てなわけで「JUNK HEAD」観てきた。池袋シネマロサで観るのは初めてだったり。
この手の映画にはほぼお約束と言っていい資料の展示もあり、オニューのスマルフォイで撮影。
前のスマホがまあまあ古い機種だったというのもあるのだけれど、段違いに画質が向上していてビビる。
それはともかく本題。
たしか数年前に公開された未完成版も話題になった時に観ていた記憶はあるのだけれど、そこからさらに撮影を重ねて長編として完成させた労作。
観ての通り、クリーチャーはまんま「エイリアン」です。ゼノモーフの顔をニューボーンに移植しました!ってな感じで、どう見てもエイリアンです本当にありがとうございました。
世界で絶賛されたSFストップモーションアニメ『JUNK HEAD』堀貴秀監督の狂気の才能と情熱を聞く | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス (eplus.jp)
堀監督、上記のインタビューで影響を受けたマンガや映画なんかの名前を挙げているのだけれど、すごくストレートに影響を受けているのが分かるラインナップになっております。全くの余談なんですけれど、最近、マガジンの新人賞だかなんだかの読み切りマンガにも似たようなクリーチャーが出てきたきが。やはりギーガーは偉大なり。
人形の関節が全然目立たないなぁ、などと思っていたのですがラテックス系で素体を覆う感じだったので納得。とはいえ、材質的に可動部の劣化はやはり避けられなさそうではあるので使いまわしたりするのは難しそうではありますな。というかラテックス系であんなに上手に塗装できるものなのか、とか色々びっくり。
基本的に、この映画は堀監督の手によって創られた被造物を楽しむものではあるゆえ、お話部分に関しては私は正直どうでもいいと思う(とか書きつつ色々と苦手な部分はあるのだけれど)。だからというわけではないけれど、こと全体の完成度という点に関して言えば本職の人が撮ったものと比べるとやっぱり荒削りな部分も見える。もっとも、それがかならずしも瑕疵になるかといえばそんなことはないと思う。思うのだけれど、この映画のインディースピリット(とそれがもたらす露悪さ)についていけるかどうかで、この映画が好きがどうかが分かれると思う。あくまで好悪のレベルであるのだけれど。(とか書きつつも三バカのサクリファイスには不覚にもウルっと来てしまったのですが。ええ、「忍者と極道」で涙ちょちょぎれる私の涙腺などそんなものなのです)
で、こんなことを書くからに、私のこの映画に対する好き嫌いはすでに伝わっていると思うのだけれど、もう記憶のかなたに飛んでいた私の嫌いな(というか好きじゃない)映画の記憶が呼び戻されるくらいに、その露悪さや悪い意味でのインディースピリッツというものがある。気がする。三部構成で、続編の構想もあって、というあたりとかも実にそんな感じもする。
単に今、私のモードがそちらに向いていないということもあるのかもしれないけれど。
まあ、それについては後回しにするとして。もっと豊かな語り口がこの映画にはあるので。
すべて独学だからなのか、アニメーションそれ自体がある種の異質さを含んでいるように見える。私もストップモーションアニメをそんなに数見ているわけではないのだけれど、それでもこの映画に対しては違和感のようなものを覚えた。
というのも、この映画、妙に腕周りのアニメーションが豊かなのであります。ほかの部位に比べて、腕周りは本当にぐりぐりと滑らかに動く。その、手話とも呼びたくなるような動きの豊かさは観ていて楽しい。
一方で、歩行のアニメーションに関してはそちらほどのダイナミズムは感じられないというか、どことなくぎこちない。これはまあ、別にストップモーションに限らないし鈴木敏夫の言葉を借りるつもりもないのだけれど、二足歩行で歩くという動作は、実は人間の動作の中でも複雑なものである(というのをどっかのなにかで読んだか見た気がする。曖昧)。歩行というのは全身を使う動作であるからして、身体のすべての部位が一同に連動することでなされることを考えればさもありなんということなのである。というか、人形の素材による可動域の制限も結構ありそうな気がします。
パンフにも歩く動作は面倒なのでできるだけ避けている、と書いてあったし私の考えもあながち間違いではないのだろう。
だから、そういう意味での洗練さ、というものは当たり前だけれど求めるべくもないのだろう。
ところで、この映画はアニメというよりもライブアクションを志向しているという旨の発言を監督はしていたのだけれど、だとすればそれはかなりのレベルで達成されていると思う。この映画の望遠のショットは軒並み素晴らしくて、マットペイントのような、人形が相対的に小さく見えるような奥行きのあるショットがいくつもある。
そういったアングルは、やはりある種の物質性、そこに物体として存在するがゆえに思考される、「描けばすべて存在しえる」ドローイングのアニメーションの逆説を含まなければ導出されないものに思えるのであります。
だから私はそういうのが観れただけで満足ではあったりするのです。
んが、いくつか気になるところもある。
まず一番気になったのは音楽。音楽はダメでしょ、これ。使い方も音楽それ自体も、もうちょっとどうにかならなかったのかという気はする。外しの笑いも本当にただ外しているだけにも見えるし、狙った笑いに自分はほとんど笑うことはできなかった。
セリフもなんか引っ掛かりを感じる部分があった。これはかなり感覚的なものではあるのだろうけれど。たとえばこれが作られた言語ではなく純粋な日本語のセリフとして読み上げられた場合どうなるだろうか、と考えると結構きつい気がする。この辺に関しては映画そのものとはまた別ベクトルの問題を含んでいるような気もするのだけれど。
あとは前述のとおり露悪さに付き合えるかどうか、という問題。「しっぽだったんかい!」というのもある種のギャグとして機能させたかったというのも分かるのだけれど・・・。造物それ自体のグロテスクさ、それがもたらす生理的嫌悪っぷりがすでに十分あるので、そこに露悪趣味を展開させるのは、シリアス一辺倒だと技術的・金銭的に困難だったというのはわかるにしても、それは悪手だったのではないかという気がしなくもない。
とはいえ十分に楽しめる映画だったことは確かだし、パンフレットの内容も1500円という一般的なパンフの約2倍の値段ではあってもその赤裸々さ(青臭さと言ってもいい)は読むに値するものではあるのでお土産としてはグッド。