dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

洋邦ダメ映画ニ連続

えー何を血迷ったのか「ピクセル」と「ガッチャマン(2013年実写版)」を観ましたどす。前者は金ロー、後者はGyaOで。まあ金ローとかGyaOとかの用途って「絶対つまらないけどちょっと見てみたいかも」ってものをタダで観れるのがいいですよね。カネ払って劇場で観た人には申し訳ないですが。わたくし、そこまでチャレンジスピリットないので。守銭奴なので。

ただ、カネを払っていないからこそ余計な腹を立てずに良い部分を探せるってこともあるんじゃないかなーって、ハゲの評論と実際に観た自分の感想を照らし合わせてみると思うとです。

 

まずピクセル

監督を知って驚いたんどすが、クリス・コロンバスだったんですね。

えーまあ巷の評判通りつまらない。あと柳沢慎吾の吹き替えはちょっと合わないかな。演技云々はともかく声が向いてないよねぇ。神谷はいいよ、久々に聞くし。

まず人物配置がよくわからんし。あのデブを大統領にする必要性はあったのだろうか。あーなんか細かいところ指摘していくとキリがないのでざっくりいっちゃうと編集が悪いよー編集がー。初めてエイリアンが接触してくるところでいちいち場面展開する必要あったか? 所々に挟まるギャグがつまらない上に、そのせいでテンポ悪くなってるという泥沼状態。冒頭とか、Cheap Trickの「Surrender」を流しながらのドット風クレジットは良かったんですがねぇ。

「ときめきサイエンス」のようなフリークス愛のある映画になりえたはずなんですが、いかんせん設定がなぁ。街をパックマンのステージに見立てるアイデアは斬新さはともかくそれ自体を視覚化してくれるのは良い。だがしかし、局所的すぎてダメダメ。もっと引いて街全体を映してくれればいいのに。

 あとさーエディが不正してたから実質1位ですよって、何それ。それで納得できるんかいな。 

 余談。ドライブユアドリームスのcm。いやいや書籍の編集って意味わからんがな。いやいやで就職できる業種じゃないしやる気ないやつはそもそも編集なんて選ばんでしょ。なんだこれ。

 

 

で、ガッチャマン

うん。ピクセルよりは楽しいよ、マジで。映画の出来はアレですが、少なくとも退屈はしない。ポンコツすぎて。

なんだかんだで役者の演技はいいです。綾野剛鈴木亮平松坂桃李は相変わらずいいですな。めごっちは……ドラマっぽい演技なので映画には合わないですよねぇ。ていうかテンションが作品内設定と明らかに乖離しているので狂人にも思えてくる。弟はシラネ。あとアクションはいいですぞ。CGもすごいよ、邦画にしてみりゃ。

まあそんなところかしら。

ダメなとこは科白や演出が悉くダサい上にフワフワしてるんですよね、設定とか状況の割に。明らかにかっこよくデザインされているスーツを指して「醜いスーツ」ってアンタ。あと鈴木亮平の顔とか演技そのものはいいんですけど、千鳥のノブっぽい。

あと中村獅童ね。この人割とマジで本気で声優やってくれないかなーって思うくらい声が素敵。しかもガルガントのときともちょっと違う怪しげな感じな声なのもすっげーいいんだわ。

「こいつら最高だぁ」が気抜けすぎで笑う。

 

 

 

 

妄想炸裂映画

 まったくだらしない。なんとナード(ギークよりは多分こっちより)の欲望を垂れながした映画であることか。どうでもいいことだが「すてきな片想い」と「ときめきサイエンス」ときてなぜ「ブレック・ファスト・クラブ」をやらんのだNHKよ。

 おはなしは至極単純。冴えないナード二人が当時としては珍しい自宅のコンピュータで理想の女性を作り出し、彼女の下で典型的ないじめっ子脳筋ジョック(微妙にジョックから外れてはいるような気もするが)を手玉に取りながら彼らから想い人を奪取するというおはなし。

