dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

リコピス

リコリス・ピザ」

f:id:optimusjazz:20220708163559j:image

今回ではっきりしたのだけれど、自分にポール・トーマス・アンダーソンの映画は合わない。特別嫌いなわけではない。むしろ良い映画を撮る才能ある監督だと思う。

今回にしても冒頭からさら~っと長回しして見せたり、撮影そのものやレンズの使い方それ自体だけでテクニカルに表現してみせてくれる(この辺はパンフレットの松崎健夫のレビューが良い)し、役者のアンサンブルも素晴らしい。フィリップ・シーモア・ホフマンの忘れ形見クーパー・ホフマンのニキビ顔とか、若さと才能からくるあふれ出る自信と尊大さとクソガキっぷりの塩梅の茶目っ気。アラナに至ってはルックスはハッキリ言ってストレートにカワイイタイプではないだろう。アラン・カミングと誰かを足したような顔に見える。けれど、どこか愛嬌があるように見える振る舞い(「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」におけるエミリー・ブラウニングを想起したり)で魅力的に映るし、ほかのキャラクターもじゃりんこ含め印象的なキャラクターばかりであることは言うまでもない。全体としての完成度は誰がどう見たって高い映画ではあるだろう。

なのだけれど、どうもPTAの映画に対して何か心を揺り動かされるということや語りたいという衝動が沸き上がらないのである。自分でも不思議なのだけれど。

いやもちろん全くないわけではないし「バースデーワンダーランド」みたいに虚無っぷりから無理やり言葉を引き出そうという感覚でもない。しかし、この映画を観た人たちが口々に褒めるようなテンションを自分は抱けないのである。なぜだ。

部分部分でテンションが上がる部分はもちろんあった。特に終盤の、ジョエルとマシューのすれ違い(ジョエルがこのシーンの前にパートナーについての質問に答えるシーンの発言を考えるとなおのことグッとくる)をあんなにさらっと、しかしエモーショナルに描けるのはやっぱりすごい。ゲイであることで言外に多層的な被抑圧性を帯びているがゆえに、出番はラスト数分しかないのにマシューという人間とそのパートナーであるジョエルがしかし公的であろうとすること口惜しさのもどかしさは胸に来る。ていうかここで涙腺緩んだですよ。ぶっちゃけ、ゲイリーとアラナの恋愛よりこっちの方が気になるのですが。

そういえば、このシーンについてゲイである彼らを一種の慰みにして奮起するアラナにグロテスクを感じるという感想を見かけたのだけれど、しかしそれを言うならば何も知らないアラナを呼び出したジョエルのことを考えなければならない。

これはゲイだとかノンケだとかの問題ではなく、クソ野郎かそうでないかというもっと本質的なところに議論を引き寄せなければならない。なればこそ、互いのパートナーに振り回され、それでもなおそんなクソ野郎のことが好きで好きでたまらないという思いを共有するマシューの言葉を受けてアラナは走りだすのだから。

あと衣装ね。10年代入ってからのPTAはマーク・ブリッジズと組むことが多いのですが、やはりこの人の衣装センスは素晴らしいと思う。映画を観ていて「(その衣装をまとう人物との親和性・キャラクター性の描出も含め)あ~この衣装良いなぁ」と思うと大体この人の仕事だったりするのだ。

かならずしもキュートに見えるだけでなく、時としてだらしなく見える衣装だとか時代性だとかも含め「ファントム・スレッド」のようなすべて気の張った(お高く留まった?)衣装ばかりでないのばまた素晴らしいところ。まあ、だから今作のパンフレットには「ファントム・スレッド」のパンフにあったような彼の衣装デザインのページがなかったのだろうけれど。マーク・ブリッジズが担当した映画のパンフレットにはすべて掲載してほしいくらいなのだが。