dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

愛雷

「ソー:ラブ&サンダー」

う~んビミョー。

決して楽しくないわけではない。

んが、笑えるものもあるにはあるが滑ってるギャグの天丼や、そもそもそういった物語上は不要ですらある笑かせ要素で尺取りすぎ。ラッセル・クロウの出オチ=ゼウスのパートとかほんと無駄に長い。しかもその笑わせようという姿勢のせいでせっかくチャンベールがシリアス要素を全力で担ってくれているのにソー組のおちゃらけが絶望的に嚙み合わず。これってヒーロー映画ファンが「ヒーロー映画は暗くなるな!シリアスになるな!」みたいなこと言ってきたツケなんでないですか?と言いたくなるのだが、「マイティ・ソー バトルロイヤル」の時点で、というかワイティティの過去作から察するに彼の作風であることは疑いようもないので、普通にワイティティの問題だと思う。「バトルロイヤル」ではある種のお祭り乱痴気騒ぎなノリでスルーできていた部分も、今作はくどいししつこい。思うに、これはツッコミ♂としてのロキの不在が結構大きいのではないかとも思う。

 

かように全体的なバランスの悪さもさることながら、いよいよ無理が出てきたなぁと。MCU全体として、「神」ってなんだよという話になってくるし、そもそもガンの一つくらいストレンジの魔法やらワカンダの超技術でどうにかならんものなのだろうか。ジェーンにしてもヴァルハラ=死後の世界をあんなさらっと流してしまっていいのだろうか。次回作のソーがもしジェーンになるのであれば(個人的にはそっちとヴァルキリーのウーマンス路線で行って欲しいのだが)……というか、そうするためにあのポストクレジットなのだとすれば、「じゃあそもそもジェーンが癌である必要あったのか?」という問題に立ち戻る必要があってですね。ゴアとの対置としてもっと有機的に物語に絡めることはできたはずなのだが、そうなると「神、信仰、自己犠牲」の問題に突っ込まなければならなくなるはずで。

しかし冒頭のゴアのシーンにおいて、その動機付けおよびゴアというキャラクターに重みをもたせるためのあの描かれ方は「神と信仰・自己犠牲の在り方」というクソ重いテーマに突っ込まざるを得ないはずのところを、全然そっちの方向にいかないために物語に対しあまりに不誠実なのである。それを言ってしまえば、一神教であるはずのキリスト教が(近年はその信仰度合いが下がってきているとはいえ)アメリカの娯楽文化の中心たるハリウッドで多神教の世界観に組み込まれていることをどう考えるのかという問題もある。劇中でオムニなんとかにおいて「大工の神」と言及されているのは明らかにジーザスであるわけで。

 

あと画面が退屈、と言えばいいだろうか。会話にしても説明セリフが多いパートすら雑にカット割ってバストサイズでの切り替えしで済ませたり、戦闘にしても2Dスクロールかと言いたくなる真横からのショットばかりだし。「うぉー!(ばぁーん!)」てな感じで。思えば「バトルロイヤル」もそんな感じになりがちだった気もする。

子どもたちの扱いにしても、やりたいことは分かるのだが、まあ雑。雑だし、そもそも子どもを戦わせることについての倫理的なコンフリクトみたいなものがエクスキューズですら差し込まれることはない。これ、流れだけ見ると悪い大人に誘拐されて力を与えられてそれを行使するというのは「少年兵のメタファーかこれは」と邪推したくなるほどでしたよ。邪推が過ぎるのですがさすがに。

 

また「ソー」シリーズを振り返ってみると、1作目が「空から落ちてきたイケメンと恋をしたらそいつが実は神の王子だった!」という、いわゆる女性視点の「落ちもの」ジャンルの映画だった。(余談だが、舞台となるニューメキシコマンハッタン計画の中核を担っていたロスアラモスの核実験施設があり、そこに規格外の「アルティメットウェポン」としての神が降着する、という際どいネタであるという見立てをしている人もいて、その見立ては中々面白い)

そこにロキというBL要素が入り、「アベンジャーズ」を経て「ダークワールド」においてBL要素がさらに大きくなり、「バトルロイヤル」ではそれが全面展開されることになる。しかし、本作においてはすでにロキは死亡しており(ドラマの方では生存しているが)彼とのBLは期待できない。かといってレズビアンであるヴァルキリーとのロマンスは成り立ちえない。岩イティティは論外。ではどうするか?と来たところでジェーンの投入である。元ネタのコミックは2014年ということでまだ新しい(といっても8年前だが)シリーズであるらしく、キャプテンアメリカのような古参ではないので雑な歴史修正(はいるひどらー)なども必要ないあたりや、昨今の流れから「強い女性像」の投入というのは自然な流れではあるだろう。

が、本作はむしろそういった強い女性像を打ち立てると同時に、日本映画になじみ深い……宿痾ともいえる「難病(恋愛)映画」なのですな。

そうやって観ると、「ソー」シリーズというのは圧倒的に女性向けに作られたMCU映画だったのだなと。だからなんだ、と言われるとそれまでなのですが、ソーの今後(といってもあとどれくらいやるのか分かりませんが)を左右する割と重要な観点だと思うのです。

 

どうでもいいことなのだが日本的といえば、まさかのウユニ塩湖登場である。正確に言えば「インフィニティ・ウォー」でも出てたけど……これは日本的というか深夜アニメとかCMのOP・EDにありがちなわけですが、雑に綺麗なもんだから多用されるというのはわかる。わかるのだが、もはやクリシェとなっているそれにおんぶにだっこはどうかと思う。

あとワイティティ、クリヘム、ナポリの子どもが出ているらしい。らしいというかクリヘムの娘はそもそもゴアの娘役なのでメインといって差し支えないわけですが、そんなウィル・スミスみたいなことしてよろしいのか。と思わなくもない。

それとドラマの方の展開もあって、さもありなん案件ではりますがやっぱりCG班が大変らしく、そのへんのクオリティチェックもやや甘くなっているのか今回は全体的にCGが浮き気味であった。

 

本当は疑似家族についての論を展開させようとも思ったのですが、なんかそこまでこの映画に熱量を持てなかったのでこんなところで締めにします。