 まったくだらしない。これだけ欲望に忠実で潔い映画というのはトランスフォーマー第一作目以来である。大根仁とかパッケージはぽいけど微妙にこの路線から外れているだろうし。

 しかし、それゆえにフリークスに注がれる愛の視線は心に響く。まっとうでシンプル、ともすれば型通りすぎるような成長譚は、しかし今の日本にあってはどれだけ貴重なものであるかを思い知らされる。こういうの、日本の低予算でもアイデアと愛情さえあればできると思うんですけどね。ちなみに、わたしの中でフリークスという言葉はナードやギークをも含む包括的で広義なものであったりする。

 ダメか。今の日本のオタク(もはやこの言葉の定義すらおぼつかない)には圧倒的に自己卑下が欠如しているから、少なくともアニメ・マンガ・ラノベの分野からこれらのフリークス愛に満ちた作品が出てくることはしばらくはないだろうなー多分。かといって実写邦画もインディペンデントはアート系で大手資本は実写化ばかりなので難しいのかしら。「ちはやふる」は良かったけど、あれはフリークス愛の映画じゃねえしな。というかよく考えたらフリークス愛のある映画って邦画だとないような…。園子温の「地獄でなぜ悪い」はそれっぽいけど、あの人の演出ってど直球に見えてガワっぽいのではないかと思うのですよね。なんというか、真からど直球なのではなくて、それを描くのが恥ずかしいからわざとおどけてみせているような感じというか。実際はどうか知らないけど。園子温はハイテンションなものより「ちゃんと伝える」とか「気球クラブ」の路線は結構好きだったりするんですよねぇ個人的に。

 話を戻さねば。設定は荒唐無稽だけれど、ちゃんと画で見せてくれるしテンポも早くて飽きずに見れるのが強い。開始数分で人造人間作り始めるからね、うん。ウジウジしたところもないし。書いてて思ったけどガワだけとってみると「ビルとテッド」ですねこれ。

 自宅のコンピュータで人造人間を作り出すというのは半笑いかもしれないが、それはコメディとして割り切れるし、何よりその作成過程の視覚的・アイデア的な楽しさに没頭してしまいすぐにそんなことは横に置かれる。嘘だけど。いや、コンピュータというものへの理解のなさ(意図的だろうが)と希望的観測もとい願望によって、とんでもないことをやってくれる。雑誌から切り取った人物の顔を取り込んで3Dにするのとか、アインシュタインの下りとか、媒介にバービーっぽい人形使ったりとか。あとは「ぼくらのウォーゲーム」や「サマーウォーズ」の先駆けというか、細田はこれを参考にしたのかなーと思うくらいのハッキング描写。あれも荒唐無稽ではありますが、ただただ見ていて楽しいからいいのである。しょぼすぎるポリゴンとか64ぽくて懐古。

 個人的にはワイアットとチェットの愛情の表現が絶妙にギャグ描写の中に落とし込んでいたりしてすごい上手い。タオル一枚で女性ものの服を着ている弟(ワイアット)を叱りながら、その一枚のタオルを差し出して「下を隠せ」というあたり、チェットの「弟を愛している」というのちの発言がちゃんと浮薄なものではないのだと思わせてくれる。兄のチェットが今は亡きビル・パクストンというのもいい。

 というかチェットが出てくる場面は総じて全部いい。モンスターにされるところもそう含めて、嫌な奴にみせかけて愛嬌があるんですわ、あいつ。わざわざターンして両肘でドアを開けるところとか。

  そういえば脳筋ジョック二人組の片方がロバートダウニージュニアで笑ってしまった。若いのなんのって。しかもブルーレイ版の吹き替えが桜塚やっくんというのもわけわからなくて笑ってしまった。

