dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

トランスフォーマー ビースト覚醒

観た。字幕で。

TFに対する偏愛がある自分にとって日本のプロモーションの醜怪ぷりにげんなりしているため、最推し声優の玄田哲章のためとはいえ吹き替えを観に行くかどうかは悩みどころではある。というか本国から二ヵ月近くズレて公開って。遅すぎ。その代わり(?)が芸能人吹き替え&ジャニーズ主題歌ですか? あまつさえ「声優無法地帯」だのと、またぞろファンダムのくだらない内輪ネタを公式が拾って宣伝に使うという始末。もうね、公開前からこっちのモチベーション下げるのやめて欲しいですわ。

という、こじらせた厄介トランスフォーマーオタクの意見がどれだけ参考になるのか甚だ不明だが、はっきり言えば「まあこんなもんだろうな」という印象。

トランスフォーマーファンとしての自分が映画好きとしての自分を凌駕してくることはなかった。「No Sacrifice, No Victory」「Arrival to Earth」が流れた時は込み上げるものがあったことは白状しておきますが。

つまらないか面白いかでいえば面白い…というか楽しかったし、少なくとも寝落ちすることはなかった。

とはいえ、イースターエッグやら小ネタを拾う以外にこの映画の中身とは一体なんなのか。まあ、それが既存の巨大なフランチャイズであることを除けば毎年公開されるハリウッドのビッグバジェット映画の一つでしかないと言ってしまえばそれまでなのかもしれない。

マイケル・ベイの方に関しては、少なくとも一作目に関しては当時のCG技術の革新をした映画であったことは事実であろうし、それを以て語ることはできただろうし、ある種の作家性やライド感みたいなものを取り上げることはできるだろう。

しかしスティーブン・ケイプル・ジュニア(以下SCJ)に関しては「The Land」は観てないし「クリード2」に関してもまあまあ楽しかったけどそこまでハマったわけでもなく、その作家性から語ることは困難で、実際にSCJの作家性よりも「トランスフォーマー」というフランチャイズの巨大さに飲み込まれているような印象は受ける。

それと、これは監督の作家性というか彼がラテン系・アフリカ系アメリカンであるがゆえの無意識のものなのかもしれないが、本作において明確に描写こそされないものの「これ絶対に死んでる(もしくは瀕死)だろ」という被害を被っているのは、揃いも揃って白人男性なのだ。たとえば、この映画には警備員が二人出てくる。片方は黒人男性でもう片方は白人男性。別々のパートで登場する警備員であるため直接的な関係性は両者に存在しないのだが、黒人男性の方は主人公ノアを車泥棒と思い込み(実際にそうなのだが)銃を向けるのだが、ここで彼が被害を受ける描写はない。

一方で、エレーナ(ドミニク・フィッシュバック)の務める博物館の警備員は白人男性で、彼女を助けるために駆け付けたにもかかわらずテラーコンの攻撃による爆発に巻き込まれてします。既述のように直接の描写はないが、どう考えても死んでいなければおかしい描写である。また、窃盗犯としてノアを追うパトカーの運転手も白人男性なのだが、大型トラックに突撃されたり分離帯に正面から激突したり、明らかに致死的な描写がある上に、博物館の件とは違ってこちらは味方側であるミラージュによる作為的なものである。

そういう職業に就くのは大概白人男性だ、という言い方もできるのかもしれないが、それだけで片付けるにはやや偏りがあるように見える。

主役二人を演じるアンソニー・ラモスとドミニク・フィッシュバックも監督と同じ人種であることを考えると、監督には少なからず「人種」に対する意識はあるはずだ。まあ日本では放送していない現行のアニメシリーズの方では黒人の少年と少女が主役であることを考えると、そちらと合わせる(アニメシリーズと映画の方で名前を合わせたりすることなどはこれまでもあったので)ためというだけで、どこまでSCJに采配があったのかはわかららないけれど。

別にそれがこの映画の瑕疵であるとかモヤモヤするとか言いたいわけではない。ただそういう視点を与えるような描写があるということは指摘できるのではないだろうか。問題があるとすれば、そこから私が監督の作家性といったものにつなげるだけの発想がないということだけで。

ストレートな熱さ、愚直さみたいなものはあるし、それはアニメシリーズ「マイクロン伝説(Armada)」のオプティマスプライムが「勝った方が正義なのではなく、正義こそが勝つのだと!」というあまりにも青臭く、そうであるがゆえに心を打つあのストレートさに通じるものはあったとは思う。

ただ、これは技術的にかなり難しいがゆえでもあるのだろうが、ビースト勢がメカアニマルではなく完全に獣であればまた違った映像的革新があったのかもしれないということと、それによって人間(有機生命体)ともトランスフォーマー(無機生命体)とも違うハイブリッドな存在としてのうま味をより強調でき、かつ環境論的な(ラブロック的な)観点からも色々と語り得たのではないかとは思う。

まあどっちみち彼らの生体が具体的にどういうものなのかというのが分からない以上はそれも難しいんですけど。

 

観なおしたらまた評価変わるかもしらんがとりあえずこんなとこで。