dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

2連続

「ミッドサマー」と「黒い司法」を連ちゃんで観賞。おかげで感情が疲弊しますた。

 

アリ・アスター監督の噂自体は「ヘレディタリー」の時点で耳にしていたのですが、結局未だにそちらは観れておらず、「ミッドサマー」が初アスター作品だったわけですが・・・。

気持ち悪い映画でございますね、これ。いや本当、「ヘレディタリー」もこういう感じなのかしら?だとしたかなり食指が動くのですが。

ていうかこんな作家性が強くて強烈なグロ(狭義にも広義にも)映画がシネコンにかかっているというのがすでに気持ち悪いのですが。これ完全にミニシアター系でかかってるような気持ち悪さなんですけど。あとこのゴアの感じはヴァニラ画廊にありそうでもあり、やっぱりマスを向いた映画という感じがしないのですが。

 

ともかく画面が気持ち悪いです。

カット一つあたりの長さとそれに連なるカメラワークの肌にこびりつくようなのっぺりした感じ(曖昧)。なんかしっかり叫ばせずにカットいれるのもなんか気持ち悪いし、最序盤での異様にダウナーなライティングに反してあの村では白夜という常に日の光が注いでいるという、自然の持つある種の気持ち悪さもそう。あの序盤の暗さはダニーのメンタルのアレゴリーとして機能しているはずで、にもかかわらず半ば強制的に日の下に晒され明るく染め上げられるという不一致の気持ち悪さ。

都度都度シンメトリックな画が登場するのに、そこはかとなく左右対称がズレていたりする(スタンドライトの向かって右側の頭が若干もたげていたり)のも気持ち悪いし、会話のシーンにしても二人を画面に収めたりカット割ったっていいところでわざわざ鏡とかテレビ画面とか使うし。

ともかく、そういう「なんだか生理的に気持ち悪い」を詰め込んだ映画でございまして・・・ゴアな表現も耐性がない人にはかなりきついであろうシーンも多々ありますし、かと思えば笑ってしまうシーンも多々ありまして(交配儀式シーンとか熊の着ぐるみかぶらされて生きたまま焼かれるという、ともすればギャグにしかならないシーンなどなど)、そういう「笑ってしまう」ディテールというのもなんだか気持ち悪くて、とにもかくにも気持ち悪い映画でございまする。

ある年代の日本人的な感覚でいえば「まごころを君に」の、こっちとあっちの見解の相違もとい断絶が生み出す気持ち悪さ、とでも言いますか。

なんでテーブルに並んでる食事が蠢いているんですかね、ピント合ってないしぃ。花の鎧(語彙喪失)を引きずるピューの絵面のばかばかしさとか、聖典が安置されている建物のデザインとかとか・・・。

気持ち悪いディテールを一つ一つつぶさに上げていったら枚挙にいとまがない。伏線もしっかり張ってたり抜け目ないところもあるし。

 

しかしどことなく既視感を覚えたりもする。崖のシーンのワンカットなんかは明らかに黒沢清の影響だろうし、ドラッギーなシーンもどことなく見覚えがあったり。

 

ともかく異様で気持ち悪い映画でした、「ミッドサマー」。まあ、切ない話でもあるんですけど、初見だとそういうものより絵面のインパクトががが。

とか書いてて思ったんですけど、これ(ディス)コミュニケーションの話なんですね。

あ、パンフの装丁は凝っててよかったです。

 

それに比べて「黒い司法」の何と人に寄り添った分かりやすい映画であることか。

泣いてしまった。元々涙腺が弱いというのもあるのだけれど、これは泣く。

監督のデスティン・ダニエル・クレットンについては全く知らないのですが、この映画の前から評価されている監督だったのですな。

これまでの作品の感じから、マイノリティ(と呼ばれる)人を起用し寄り添った映画を作っているようなので、その文脈ではわかりやすい。ブリー・ラーソンマイケル・B・ジョーダンというとミーハーな私はMCUの被抑圧者イメージの文脈から起用したのかと思っていたのですが、デスティン監督の初期作からラーソンは主演を務めていたりするので、MCU文脈はあんまり関係なさそうです。早とちりはいかんですな。とか思ってたら「シャン・チー」の監督やるらしいし、やっぱりMCU文脈あるじゃんすか!

でもMCUってことはアクションシーン多めになる気がしますが、この「黒い司法」だけじゃアクションの腕前がどうかわからないのですが、「アメスパ2」の例もありますしその辺はもう分業体制にするのだろうか。

 

脇にそれてしまいましたが、先述のようにこの映画は登場人物に寄り添った映画になっておりまする。それは監督がハワイ州の日系・アイルランド系・スロバキア系の血を引くアメリカにおけるマイノリティ(と呼ばれる)出自だから、というのも大きく反映されていそうです。

まず顔面のアップが多用されている。いや本当、めちゃくちゃ多いです。そしてそれに耐えうる役者陣の表情の妙。

みんな軒並みよござんす。マイケル・B・ジョーダンは口元と目元の機微が特によくて、あらゆる場面で展開される差別(自分に向けられたものだけではない)への怒りを湛えた表情が絶妙。そりゃこんな目にあったらキルモンガーになりますよ。

あとジェイミー・フォックス。「ベイビー・ドライバー」の印象が残っていたし顔つきも割と鋭いタイプなのでどちらかというとバイオレンスを与える側っぽくもあるわけですが、しかし「コラテラル」「アメスパ2」などなど、むしろ不条理に巻き込まれる被害者を演じることが意外と多い「巻き込まれ系主人公」体質の彼。本作でも不条理に巻き込まれるわけですが、その自分の置かれた状況・世界に対する諦念と怒りの表出の仕方がこれまた良き。

こういう書き方をすると誤解を招きそうなのだけれど、監房の人たちもみんな輝いていた。演技というかほとんどナラティブそのもののようで、その語りそのものが。

忘れてはいけないのがマイヤーズを演じたティム・ブレイク・ネルソン。この人の口をゆがめた演技とか、ある出来事によって変質してしまったことが後で判明するわけですが、それを体現する身体の動きといい、この人も大概達者であります。

で、この寄り添い方で思い出したのは「チョコレート・ドーナツ」だった。そこはかとないカメラの揺れとかも含めて。

 

この映画にはあまり悪が強調されることがない。一人だけ悪徳オンリーな描き方をされている人がいなくもないのですが、そもそもあの人は一か所を除いてほとんど画面を占めることすらないわけで、誰もがカメラに据えられるこの映画においてそれはほとんど亡き者状態ではないだろうか。少なくとも、大きな構造としての悪はあっても、それを個々人に収束しようとはしない。

だからこそ、マイヤーズやトミーが正義を述べようとする際に、その葛藤として天秤にかけられるのは悪ではなく痛みや恐怖なのだろう。

正義の反対側の秤にかけられるのは悪ではない。本当の悪はその天秤そのもの=個々人を抑圧し破壊しようとさせるシステムそのものにある、ということ。