 女子(女性にあらず)の浅ましさとか、ゲイリーの父親の記憶のくだりの天丼とかまー色々楽しい部分が多いこと多いこと。カメラワークも実はすごい周到に考えられていて、リサとの別れのときにずっと三人のアップを移していてカットが切り替わると核弾頭がまだ生えていたりとか、笑いの生み出し方がすごい上手い監督だと思うジョン・ヒューズ

 どちらかというとプロデューサー的な仕事が多かったようですが、もっと彼の撮った映画を観てみたかったなーと思う。

 つーかこれジョエル・シルバー製作なのかよ。あの人も手広くやってんなおい。

 

 

 

 

すてきな片思い

はい、相変わらずBSプレミアム

なんだか普通に面白いなーと思ってたら「ブレック・ファスト・クラブ」のジョン・ヒューズ監督でした。

いや、これ誰が見ても純粋に面白い青春コメディじゃなかろうか。まあ日系人が演じる中国人に「万歳」を言わせるのとか今だと苦情がきそうなこともやっていたりするんだけど、面白い。

しかしジョン・ヒューズさんって意外と寡作なんですね(60前に亡くなってしまっているので仕方ないといえば仕方ないのですが)

 

名は体をあらわす

なにこれ超面白い。ともかく多幸感と可笑しみで溢れている。陽の気に振り切った楽しい作品。

わたくしのメンタルは根幹的に陰キャですが、こういうのは大好物ですたい。というか大学生活は割とこっちに近い気もしなくもないので。

 ニュアンスとか間とか、とても映像的な可笑しみで笑わせてくるタイプの映画で超面白い。 

 浮き輪あるのにボールを渡したり、「俺に構わず先に行ってくれ」ってなかなか言えないよなーっていう科白がサンバの熱中症のときなのとか。正座して玄関で待ってる両親とか。妊娠した話してるときに「腹割って話せ」とか。「ショ…ショウコ」とか。分娩室の前で適当な事抜かして去っていくおばあさんとか。どれだけ笑える映画であることか。

 こんなに笑ったのは「トロピックサンダー」を劇場でリアタイで観たとき以来だろうか。あっちの方が笑いの勢いは強かったけれど、こっちもこっちで笑える。

 説明しても面白さ伝わらないのが困る。文字に起こすより実際に観ないと伝わらないんどすよね。これ原作どうなってるのか気になるなー。あとは新大久保駅乗客転落事故のカメラマンを世之介に投影しているのが気になる。

9月いっぱいまでGyaOで無料で見れるらしいので是非見なんし。

愛とせっくすと「男ってやぁねぇ〜」

「失って初めて気づくもの~ぶらーぶらーぶらー」

 こんな感じの歌詞を組み込んだ恋愛ソングがたくさんある。BUMPしかりコブクロしかり、古今東西のあらゆる歌を探したら枚挙に遑がないと思います。西野カナとかありそうだなーと思って検索したら案の定あって笑う。

 で、それを地で行ったのが「昨日の夜は…」という映画である。どうでもいいですけどこれ2014年にリメイクされてたんですね。そっちは見てないですけど、評判はそれなりにいいらしい。こっちはそれなりに濡れ場があったりデミ・ムーアが可愛いなとか色々ありますが、基本的には男女両成敗というか恋愛の面倒くささがいい具合に描かれている。

 後にラスト・サムライを撮るエドワード・ズイックの映画とは思いにくい感じですが、しかしよく考えてみると「異邦人の目線」という部分では共通しているのかも。ラスト・サムライはその作品の構造そのものが「異邦人から見た和の国」なんだと思うんですが、「きのうの~」はそれが性差であるわけですね。それを両者の視点から描いているので、これは女性と男性ではどう見るかが分かれそう。

 男性は男性の一にセックス二にセックス、三四がなくて五にセックスな基本原理をどストレートに見せつけられ、女性はそのどうしようもない面倒くささがこれまたオブラートなしに差し出される。

