dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

継承体感

「ヘレディタリー/継承」4DX再上映を。

4DXは確か「パシフィック・リム」と「GotG.vol2」で体験済みだったけれども、ホラー映画では初めて。結構椅子の動きが結構違っていて、これはこれでかなり相性がいいんじゃないかという気がする。

屋根裏の遺体の臭いの表現としてScentというのはわからなくはないのだけど、しかし腐臭というにはあまりにいい匂いすぎて不快感はあまりない。かといって本当に悪臭を提供されてもそれはそれで困る(同じようなことを前に書いた気が)わけですが。

あとは映画のカメラワークによってかなり座席の動きも変わってくる、というのもありまして、アスターの映画はゆっくりとパンしていくシーンが多く、それに合わせて座席もナナメになるのですが、これが何とも言えずなかなかよかった。動きもさることながら、動く際の座席の軋む音なんかも不穏な感じがしてよい。

あと燃えるシーンで首元が暖まったり、風が吹くシーンで送風されたり、というのがあった。暖まるのはともかく、送風に関しては劇中の風の音と劇場の送風機の音がまったく別であるためにむしろ一体感がそがれてしまう、というのはあったりして、この辺はパンに際しての座席の音とは逆に作用してしまっています。

4DXの動きって誰がどう設定してるのか、結構気になります。


本編自体も楽しかったです。
家(セット)をミニチュアに見せるような演出が多く(特に扉から家に入ってくるカットはほぼすべて真横から撮影してますね)、独特のセンスが楽しい。

ミニチュアで始まりミニチュアで終わっていたり、ラストのあのシーンもしっかりジョーンの家ででかでかと伏線が提示されていたしますし、この辺はやっぱり手堅い。
なんというかこの人はオカルトとかスピ系の因果みたいなものを上手く取り入れている。ただそれは、恐怖心の裏返しとして神経症的な理路整然さなのではないかと思ったりもする。

まだ長編2作しかないので今後どうなるのかわかりませんが、アスター本人が映画を作るにあたって私的な部分が云々と言っているくらいだから、このオカルト・スピ系を使うというのは、もしかするとある法則に無理やりにでも当てはめようとする試みなのかもしれない、と。


理不尽で不条理なものとしての超常現象を、ホラーというジャンルであれば臆することなく描くことができる。現実の不条理さを、そのままホラー映画の不条理さに適用し、そこにオカルティズムの因果を当てはめ投射することでアスターはセルフセラピーを行っているのではないか。

たとえば現実である人がある事故で死んだとして、そこに事故の原因を観ることはできてもその人が死ぬ因果を見出すことは不可能だろう。せいぜい「運がなかった」というくらい。

けれど、ホラーであればそこに一定の法則を付与することができる。というよりも、それこそがホラー映画の肝であるようにも思える。
キャビンに入ったから殺される、ビデオを観たから殺される、家に入ったから殺される、濡れ場のカップルは殺される。なんでもいいけれど、そういうルールによってホラー映画は進行する(もちろん例外はあるけれど)。

だからアスター監督がホラーというジャンルに意識的なのは、そういうことも関係しているのだろう。

「ミッドサマー」のホルガにしても、主人公たちにしてみれば理解不能ディスコミュニケーションの相手である村人も、彼らからすれば彼らなりのルールがある。

「ヘレディタリー」にしてもピーターには奇異な母親の行動も、箱の外からからみれば連綿と続く法則に依っていることがわかるし、光の正体も(パンフの小林さんの解説を読まずとも)類推することはできる。

まあ精神疾患を遺伝的・器質的なものとして扱うことを許すその精神性はいかにも西洋人らしいある種の傲慢さではあると思うのだけれど、「ミッドサマー」を観るかぎりだと本人も自覚しているのだろうか。

ともかく、アスターは多分、そうやって自分の映画の中に法則を作ってそれをメタ的に俯瞰することで(この映画のミニチュアという「箱庭」はこの映画そのものではないか?)安心したいのではないか。

世界の不条理を自分自身で掌握するために。アスターが映画作りをセラピーだと言ったのも、そういう意味ではないだろうか。