含めて。しかしニーソンというだけでもう笑えて来てしまうくらいニーソンなのですが、ニーソンはセガールみたいな路線にでも行くつもりなのだろうか。

いや面白いんですけどね、それはそれで。

 

「海辺のリア」「裏切りのサーカス

なんか、前者はもはや仲代達也の仲代達也による仲代達也のための映画・・・もとい舞台といった趣。望遠も、奥行きを感じさせない画面構成も、1カット当たりの長さも、何もかもが仲代達也のナラティブに貢献している。

仲代達也の演技が凄まじすぎる。やばいです。

で、後者も後者でイギリスのおっさんおじいさん名俳優が雁首揃えてモグラ炙り出しとかなんかもうそれだけでおなか一杯。トム・ハーディの絶妙に似合ってない金髪もあれはあれで面白いのでよし。