 そんな中で、恋愛ってなんだっけというものを模索していく。若かりしデミ・ムーアがヤりまくるのでエロ目的にもどうぞ(爆)。

 しかし仲直りしようとするのはわかるけどそこで「コーヒー」だからダメなんだよダニーよ。紅茶じゃなきゃ。

 

ちなみにロブ・ロウ演じるダニーの友人バーニー(ジェームズ・ベルーシ)のお言葉

「アホか。オッパイと尻 オッパイと尻だぞ この世で一番 一番 一番だぞ。」

 異論はあれど否定をするのは中々難しいのではないでしょうか、世の男性諸兄よ。

 

あともう一つ「クリエイター」も観ましたですよ。

 こちらは愛と倫理観に関する映画かしら。アラビアのロレンスピーター・オトゥールが亡き妻を蘇らせようとする大学教授を演じています。

 まあなんというかコメディなので軽いノリではあるんですが、卵子を必要とするあたりとか変な具合に生々しい。一応SFとして認識されているみたいですけど、いやー違うでしょ。科学を扱っていたらなんでもSFってわけでもなかろうに。特に呼びかけだけで蘇生するってどうなの。わたしはてっきり博士が妻の素を使って蘇生させるのかと思ったんですけどね。でもビラの募集でプロポーズするのは結構好きだったりします。

 あとチャリンコ(バイクやマウンテンではなくあくまでチャリ)がメインの乗り物として多々映るのが好き。大学の緑色の風景をバックにチャリンコを漕ぐ博士とか、ラストのアレとか、増田こうすけじゃないですけどああいう牧歌的な映像が好きなんですよねー。

 

 

 

コーヒーかよ

簡単エゴイスト判定

Q:緊急事態のとき、娘が座席をおばあさんに譲りました。あなたはどうしますか。

①:褒める ②:こういうときは自分のことだけ考えなさいと叱る。

①を選んだあなたはご立派な人です。でもいざというときに死ぬかもしれません。

②を選んだあなたはソグさんです。ファンドマネージャーの素質があります。

 

Q:感染者のいる車両を通り抜けて安全な車両に逃げてくる人たちがいます。あなたはどうしますか。

①:受け入れる ②:感染の恐れがあるので締め出す

①を選んだあなたは思いやりのある人です。しかしそれがアダとなって死ぬかもしれません。

②を選んだあなたはヨンソクさんです。人から恨みを買う独善的な人ですが、意外としぶといので生き残るかもしれません。

 

総括:まあ結局のところ生き残るかどうかは運次第だよねー

 

期待値を上げて観に行った「新感染 ファイナル・エクスプレス」、期待通りの出来でしたぞえ。

 先日亡くなったジョージ・A・ロメロがゾンビを写し鏡として相対的に人間の醜さを描いたように、この作品でも露骨に人間側のエゴイズムが炸裂しておりますです。ていうか、ゾンビものにかぎらず極限状態で複数の人間が集まると浮かび上がってくるものなのでしょうな。ちなみに、本作におけるゾンビについて監督は駅にいるホームレスであると言及していました。経済成長の象徴としてのデカイ駅とそこにあぶれるホームレスを反映させたらしいです。しっかりとロメロの系譜にある正当なゾンビ映画です。

 けれど、当然ながら人間は多面的な生き物ですから、物語の中で変化を遂げていくわけです。それが顕著に描かれるのが主人公ソグを演じるコン・ユでしょう。どうでもいいけど東出昌大に似てるぞこの人。

 あくまで変化であって成長とは違うと思うのですよね。要するにどっちに振れるかという問題であって、それはその場の状況や人との関わりによって選択は異なるでしょうから。だからというわけではないですが、わたしはソグや最低クソ野郎ことヨンソクのエゴイズムを「醜い!死ね!」と唾棄できるほど聖人君子ではないので、色々と考えることもありますた。まあでも、いくら群集心理とはいえあれは極端すぎるだろうと思わなくもないですが。

 登場した瞬間から死亡フラグを立てていたマ・ドンソク演じるサンファですが、ジャンル映画らしくもナイスガイな人物でその最期に涙がほろり。

 ヨン・サンホ監督はアニメ出身で古谷実のマンガをアニメ化したいらしい。ちょっと気になりますが、今年は監督の過去の作品も公開されるらしいのでそちらも是非見てみたいところ。

 

ダンカーク

 ノーラン新作ということで「ダンケルク」を観てきましたよ。特別好きな監督というわけでもないんですが、とりあえず観ておく程度には好きだったりする。

よく考えたら映画館でリアタイ観賞したの「インターステラー」だけなんですが、ダンケルクを観た限りだとほかの作品がインターステラーを超えてくることはなさそうかなぁ。

 そんなわけで本作はノーラン作品の中でも平均値的な作品なんじゃないかしら。中弛みしつつも後半はちゃんと面白いのとか。

 あとは音がやっぱり印象的ですな。戦闘機の音や銃声などはIMAXで体感するのがベストっす。マジで音を「体感」するぐらいでかいので。元々ノーランは実写主義というか即物主義というか「生」を重視する人ですから、大画面で大音量で見るのには向いているわな。

 音楽は相変わらずハンス・ジマー。空中戦のときにかかる音楽は緊張感のある本作にあって特段緊張感を煽ってきてグッジョブ。

 ストーリー的にはちょっと微妙な感じかな、しかし。舞台が同じではあるんですが群像劇として有機的に絡まっているようには思えませんのよね。バラバラに散逸した事実を並べたような感じがして、それぞれがそれぞれで勝手に解決していく(正確には「民間船舶による救出」という大きな流れに回収されていく構成ではあるのですが)ために、並列的に並べられても「うーん?」と首をかしげてしまう。無駄死にしたネビルっぽい不細工な子どもを新聞で英雄扱いするのも、真相を知っている客としてはどうも恥を晒し上げられているように思えてならんですし。直接の死因であるキリアン・マーフィー(ハイドリヒを撃てに続いてまたも「個」に焦点を当てた戦争映画に出てます)にもこれといって処理はしないし。

 で、中弛みする理由はなんなのかなーと思ったときに、この映画では人々の「心理的側面」が「行動」と解離しているせいなんじゃないかと思うんですよ。事実、ストーリーテリングの原則においては日付・時間・行動といった事実よりも感情や心理といった側面の方は興味を引きやすいとされている。その点において、今作で起用されている若年の兵士を演じるフィンくんは上手くない。というか、ノーランの撮り方が悪いような気がするんですよねー。これも、たとえば上手い役者が演技で感情を表現してくれていればもうちょっと中盤の中弛みも緩和できたような気がする。船でほかの連隊と亀裂が生じた場面も、フィンくんよりその連隊の連中の方が迫真でしたし。

 そのあとの救出の流れはすごいいいんですけど、やっぱりアクションが下手くそなんだよなーノーラン。せっかくの空中戦闘も実写主義のこだわりの弊害が出ているようにしか思えないような同じカットが冗長に繰り返されるばかりでグラフィカルに見せてくれない。あと最後の最後で敵の戦闘機が接近してきて大ピンチ!からの味方の戦闘機が撃墜してくれた場面、あれどうなってるのかよくわからんですよ。

 いや、場面的にわからないことはないんですが、いつの間にか撃墜されていたように見えるですよ。最後の騎士王のオプティマス落下からのいつの間にか変形していたような感じ。

 ダークナイトによって一気に評価を上げ、巨匠として扱われ大々的に宣伝されてはいるけれど、次世代のスピルバーグやらキューブリックやらと同じように扱うには今一歩爆発力が足りない気がするかなぁ。

 スピルバーグもBFGとかたまに変なことしますけどね。

 ここいらでダークナイトくらいの爆発を期待してるぞ、ノーラン(何様)